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2022年10月6日 (木) 21:13時点における版
山形県立米沢興譲館高等学校 | |
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北緯37度53分7.6秒 東経140度6分30.2秒 / 北緯37.885444度 東経140.108389度座標: 北緯37度53分7.6秒 東経140度6分30.2秒 / 北緯37.885444度 東経140.108389度 | |
過去の名称 |
米沢藩学館 興譲館 私立米沢中学校 米沢尋常中学興譲館 山形県米沢中学校 山形県立米沢中学校 山形県立米沢興譲館中学校 山形県立米沢第一高等学校 山形県立米沢西高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 山形県 |
学区 | 山形県南 |
設立年月日 |
1618年7月(創基) 1697年6月15日(藩校) 1886年9月19日(私立米沢中学校) |
創立記念日 | 9月19日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 |
普通科 探究科 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | D106220250015 |
高校コード | 06127B |
所在地 | 〒992-1443 |
山形県米沢市大字笹野1101番地 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
山形県立米沢興譲館高等学校(やまがたけんりつ よねざわこうじょうかんこうとうがっこう(英: Yamagata Prefectural Yonezawa Kojokan High School)は、山形県米沢市大字笹野に所在する公立高等学校。
公立の高等学校としては日本最古である。
概要
- 歴史
- 1886年(明治19年)創立の「私立米沢中学校」(旧制中学校)を前身とする。1948年(昭和23年)の学制改革により新制高等学校となった。現校名となったのは1956年(昭和31年)。2011年(平成23年)に創立125周年を迎えた。
- なお1776年(安永5年)創立の藩校「興譲館」の流れを継承しているとされ、高校の創立年数とは別に創立年数が設定されており、節目に創立記念式典が行われている。2011年(平成23年)に創立235周年を迎えた。
- 校名の由来
- 「興譲館」という校名は、「大学」の一節「一家仁一国興仁、一家譲一国興譲」から採られた。興譲とは、譲を興す(おこす)と読み、「恭遜(きょうそん)の道を繁昌(はんじょう)さすること也」(細井平洲、建学大意)。
- 設置課程・学科
- 全日制課程 2学科
- 校歌
- 現校歌は創立70周年を記念して、現校名に改称した1956年(昭和31年)に制定された。作詞は浜田広介、作曲は細谷一郎による。歌詞は3番まであり、各番に校名の「興譲」が登場する。
- 同窓会
- 「米沢興譲館同窓会」と称している。
沿革
( )内の日付は旧暦を表す。
藩校
- 1697年(元禄10年)
- 綱憲の没後、藩財政の逼迫と共に衰微。
- 1724年(享保9年) - 聖堂の祭祀、孔子を祀る釈奠が中止となる。
- 1771年(明和8年5月2日) - 第9代藩主上杉治憲(鷹山)が「学問所」を再興し、招聘した細井平洲(紀徳民)を馬場御殿の松桜館に迎え学生に講授(以後10か月間)。
- 1776年(安永5年)
- 1785年(天明5年) - 聖堂の扁額を『先聖殿』に改称。
- 1793年(寛政5年11月14日) - 屋代町(現・丸の内)御国産所内に医学堂「好生堂」が設立される。薬草園と共に医学書やオランダ製の外科器械類を整備。
- 1796年(寛政8年)
- (9月6日) - 細井平洲が三たび米沢入り、上杉鷹山が関根の普門院まで出迎える。
- (12月14日) - 通学生のために友于堂を建築。
- 1799年(寛政11年) - 服部正相(豊山)が学科試験を開始。
- 1807年(文化4年)3月 - 好生堂を興譲館構内に移転。上杉治憲は藩医を杉田玄白らの元に派遣し蘭学・医学を学ばせる。
- 1864年(元治元年)
- (4月15日) - 西割出町(現・金池)から出火し、興譲館が類焼。
- (11月6日) - 門東町講武所内に興譲館を再建。
- 1867年(慶応3年12月29日) - 徳川慶喜からの大坂(阪)出陣の要請を受け、上杉斉憲は各頭・諸役員・興譲館諸生から意見を聴取。
- 1869年(明治2年1月) - 兵士の屯所や仮病院に充てられていた学館の修復が完了し、興譲館の授業を再開。
- 1871年(明治4年)
- 1872年(明治5年10月17日) - 文部省布達(「従前の諸学校の儀一旦悉く可相廃止候」)により、県学としての興譲館は廃止される。学館は縮小して継続。
旧制中学校
- 1874年(明治7年)- 興譲館を旧・米沢藩士協立の「私立米沢中学校」と改称。上杉家寄贈資金の利子と授業料で経営。洋学科を外国語学校と改称。
- 1881年(明治14年)12月 - 屋代町上ノ丁(現・門東町)の元置賜県庁舎に移転。ともに外国語学校も屋代町に移転し統合。
- 修業年限を4年とする。以後徴兵猶予の恩典と上級学校進学の資格が得られない状況が1893年(明治26年)まで続く。
- 1886年(明治19年)9月19日 - 中学校令(勅令15号)の施行により、変則中学校から正則中学校となる。この日を創立記念日とする。(創立年)
- 1893年(明治26年)5月25日 - 県費補助を受けるため、山形県知事に移管の上、「米沢尋常中学校」に改称。県立同等の資格に認定される。
- 1895年(明治28年)5月2日 - 「米沢尋常中学校興譲館」と改称。
- 1900年(明治33年)4月1日 - 山形県に移管され、「山形県米沢中学校」と改称。 校友会(生徒会)として「興譲会」が発足。
- 1901年(明治34年)
- 4月1日 - 「山形県立米沢中学校」と改称。
- 9月19日 - 校舎を関東町(現・西大通)に新築移転。
- 1904年(明治37年)9月 - 戦時(日露戦争)記念林創設。舘山に植林事業を開始。
- 1909年(明治42年)
- 1925年(大正14年)4月24日 - 軍事教練のため軍事教官(将校)が配属される。
- 1926年(大正15年)5月1日 - 私立米沢中学校夜学校を併設。
- 1927年(昭和2年)6月14日 - 校歌を制定。作詞は五十嵐力、作曲は弘田龍太郎による。
- 1928年(昭和3年)- 後援会が発足。
- 1929年(昭和4年)1月29日 -「山形県立米沢興譲館中学校」と改称。
- 1936年(昭和11年)
- 1938年(昭和13年)6月9日 - 勤労奉仕活動が開始。翌1939年度以降、全生徒が近郊農村や報国農場(鬼面川河畔)への勤労奉仕に出動。
- 1940年(昭和15年)4月1日 - 併設の夜学校が山形県に移管され、山形県立米沢夜間中学校となる。
- 1943年(昭和18年)4月1日 - 中等学校令の施行により、この時の入学生から修業年限が4年となる。併設の夜間中学校を統合し、夜間課程とする。
- 1944年(昭和19年)9月 - 学徒動員で4・5年生が群馬県太田町の中島飛行機製作所へ出動。
- 1945年(昭和20年)
- 3月 - 教育ニ関スル戦時非常措置方策の修業年限4年施行前倒しにより、5年生と4年生の合同卒業式を挙行。
- 本来、中等学校令の施行された1943年(昭和18年)に入学した生徒が4年を修了する1947年(昭和22年)3月に修業年限4年が施行される予定であったが、戦況の悪化により、中等学校令の施行される前(1941年(昭和16年)・1942年(昭和17年))に入学した生徒にも修業年限4年が適用されることとなった。この時、1940年(昭和15年)入学の5年生と1941年(昭和16年)入学の4年生の合同卒業式が行われた。
- 4月 - 学校での授業を停止。ただし勤労動員は継続。
- 8月 - 終戦。
- 9月 - 授業を再開。
- 3月 - 教育ニ関スル戦時非常措置方策の修業年限4年施行前倒しにより、5年生と4年生の合同卒業式を挙行。
- 1946年(昭和21年)4月1日 - 修業年限が5年に戻る(ただし4年修了時点で卒業することもできた)。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。
- 旧制中学校の募集を停止。
- 新制中学校を併設し(以下・併設中学校)、旧制中学校1・2年修了者を新制中学校2・3年生として収容。
- 併設中学校は経過措置としてあくまで暫定的に設置されたため、新たに生徒募集は行われず、在校生が2・3年生のみの中学校であった。
- 旧制中学校3・4年修了者はそのまま在籍し、4・5年生となった(ただし4年修了時点で卒業することもできた)。
新制高等学校
- 1948年(昭和23年)
- 4月1日 - 学制改革(六・三・三制の実施)により旧制中学校が廃止され、新制高等学校「山形県立米沢第一高等学校」(男子校)が発足。
- 通常制普通課程(修業年限3年)と定時制普通課程(修業年限4年)を設置。
- 旧制中学校卒業者(5年修了者)を新制高校3年生、旧制中学校4年修了者を新制高校2年生、併設中学校卒業者(3年修了者)を新制高校1年生として収容。
- 併設中学校を継承(名称:山形県立米沢第一高等学校併設中学校)し、在校生が1946年(昭和21年)に旧制中学校へ最後に入学した3年生のみとなる。
- 後援会が改組され、教育振興会が設立される。
- 5月 - 興譲会を「自治会」に改称。
- 4月1日 - 学制改革(六・三・三制の実施)により旧制中学校が廃止され、新制高等学校「山形県立米沢第一高等学校」(男子校)が発足。
- 1949年(昭和24年)
- 2月 - 自治会歌を制定。作詞は星篤志、作曲は滝沢美恵子による。
- 3月31日 - 併設中学校を廃止。
- この年 - 米沢興譲館同窓会が復活。
- 1950年(昭和25年)
- 1952年(昭和27年)
- 3月31日 - 定時制三沢東部分校を廃止。
- 4月1日 - 統合が解消され、西校舎は「山形県立米沢西高等学校」となる。 東校舎は山形県立米沢東高等学校として分離独立。
- 1956年(昭和31年)
- 3月15日 - 雑誌『興譲』第1号を発行。
- 4月1日 - 「山形県立米沢興譲館高等学校」(現校名)と改称。
- 9月19日 - 創立70周年を記念して新たに校旗と校歌を制定。校歌の作詞は浜田広介、作曲は細谷一郎による。
- 1957年(昭和32年)9月19日 - 体育後援会が発足。
- 1961年(昭和36年)3月31日 - 定時制広井郷分校を廃止。
- 1963年(昭和38年)
- 3月31日 - 定時制窪田分校を廃止。
- 4月1日 - 通常制普通課程を全日制課程普通科、定時制普通課程を定時制課程普通科に改称。
- 1964年(昭和39年)6月16日 - 新潟地震が発生。
- 1966年(昭和41年)
- 1967年(昭和42年)
- 8月29日 - 羽越水害が発生。
- 10月 - 全校生徒で羽越水害の被災地小松地区の稲刈り勤労奉仕に出動。
- 1968年(昭和43年)4月1日 - 全日制課程に理数科(1学級)を設置。
- 1981年(昭和56年)3月31日 - 定時制課程を廃止。
- 1986年(昭和61年)
- 1987年(昭和62年)
- 1988年(昭和63年)
- 1989年(平成元年)
- 1991年(平成3年)4月 - 体育後援会を「体育文化後援会」と改称
- 1996年(平成8年)1月15日 - 北通り-新大橋線(学園ロード)が開通。
- 1997年(平成9年)9月10日 - 思索の森を造成。
- 2008年(平成19年)8月 - 新部室棟が完成。
- 2000年(平成12年)
- 3月 - 東屋(あずまや)の建設と樹木45本の植栽により思索の森の整備が完了。
- 7月 - 上杉鷹山生誕250年を契機に宮崎県立高鍋高等学校を親善訪問。以後、隔年で相互訪問交流。
- 9月 - 藩学創設300年記念講堂が完成。
- 2002年(平成14年)4月 - 文部科学省「スーパーサイエンスハイスクール」研究指定校。(2004年度(平成16年度)末まで)。
- 研究開発課題:「生涯にわたって科学的に思考し、創意工夫する力を育むための教育課程及び教育方法の研究開発」
- 2008年(平成20年)4月1日 - 普通科と理数科のくくり募集を開始。
- 2011年(平成23年)
- 2012年(平成24年)4月 - 文部科学省「スーパーサイエンスハイスクール」研究指定校。(2016年度(平成28年度)末まで)。
- 研究開発課題:「科学好きの裾野を広げ、科学技術系人材を育て、わが国の将来を担うサイエンス イノベーターの育成を目指す教育プログラムの研究開発。
- 2019年(平成31年)
- 探究科の設置。
特色
- いわゆる生徒会にあたる、自治会という組織が活動を行っている。オープンスクールなどさまざまな行事が生徒主導で進められている。
学校施設
- セミナーハウスと呼ばれる宿泊施設があり、部活の合宿などに利用されている。
- 2000年に藩学創設300年を記念した講堂が建てられた。合唱祭やコンサート、講演会の際に使用される。
部活動
運動部
- 野球
- ソフトテニス(男・女)
- フェンシング
- 弓道
- 陸上競技
- 柔道
- 剣道
- ホッケー
- バレーボール
- バドミントン
- バスケットボール
- サッカー
- 山岳
- スキー
- 卓球
- 水泳
文化部
- CSSC(コアスーパーサイエンスクラブ)
- 調理科学
- 美術
- 音楽
- 吹奏楽研究
- 新聞・文芸
- ESS
交通
著名な出身者
卒業生
- 秋山武三郎(電気通信技術の専門家)
- 安部三十郎(米沢市長)
- 池田成彬(大蔵大臣・日本銀行総裁・三井合名筆頭株主常務理事)
- 宇佐美勝夫(東京府知事・内務官僚)
- 遠藤武彦(衆議院議員・第45代農林水産大臣)
- 大熊信行(経済学者・評論家・歌人)
- 大滝則忠(第15代国立国会図書館長)
- 大塚勝夫(経済学者・早稲田大学教授)
- 星岳雄(経済学者・スタンフォード大学教授)
- 金子善次郎(衆議院議員・自治省大臣官房審議官)
- 河上清(社会主義者・在米ジャーナリスト)
- 雲井龍雄(幕末・明治維新の志士)
- 近藤鉄雄(元労働大臣)
- 高橋里美(哲学者)
- 浜田廣介(童話作家)
- 原田めぐみ(フェンシング選手)
- 堀江守弘(スキーオリエンテーリング選手)
- 針重敬喜(編集者)
- 平田東助(内務大臣・農商務大臣)
- 星秀一(伊藤忠食品社長)
- 堀内素堂(江戸時代の医学者)
- 眞島秀和(俳優)
- ますむらひろし(漫画家)
- 松野良寅(日本英学史学会会長)
- 皆川睦雄(元プロ野球選手)
- ラズウェル細木(漫画家)
- 我妻栄(民法学者・東京帝国大学教授)
- 山下源太郎(海軍大将)
- 黒井悌次郎(海軍大将)
- 南雲忠一(海軍大将)
- 上泉徳弥(海軍中将)
- 千坂智次郎(海軍中将)
- 今村信次郎(海軍中将)
- 片桐英吉(海軍中将)
- 下村正助(海軍中将)
- 小林仁(海軍中将)
- 近野信雄(海軍少将)
- 山田勇助(海軍少将)
- 下村忠助(海軍中佐)
- 工藤俊作(海軍中佐)
- 金藤晃一(カウンセラー)
- 佐藤源治(民俗学者、鶴岡市名誉市民)
参考文献
- 松野良寅編『興譲館世紀』(山形県立米沢興譲館高等学校創立百年記念事業実行委員会、1986年)
- 松野良寅編『興譲館小史 人あまたあと継ぎて』(米沢興譲館出版会、1988年)
- 今泉亨吉『上杉鷹山公小伝』(御堀端史蹟保存会、1982年第7版)
- 米沢児童文化協会 編『郷土に光をかかげた人々』(米沢児童文化協会、1989年改訂2版)