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|校名 = 広島県立広島観音高等学校 |
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2022年10月6日 (木) 21:40時点における版
広島県立広島観音高等学校 | |
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北緯34度23分14秒 東経132度26分08秒 / 北緯34.38725度 東経132.435694度座標: 北緯34度23分14秒 東経132度26分08秒 / 北緯34.38725度 東経132.435694度 | |
過去の名称 |
廣島縣立廣島第二中學校 広島県芸陽高等学校 広島県広島観音高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 広島県 |
校訓 |
平安の裡に奮闘あり 自由の境に秩序あり 和気靄然たる間に節制規律あり |
設立年月日 | 1922年 |
開校記念日 | 5月9日 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 総合学科 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | D134210000033 |
高校コード | 34101A |
所在地 | 〒733-0034 |
広島県広島市西区南観音町4-10 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
広島県立広島観音高等学校(ひろしまけんりつ ひろしまかんおんこうとうがっこう)は、広島県広島市西区南観音町にある県立高等学校。
概要
1922年(大正11年)に開校した「広島県立広島第二中学校」(旧制中学校)を前身とする。1948年(昭和23年)の学制改革により、新制高等学校「広島県芸陽高等学校」となり、翌1949年(昭和24年)「広島県広島観音高等学校」に改称、1968年(昭和43年)に現校名「広島県立広島観音高等学校」となった。高等学校発足時に全日制課程と定時制課程が設置された。全日制課程は当初普通科・家庭科・商業科の3科体制で始まり、1965年(昭和40年)に普通科1科のみとなる。1998年(平成10年)には学科改編により総合学科を設置。2021年(令和3年)定時制課程が閉課し現在に至る。
沿革
画像外部リンク | |
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アメリカ国立公文書記録管理局が所有する米軍撮影写真。 | |
Hiroshima aerial A33851945年9月撮影。手前が天満川および観音橋、奥が福島川および西大橋。写真中央上が第二中学校(現在の観音高校)。 |
- 旧制中学校(男子校)時代
- 1921年(大正10年)9月22日 - 広島県立広島第二中学校の設置が認可される。
- 1922年(大正11年)
- 1923年(大正12年)4月 - 観音町(現・広島市立観音小学校所在地)の新校舎に移転。
- 1924年(大正13年)4月 - 寄宿舎が完成。
- 1926年(昭和2年)3月2日 - 第1回卒業式を挙行。
- 1933年(昭和8年)9月23日 - プール(50m)が完成。
- 1945年(昭和20年)
- 1946年(昭和21年)11月3日 - 復興校舎が完成し、3分教場から本校に復帰する。
- 1947年(昭和22年)3月 - 旧制中学校の募集を停止。
- 1948年(昭和23年)3月31日 - 旧制・広島県立広島第二中学校が廃止される。
- 新制高等学校(現在)
- 1948年(昭和23年)
- 1949年(昭和24年)
- 1950年(昭和25年)
- 1953年(昭和28年)4月13日 - 中校舎が完成。
- 1954年(昭和29年)9月1日 - この時の商業科(1年生のみ)を新設の広島県広島商業高等学校に移管[3]。商業科2・3年は存続。
- 1955年(昭和30年)3月 - 商業科の募集を停止。
- 1956年(昭和31年)
- 1958年(昭和33年)
- 1962年(昭和37年)10月5日 - 創立40周年を記念して芸陽観音同窓会館が完成。(1967年(昭和37年)10月に増築。)
- 1963年(昭和38年)3月 - 家政科の募集を停止し、その代わりに普通科の中に甲型(家庭科コース)を設置し、募集を開始。
- 1964年(昭和39年)5月28日 - 旧校地の広島市立観音小学校からクスノキ・ポプラ数本が移植される。
- 1965年(昭和40年)3月31日 - 家政科を廃止。
- 1967年(昭和42年)2月13日 - 本館が完成。
- 1968年(昭和43年)10月1日 - 「広島県立広島観音高等学校」(現校名)に改称(県の後に「立」を加える)。
- 1971年(昭和46年)3月 - 普通科甲型(家庭科コース)の募集を停止。
- 1973年(昭和48年)5月8日 - 北校舎が完成。
- 1975年(昭和50年)3月31日 - 寄宿舎(清風寮)を廃止。
- 1978年(昭和53年)4月 - 新設の井口高校を加え、広島市内6校での総合選抜制度を実施。
- 1979年(昭和54年)8月31日 - 中校舎を新築。
- 1981年(昭和56年)7月31日 - 体育館兼講堂を新築。旧体育館兼講堂を格技場に改修。
- 1983年(昭和58年)3月25日 - 新プールが完成。
- 1991年(平成3年)3月 - 広島県学区改編により、第四学区西部3校(観音・井口・舟入)での総合選抜を開始。
- 1992年(平成4年)9月 - 格技場が完成。
- 1993年(平成5年)3月31日 - 本館リフレッシュ工事が完了。
- 1995年(平成7年)
- 1997年(平成9年)3月 - この時の入試を最後に、総合選抜を廃止。
- 1998年(平成10年)
- 1999年(平成11年)7月23日 - 英国語学研修を開始。
- 2000年(平成12年)
- 3月20日 - 総合学科棟(西館)が完成。
- 3月31日 - 最後の卒業生を送り出し、全日制課程普通科を廃止。
- 2001年(平成13年)3月25日 - 北館リフレッシュ工事が完了。
- 2006年(平成18年)3月31日 - 北館リフレッシュ工事が完了。
- 2010年(平成22年)5月 - 新築本館が完成。
- 2011年(平成23年)7月29日 - 中館耐震改修及び内外リフレッシュ工事完成。
- 2013年(平成25年)3月31日 - 部室改築工事完成。
- 2017年(平成29年) - 当年度より定時制課程の募集を停止。
- 2021年(令和3年)3月31日 - 定時制課程が閉課。
基礎データ
アクセス
象徴
- 校訓
- 平安の裡に奮闘あり
- 自由の境に秩序あり
- 和気靄然たる間に節制規律あり
- 校章
- 1949年(昭和24年)に制定。旧制中学校以来のシンボルツリーであるポプラの葉4枚を背景にして、中央に校名の広島(Hiroshima)の頭文字「H」と観音(Kanon)の頭文字「K」を置いている。
- 校歌
- 1950年(昭和25年)に制定。作詞は小川二郎、作曲は升田徳一(卒業生)による。歌詞は4番まであり、校名は登場しない。
学校行事
- 4月 - 始業式・新任式、入学式、離退任式、課題考査、対面式、生徒総会
- 5月 - 中間考査、遠足、PTA総会、広島県高等学校総合体育大会(以下、県総体)壮行会
- 6月 - 観音祭(文化祭)、県総体
- 7月 - 期末考査、避難訓練、クラスマッチ(球技大会)、終業式、オープンスクール
- 8月 - 広島原爆の日(6日)二中慰霊祭、始業式、課題考査
- 9月 - 体育祭
- 10月 - 中間考査、修学旅行
- 11月 - 学校へ行こう週間、避難訓練
- 12月 - 期末考査、生徒会長選挙、終業式
- 1月 - 始業式、3年学年末考査
- 2月 - 高校入試、同窓会入会式、3年同窓会入会式
- 3月 - 卒業式、1・2年学年末考査、クラスマッチ(球技大会)、終業式
部活動
- 運動部
- 文化部
広島二中排球部
畑喜美夫が就任して以降サッカー部の活躍が目覚しいが、観音高校は戦前、広島二中時代にバレーボールの先達として極めて大きな足跡を残している。日本のバレーボールの草分け・神戸高等商業学校(現神戸大学)から昭和3年(1928年)、同校で黄金期を築いた高橋哲雄と鎔[4]米二が卒業後、広島二中にコーチとして赴任。昭和23年(1948年)の学制改革までの約20年間に明治神宮体育大会(国体の前身)、全日本中等学校選手権などの全国大会優勝だけで10回、準優勝3回と旧制中学最強チームを築いた。さらに同校のOB達が進学・赴任した早稲田大学[5]、慶應義塾大学、京都帝国大学、山口高商(現山口大学経済学部)などのバレーボール部を創部。また多くの名選手を生んだが、特に長崎重芳、前田豊は戦後も長く日本バレーボール協会の中枢にいて全日本監督、強化委員長、協会要職などで男子バレー、女子バレーとも強化指導を行った。
1989年(平成元年)発刊された『廣島二中排球部史』において松平康隆は「広島二中ほど近代日本バレーに大きく影響を与えた旧制中学のバレーボール部は他にはなかったと思います。日本バレー史の大きな部分を広島二中OBの方々がになわれたことはまぎれもない事実であります。オリンピックで金メダル3回、銀メダル3回、銅メダル2回という赫々たる戦果を収めた日本バレー界でありますが、それらを指揮した歴代の全日本監督諸兄も私を含めて広島二中のOBの方々のご指導や影響を少なからず受けた人達であります。(抜粋)」との言葉を寄せている[6]。
高校関係者と組織
高校関係者組織
- 同窓会 - 「芸陽観音同窓会」と称している。旧制広島第二中学校・旧・芸陽高等学校・観音高等学校卒業生を会員とする。
出身者
- 香藤繁常(元昭和シェル石油代表取締役会長兼グループCEO)
- 福田幸雄(アスカネット創業者・元代表取締役会長兼CEO)
- 宮本正太郎(天文学者、元京都大学付属花山天文台長)
- 田中隆荘(元広島大学学長、元広島市立大学学長)
- 河野美代子(医師、政治活動家)
- 佐藤卓己(社会学者、京都大学教授)
- 箕野博司(北広島町長)
- 前田豊(元日本バレーボール協会理事長)
- 近藤芳美(歌人)
- 蒔田尚昊(作曲家)
- 佐和隆研(美術史家、元京都市立芸術大学学長)
- 脇田義信(元広島テレビアナウンサー)
- 棚田徹(テレビ新広島アナウンサー)
- 梶山季之(作家)
- 津原泰水(作家)
- 木村功(俳優)
- 左山晋平(サッカー選手)
- 代健司(サッカー選手)
- 原田直樹(サッカー選手)
- 塚川孝輝(サッカー選手)
- 日高大(サッカー選手)
- 河村優(サッカー指導者)
- 山本文男(元プロ野球選手)
- 松ヶ下宏之(ミュージシャン、歌手)
- 和田慎二(漫画家)
- 西島大介(漫画家)
- 竹内雄悟(将棋棋士)
- 江本一真(元あいテレビアナウンサー、フリーアナウンサー、ラジオDJ、ローカルタレント)
- 国光文乃(衆議院議員)