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2022年10月6日 (木) 21:46時点における版
千葉県立国府台高等学校 | |
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校章 | |
北緯35度44分42.1秒 東経139度54分15.4秒 / 北緯35.745028度 東経139.904278度座標: 北緯35度44分42.1秒 東経139度54分15.4秒 / 北緯35.745028度 東経139.904278度 | |
過去の名称 |
市川市立 中學校 市川市立 国府台中學校 市川市立 国府台高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 千葉県 |
学区 | 第2学区 |
併合学校 | 市川市立 高等女学校 |
校訓 |
自由を愛し、責務を果たそう 真理を究め、文化に寄与しよう 敬愛を旨とし、平和を護ろう |
設立年月日 | 1943年 |
創立記念日 | 6月1日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | D112210000235 |
高校コード | 12120H |
所在地 | 〒272-0827 |
千葉県市川市国府台二丁目4番1号 | |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
千葉県立 国府台高等学校(ちばけんりつ こうのだい こうとうがっこう、英称:Chiba Prefectural Kohnodai High School)は、千葉県市川市に所在する県立高等学校である。
概要
本校の起源は1943年創立の市川市立中學校の開校に遡る。創立時は仮校舎での開校となり、その後2度目の移転で現在の校地に校舎を構えた[1]。
生徒は「鴻陵生(こうりょうせい)」と呼ばれ、文化祭は「鴻陵祭(こうりょうさい)」と称する。
校章
校章は全校生徒から図案を募集し、選考・加筆したものである。柏の若葉という燃える青春と、松という硬い芯のあるものを型どって、かなえのように知育・徳育・体育をあらわす三角を中心に据えた。
校歌
設置課程
- 全日制
- 普通科
沿革
- 1943年4月1日 - 初代校長が着任する。
- 1943年4月17日 - 市川市立中学校(旧制)として市川市立中央国民学校(現在の市川市立平田小学校)の敷地内に仮校舎を設置し創立する[1]。
- 1944年1月 - 市立市川商業学校(現在の市川市立宮田小学校)の校舎に移転する[1]。この当時の学級数はすべて合わせると4学級である。
- 1946年3月 - 日本軍国府台所在東部第188部隊の跡地(現在地)に移転する[1]。住所は国府台1丁目1番地だった。この当時の学級数はすべて合わせると12学級。
- 1946年4月25日 - 市川市立高等女学校が創立する[1]。市川市立中学校(市川市宮田1306号)の跡地に設置創設した[1]。当時の学級数は3であった。
- 1947年1月 - 市川市立中学校が、市川市立国府台中学校へと改称する[1]。
- 1947年4月 - 学制改革により新制の中学校を併設する。これにより学級数は8に増える。
- 1947年5月3日 - 校章制定。徽章配布。
- 1948年3月 - 第1回市川市立国府台中学校卒業式が開催される。(卒業生65名)
- 1948年4月 - 市川市立国府台高等学校(新制)へと改称する[1]。全日制普通科で学級数は8。
- 1948年10月 - 第1回鴻陵祭開催。
- 1949年1月 - 第1回校内マラソン大会(ロードレース大会)開催。
- 1949年3月 - 新制高等学校、第1回卒業式、卒業生16名。学制改革により、市川市立高等女学校は廃校とした。
- 1949年4月 - 廃校となった市川市立高等女学校を合併[1]。学級数は14となる。生徒会発足。
- 1949年5月 - 後援会解散、PTA創設。
- 1949年11月 - 校訓発表。
- 1950年4月 - 市川市から千葉県に移管され、千葉県立国府台高等学校が誕生した[1]。学級数は16。
- 1950年6月 - 千葉県に移管されたことを記念して、祝賀会が挙行された。また、爾後6月1日を創立記念日として定められた。校歌の発表がなされた。
- 1951年4月 - 葛南分校を創設する[2]。定時制課程の普通科として設置された。住所は千葉県市川市欠真間715号で南行徳小学校の敷地内に置かれた[2]。
- 1952年1月 - 生徒心得を配布し説明した。
- 1953年2月 - 「雑誌国府台」の創刊
- 1953年11月 - 講堂竣工した。面積は948.8平方メートルだった。
- 1955年3月 - 学校放送設備完成。校内放送開始。
- 1956年11月 - 本館の第1期工事が実施された。構造は県下初の鉄筋コンクリート3階建て校舎、面積は949.4平方メートル。
- 1958年12月 - 校則制定公布。
- 1959年8月 - 本館の第2期工事が実施された。構造は鉄筋コンクリート3階建てで増築、面積は1,224.4平方メートル。通知票郵送廃止。
- 1960年1月 - 体育館が落成。面積は718平方メートル。
- 1960年3月 - 塑像「輝」除幕。
- 1961年9月 - 第14回鴻陵祭(残材を使用して行う、ファイアーストームが始まった。)
- 1962年9月 - プールが落成。面積は917.1平方メートル。
- 1963年4月 - 葛南校舎が設置される。これにより分校が解消した。
- 1963年12月 - 創立20周年を迎えた。また、第2校舎(新館)が改築された時期に重なったため、同時にふたつの記念式典が挙行された。第2校舎の構造は鉄筋コンクリート4階建てで、面積は2,531平方メートル。
- 1964年2月 - 県内の高校で初のLL教室の完成。
- 1964年4月 - 葛南校舎に設置されていた3学級を国府台高校の本校に併合する。これにより、学級数は24学級となり、再び葛南校舎は葛南分校へと改称することになった。
- 1964年11月 - 30年の借地契約により、第2運動場が開設される。面積は11,793平方メートル。
- 1965年7月20日 - 15年に渡り国府台の礎を築いた校長:内藤 貫一が千葉東高校に転任。
- 1967年3月 - 卒業式答辞すり替え事件
- 1967年4月 - 浅間山遭難事件(地学教員と生徒2名死亡)
- 1967年9月 - 弓道場完成。
- 1968年4月 - この年度より各学年8HR、24学級の編成となる。
- 1968年8月 - 全国高校総合体育大会(インターハイ)で陸上部(男子)総合優勝。
- 1969年7月19日 - PTA会報「広報鴻の台」創刊。
- 1969年8月 - 全国高校総合体育大会(インターハイ)でフェンシング部、河村正志がサーブルで個人優勝。
- 1970年3月、1971年3月 - 学園紛争のため卒業式が荒れる。
- 1970年3月~1972年3月 - 卒業式の送辞、答辞は行われなかった。
- 1971年12月 - 卒業式準備委員会の設立。(活動年:1971〜1972)
- 1973年10月 - 校舎移転資料調査委員会の設置。
- 1974年3月 - 卒業式実行委員会主導の卒業式が初めて行われる。以後生徒主体の卒業式が確立。
- 1974年4月1日 - 第8代校長が着任する。(職務代行:教頭・鈴木 新一郎・期間:1975年3月19日〜1975年3月31日)
- 1974年10月 - 生徒会、校舎移転反対決議(648票)。
- 1975年7月 - PTA理事会、校舎移転反対決議。
- 1976年4月 - 生徒会活動「その継承と発展のために」発刊。(1977、1979、1986、1989、1992、1997、2001年改訂)
- 1976年5月 - 第1回グリーンスクール実施。2泊3日、塩原。
- 1976年8月 - 全国高校総合体育大会(インターハイ)でフェンシング部(女子)が団体優勝。
- 1977年10月 - 第1回校外学習の実施。3泊4日、3コース。
- 1978年2月 - 第3期卒業生(個人)によって校章が制作・寄贈され、取り付けられる。現在は体育館の外壁にある。
- 1978年4月1日 - 行徳高等学校の定時制を設置する。これにより、葛南分校の生徒募集を停止。
- 1978年9月 - 葛南分校が行徳高等学校へ校舎を移転する。
- 1979年11月 - 第1回芸術観賞教室の実施。
- 1980年11月 - 「平和を考える集い」の開始。1991年以降「平和と人権を考える集い」となる。
- 1981年3月 - 葛南分校に最後まで在籍していた在校生が卒業したことにより、葛南分校は昭和55年度に30年の歴史をもって閉校した。卒業生総数651名。
- 1982年3月 - 「雑誌国府台」30号休刊。
- 1982年3月 - 国公立大学合格者3桁(119名)を記録。
- 1983年3月 - 前年に引き続き、「雑誌国府台」30号休刊。
- 1983年6月 - 仮校舎(プレハブ2棟)建設。第1期改築工事開始。
- 1983年8月 - 木造校舎、生徒会館の解体。
- 1984年8月 - 第1校舎、機械室棟・西側廊下・東側廊下新築完成。総面積は9,099m2である。
- 1984年9月 - NHKが鴻陵祭の様子を「われら高校生」で全国放映した。
- 1984年11月 - 本館・講堂・格技場の取り壊し工事が実施され、同月に完了する。
- 1985年8月 - 体育館(屋内練習場・格技場)の新築工事が完了。総面積は2,331m2。
- 1985年10月 - 「創立40周年記念誌」が発行される。第3校舎の体育館付属更衣室の取り壊し工事が実施される。
- 1987年3月 - 部室が竣工する。面積は120m2。
- 1987年3月 - 旧体育館の部室の取り壊しが行われる。
- 1989年2月 - グラウンド、テニスコートが整備される。
- 1990年2月 - 前庭の工事が完了する。
- 1991年11月 - 現在の弓道場が落成する。
- 1993年2月 - 中庭工事が完了する。
- 1994年2月13日 - 創立50周年・同窓会40周年記念祝賀会が挙行される
- 1994年9月 - 第2運動場借地契約切れ。
- 1994年11月 - 教育用コンピュータ一式(44台及び周辺機器)が整備される。
- 1995年3月 - 管理棟の屋上防水が実施される。
- 1995年3月 - テニスコート改修工事が実施される。
- 2002年1月 - コンピュータのリース更新を実施する。
- 2002年5月 - 全国高等学校総合体育大会(千葉きらめき総体)シンボルマーク最優秀賞受賞(個人)
- 2003年3月 - グラウンド北側に防球ネットが新設される。総面積は82.5平方メートル。
- 2003年4月 - ニッポン放送の中高生向け情報バラエティラジオ番組「知ってる?24時。」で憧れの高校ランキング1位に選ばれる。
- 2003年11月 - 創立60周年記念式典が挙行され、それと同時に芸術鑑賞会も実施された。
- 2004年3月 - テニスコート舗装工事が実施される。
- 2004年10月 - 擁壁の改修工事が実施され、それと同時に県道側にフェンスの設置が行われた。
- 2005年4月 - 学級数23となる。
- 2005年10月7日 - 柔道の授業で死亡事故発生(生徒1名死亡)。
- 2006年1月 - コンピュータ室が新設される。これに伴って生徒用コンピュータが新たに導入された。
- 2006年4月 - 学級数22となる。
- 2007年3月 - 千葉大学と高大連携協定を締結する。
- 2007年4月 - 2期制が開始され、学級数が21となる
- 2007年5月 - 鴻陵会と保護者協力の下、普通教室に冷房設備の設置が完了した。
- 2007年6月 - 科学技術振興機構のSPPが初採用される。採用数は3件である。
- 2008年3月 - 科学技術振興機構のSPPが採用される。採用されたのは3件だった。
- 2009年3月 - 第60期卒業生総代が卒業した。
- 2009年8月 - 独特の意匠で異彩を放っていた螺旋階段が撤去される。
- 2010年4月 - 学級数22となる。
- 2010年9月 - 正門の改修工事が完了する。
- 2011年4月 - 学級数が23となる。
- 2012年4月 - 学級数24に戻る。
- 2014年6月 - 創立70周年を迎えたことを記念して、記念式典が挙行される。
- 2017年9月 - 京成線東中山駅にて死亡事故発生(生徒1名死亡)。これを隠蔽。
- 2018年4月 - 2学期制から3学期制へ移行する。
- 2021年1月 - コロナクラスターが発生
主要行事
- 4月 - 入学式
- 5月 - 球技祭
- 9月 - 鴻陵祭
- 10月 - 芸術鑑賞会、校外学習
- 11月 - 平和と人権のつどい
- 2月 - ロードレース大会
- 3月 - 卒業式(今年度より予餞会は見合わせ)
著名な出身者
- 中村正人(音楽家、DREAMS COME TRUE)
- 真保裕一(作家)
- 乙川優三郎(作家)
- きたろう(俳優)
- 大久保博(政治家)
- 市村尚久(早稲田大学名誉教授)
- 鈴木克明(熊本大学大学院教授)
- 最首悟(和光大学名誉教授)
- 伊藤淳史(俳優)
- 横須賀ゆきの(読売テレビの報道局社員、元アナウンサー)
- 吉田裕史(指揮者)
- 達正光(棋士)
- おきらく亭はち好(落語家)
- 赤松珠抄子(プロデューサー)
- 真田健一郎(俳優)
- 川柳つくし(演者)
- むかし家今松(演者)
- かとうひろし(文化人)
- 響直美(文化人)[要出典]
- 霜風るみ(文化人)[要出典]
- ピョコタン(文化人)
- 松丸伸一郎(裁判官、弁護士)
- 石出奈々子(お笑いタレント)
交通・アクセス
脚注
参考文献
- “「国府台高校」が国府台に落ち着くまで”. 学舎現在むかし. 国府台高等学校同窓会 (2004a). 2018年6月17日閲覧。
- “兵者どものゆめのあと”. 学舎現在むかし. 国府台高等学校同窓会 (2004b). 2018年6月17日閲覧。
- 「鴻」(株式会社ぎょうせい)
- 「会報」第一号〜第三十四号
- 「会報」WEB公開版
- 「国府台」第一号〜第五十六号
- 「継承と発展のために」2001年度版
- 「国府台論集」第一号〜第十九号