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2022年10月6日 (木) 22:07時点における版
新潟県立有恒高等学校 | |
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北緯37度3分12.2秒 東経138度17分45.4秒 / 北緯37.053389度 東経138.295944度座標: 北緯37度3分12.2秒 東経138度17分45.4秒 / 北緯37.053389度 東経138.295944度 | |
過去の名称 | 私立有恒学舎 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 新潟県 |
併合学校 |
板倉村立有恒高等学校 私立有恒高等学校 町立有恒高等学校 |
設立年月日 | 1964年4月1日 |
創立記念日 | 4月10日 |
創立者 | 増村朴斎 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
学校コード | D115222200093 |
所在地 | 〒944-0131 |
新潟県上越市板倉区針583-3 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
新潟県立有恒高等学校(にいがたけんりつ ゆうこうこうとうがっこう、英: Niigata Prefectural Yuukou High School)は、新潟県上越市板倉区針にある県立高等学校。
経緯
有恒高校の前身である私立有恒学舎は、1896年(明治29年)、私財を投じた当時29歳の増村朴斎により、独力で創立された。かつては“西の松下村塾、東の有恒学舎”とも呼ばれており、朴斎の教えは現在の有恒高校にも受け継がれている。有恒学舎創立の時に、元幕臣の勝海舟が校名を書き送った。また、1906年(明治39年)からは会津八一が4年間在職し、英語を教えた。
設置学科
沿革
- 1895年(明治28年)7月15日 - 私立有恒学舎設立許可(修業年数3年、入学資格高等小学校4年終了)。
- 1896年(明治29年)
- 4月10日 - 仮教場浄覚寺において開校式挙行、勝海舟より「有恒学舎」の書が届けられる。
- 7月29日 - 校舎建築竣工。
- 9月1日 - 寄宿寮竣工。
- 1897年(明治30年)11月 - 校舎増築竣工。
- 1899年(明治32年)4月1日 - 規則改定し従来の3年を本科とし、更に高等科を設ける。
- 1902年(明治35年)3月19日 - 文部大臣より輔仁財団(学校経営補助機関)設立許可。
- 1903年(明治36年)9月1日 - 舎主公宅及び付属塾竣工。
- 1907年(明治40年)
- 2月 - 規則改正し4月(新学年)より従来の本科3年、高等科2年を併合して5年制とする(入学資格高等小学2年終了)。
- 3月21日 - 専門高校入学者検定規定第8条第1号により指定。
- 1921年(大正10年)10月 - 増村朴斎、新潟県教育会長に推薦される。
- 1926年(大正15年)7月13日 - 雨天体操場竣工(最寄28ヶ町村寄附)。
- 1928年(昭和3年)9月9日 - 久邇宮・同妃が台臨する。
- 1929年(昭和4年)11月1日 - 参謀総長鈴木荘六陸軍大将が来学、講演を行う。
- 1931年(昭和6年)
- 3月19日 - 輔仁財団を解散し、財団法人有恒学舎設立許可。
- 4月10日 - 創立35周年記念式典挙行。
- 1940年(昭和15年)11月 - 増村朴斎、教育及び社会教化功労者として藍綬褒章を授与される。
- 1942年(昭和17年)5月18日 - 増村朴斎、逝去(5月22日に有恒学舎講堂において学舎葬を執行)。
- 1943年(昭和18年)4月1日 - 中学校令により有恒中学校設置許可。
- 1946年(昭和21年)5月18日 - 創立50周年記念式典挙行。
- 1948年(昭和23年)11月18日 - 北川木造校舎増築竣工。
- 1950年(昭和25年)4月1日 - 定時制課程(男女共学)併置。
- 1951年(昭和26年)4月1日 - 板倉村立有恒高等学校(定時制)開校(私立有恒高等学校定時制を吸収)、私立有恒高等学校(全日制)男女共学となる。
- 1957年(昭和32年)
- 2月 - 特別教室増築竣工。
- 8月8日 - 特別・普通教室竣工。
- 1960年(昭和35年)4月1日 - 家庭科設置、第1期改築工事完成、鉄筋3階9教室・家庭科校舎落成。
- 1961年(昭和36年)
- 3月31日 - 第2期工事(本館)完成。
- 5月18日 - 創立65周年記念・改築落成記念式典挙行。
- 1963年(昭和38年)11月9日 - グラウンド拡張完工。
- 1964年(昭和39年)
- 4月1日 - 私立有恒高等学校及び町立有恒高等学校を新潟県に移管、新潟県立有恒高等学校として全日制課程普通科4学級募集となる。
- 5月18日 - 学校法人有恒高等学校閉校式、県立有恒高等学校開校式挙行。
- 1965年(昭和40年)6月18日 - 創設者増村舎主銅像除幕式。
- 1966年(昭和41年)11月15日 - 体育館建設用地拡張。
- 1968年(昭和43年)6月14日 - 創立70周年・増村朴斎先生生誕100年・体育館落成記念式典挙行。
- 1973年(昭和48年)8月6日 - 特別教室棟(西)竣工。
- 1974年(昭和49年)9月13日 - プール竣工。
- 1976年(昭和51年)10月23日 - 創立80周年記念式典挙行。
- 1982年(昭和57年)
- 3月15日 - 特別教室棟(西)竣工。
- 11月5日 - 増村朴斎記念館竣工、開館式典挙行。
- 1983年(昭和58年)12月6日 - 格技場竣工。
- 1985年(昭和60年)6月28日 - 管理教室棟竣工。
- 1986年(昭和61年)10月25日 - 校舎落成、創立90周年記念式典挙行。
- 1990年(平成2年)8月31日 - 屋外グランド大改修竣工、野球バックネット竣工。
- 1993年(平成3年)10月29日 - 体育館大改修竣工。
- 1995年(平成5年)11月2日 - 体育館大規模改修竣工。
- 1997年(平成7年)10月28日 - 創立100周年記念式典挙行(100周年記念碑の除幕式も開催)。
- 2000年(平成12年)9月7日 - テニスコート大規模改修竣工。
- 2002年(平成14年)9月30日 - 特別教室棟(東棟)大規模改修完工。
- 2006年(平成18年)
- 9月5日 - 情報処理室PC新機種入れ換え。
- 10月28日 - 創立110周年記念式典挙行。
- 2009年(平成21年)5月20日 - オンリーワンスクール推進事業開始。
- 2011年(平成23年)12月5日 - 特別教室棟改修・補強建築工事竣工。
- 2012年(平成24年)3月31日 - オンリーワンスクール推進事業終了。
- 2014年(平成26年)5月26日 - 「確かな学力に係る実践的調査研究」指定校に指定。
- 2016年(平成28年)
- 3 月31日 - 「確かな学力に係る実践的調査研究」終了。
- 10月22日 - 創立120周年記念式典挙行。
部活動
- 運動部 - バスケットボール(男)、バドミントン、卓球、総合スポーツ(テニスほか)
- 文化部 - 吹奏楽、美術
教育目標
増村朴斎先生の建学の精神に則り、徳性を涵養し進んで社会に貢献する人材を育成する。増村朴斎の校訓「三綱領五学規」 の教えは現在の有恒高等学校にも受け継がれている。
三綱領
- 君子は義に喩り小人は利に喩る。
- 人為さざるありて而る後に以って為すあるべし。
- 公を先にし私を後にす。
五学規
- 志気充実にして操守堅固なるべし。
- 質朴剛毅の風を養い深く惰弱と軽薄とを戒むべし。
- 礼譲を重んじ虚飾の風を除くべし。
- 勤勉励精生徒たる本分を尽くすべし。
- 摂生に注意し身体の強健を図るべし。
校歌
作詞:川合直次、作曲:小林礼[1]
アクセス
著名な出身者
脚注
参考文献
- 「述而第七」『論語 (國譯漢文大成)』。ウィキソースより閲覧。
- 「里仁第四」『論語 (國譯漢文大成)』。ウィキソースより閲覧。
- 「離婁下」『孟子』。ウィキソースより閲覧。