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2022年10月6日 (木) 23:10時点における版
獨協中学校・高等学校 | |
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北緯35度42分49.2秒 東経139度43分38.3秒 / 北緯35.713667度 東経139.727306度座標: 北緯35度42分49.2秒 東経139度43分38.3秒 / 北緯35.713667度 東経139.727306度 | |
過去の名称 |
獨逸学協会普通科 獨逸学協会中学校 (旧制) |
国公私立の別 | 私立学校 |
設置者 | 学校法人獨協学園 |
設立年月日 | 1883年 |
共学・別学 | 男子校 |
中高一貫教育 | 完全一貫制 |
課程 | 全日制課程 |
設置学科 | 普通科 |
学期 | 3学期制 |
学校コード |
C113310500113 中学校) D113310500175 (高等学校) | (
高校コード | 13579J |
所在地 | 〒112-0014 |
外部リンク | 獨協中学・高等学校 |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
獨協中学校・高等学校(どっきょうちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、東京都文京区関口三丁目に所在する私立男子中学校・高等学校。獨協大学の系列校で唯一の男子校である。学校法人獨協学園が運営する完全中高一貫校である[1]。
概要
明治時代に設立されていた獨逸学協会学校を母体に1883年(明治16年)設立される。近代日本の医学はドイツを手本としており、そのため数多くの医学の徒を輩出しており、また系列校に医科大学を持つことから、設立時から現在に至るまで医学部系の進学率が比較的高い。
ドイツ語を中心に教育を進めてきたため、明治から大正にかけて、獨逸学協会学校→第一高等学校(三部、医科)→東京帝国大学(医科)の順に進学するのがエリートコースの一つであった。しかし、第一次世界大戦でドイツが敗れると、ドイツ語を学ぶ生徒が激減し、昭和初期には経営環境が非常に厳しくなった。日独伊三国同盟成立の影響で、若干の人気回復を果たすが、第二次世界大戦後は廃校の危機に直面した。GHQに対しては、獨協とは「獨逸学協会」の略ではなく「獨立協和」の略であると、苦しい弁明をしたほどであった。その危機を救ったのは第13代校長で同校OBである天野貞祐であった。
中高一貫制の教育区分は、中学校の第1学年および第2学年の前期2年間を「第1ブロック」、中学校第3学年および高等学校第1学年の中期2年間を「第2ブロック」、高等学校の第2学年および第3学年の後期2年間を「第3ブロック」に区分する「2-2-2制」を採用している[2]。
教育方針は「心構えは正しく、身体は健康、知性に照らされた善意志と豊かな情操とを持つ、気品のある人間の育成を目指す」。これが為には、すべての生徒に、それぞれ人間としての自信と矜持(誇り)とを抱かしめ、各自の天分を開発し、その長所を培養する。他日社会に出ては、日日の生活に感謝と喜びとを見出し、勤勉努力して社会に奉仕し、広く文化の創造に寄与する人間となることを期待するわけである。教育愛こそ本学園の情熱であり、人間教育こそ本学園の精神である。
生徒の自主性を重んじる校風であり、学内には一人一人の考え方を重んじる自由な空気がある。生徒と担任の教師やそれぞれの科目を担当する教師との距離が近く、様々な事柄について相談をし易い環境が整っている。試験期間を除けば、教員室への出入りも自由である。また、伝統的に本校の生徒は高校1年の時からドイツ語を外国語として選択することが可能である。以前は大学入試の際にドイツ語を選択する生徒もいたものの、ドイツ語コースが無い上、英語が全員必修科目のために現在ではほとんどいない。また、ドイツ連邦共和国政府が定めるドイツ語教育枠組みPASCH加盟しており、ドイツ政府の定めているプログラム参加生もいるが、後者も毎年いるわけではない[要出典]。
獨協学園は創立130年を経て、同校では医学界において900名を越える同窓生が一堂に会す機会を設けている。医学界に多くの人材を輩出した獨協学園の同窓の医師の親睦を図り、同校のさらなる発展に寄与するために「獨協学園 Doctor's Club」を発足させている。
系列校・施設
沿革
- 1883年 - 獨逸学協会学校を創立。
- 1884年 - 専修科(法律・政治専攻)および普通科を併設。
- 1893年 - 普通科を獨逸学協会学校中等部に改称。
- 1895年 - 専修科が東京帝国大学法科へ移管され廃止となる。
- 1937年 - 獨逸学協会中学校へ改称。
- 1947年 - 「独立協和」の意味として「独協」表記とし、校名を独協学園とする。
- 1948年 - 独協中学校・高等学校が発足。
- 1953年 - OB等の要望で、校名を獨逸学協会の獨協学園に復する。
- 1997年 - 中高一貫制を開始。
- 1998年 - 新校舎が完成。
- 2000年 - 1997年入学生が高校1年に進級と同時に、高校からの募集を停止し完全中高一貫校化。
- 2002年 - 高校からの入学生が卒業し、全生徒が中高一貫教育での募集となる。
- 2008年 - 入試実施日を計2日から計3日へ変更。
- 2014年 - 入試募集人員を210名から200名へ見直し。
- 2016年 - 第三回入試の日程を2月5日から2月4日へ変更。
- 2019年 - 新中1を5クラスから6クラス編成へ変更。
- 2020年2月26日 - 翌年より国数2教科による2月1日の午後入試を新設することを発表。
施設
校舎は教室が設置されている『本校舎』と、小道を挟んだ向かい側にあるスポーツ設備を備えた『獨協学園 100周年記念体育館』の2つに分かれている。
現在の本校舎は地上5階、地下1階建、モダンな構造で1998年(平成10年)に落成した。設計コンセプトは、『光と、風と、緑の創造空間』で、オーディオテクニカ本社などのデザインを手がけた赤坂喜顕が設計。日本建築学会作品選奨に選定された[3]。
校舎は部室棟とともに中庭グラウンドを囲む形で建てられており、台地という地形から新宿副都心や東京スカイツリーなどが臨める[要出典]。
ガラスを多く取り入れた設計で、間口を設けられるフリースペースや、階段、上層階の廊下などを可能な限りガラス張りとしたほか、その他窓が設けられない部分にも吹き抜けを設置、教室にも桟が少ない大型ガラスが使用されているほか、細長い窓を設置して間接照明風にするなどの工夫を凝らすなど、光を利用した採光性の高い校舎である。全ての教室に、全自動空調、全熱交換換気システムを採用し、フロア内で天井裏の配管などを数箇所にまとめることにより天井を高くすることで、高い居住性を確保している。生物室、化学室、物理室、地下理科室の4つの理科室が設置され、大学で使用される器具を多く取り扱うなど、高いレベルの学習環境を実現した[要出典]。
100周年記念体育館は1983年(昭和58年)に落成。敷地が急坂に面しているという独特の地形を活かし、土地の有効活用という面から[要出典]体育館は地下に設置されており、体育館屋上部分が運動場となっている。体育館内には、アーチェリー場、トレーニングルーム、柔道場、シャワールームなどが設置されている。(シャワールームは現在閉鎖中)また周囲にドライエリア・天窓を設置し、室内には空調設備、大型換気扇を導入することで、地下体育館での採光・通風のデメリットを解消している[要出典]。
一部の学年の教室には備え付けのプロジェクターがある[要出典]。
大学進学状況
獨協大学・獨協医科大学への推薦枠があるが、他大学進学希望者が多く、進学校の要素が強い。ただし近年は獨協大学への進学する卒業生も増加している[4]。21年度の一般入試の合格先として、獨協大学は日本大学、明治大学、東京農業大学、東京理科大学、中央大学、法政大学に次いで7番目に多い。
- 本学1学年(約190名中)獨協大学への合格者数
- 一般入試合格者数 8(2017)→5(2018)→16(2019)→13(2020)→20(2021)
- 併設校推薦進学者数 1(2017)→4(2018)→6(2019)→6(2020)→14(2021)。
獨協医科大学への一般入試合格者数も、21年度の医学部医学科合格先としては最も多く、推薦枠の利用も増加傾向である。他に医療系大学への推薦枠としては21年現在、東京理科大学薬学部、東京薬科大学、北里大学医学部、聖マリアンナ医科大学 などがある。
部活動
2019年の時点で30の部活、4個の同好会がある。同好会は同学年有志が創ることが多く、数年で廃部や自然消滅となることが多い(数学同好会や英語同好会など)。また、部活に入らない生徒の増加・低学年化が進み、廃部になったり(PC部)、廃部の危機に瀕している部活(天文部など)も少なくない。学校の管理上、部活動を中学と高校で分けているのはサッカー部と野球部のみだが、部活動によっては中学と高校で異なる活動をしていることもある。
- 天文部
- 生物部
- 化学部
- 美術部
- 理工学研究部
- 歴史研究部
- 演劇部
映画研究部(廃部)PC部(2018年廃部)- 軽音楽部
- 吹奏楽部
- 鉄道研究部
- 思考ゲーム同好会
- ドイツ語同好会
- 模型同好会
- 奇術同好会
- 緑のネットワーク委員会
- 陸上部
- アーチェリー部
- 剣道部
- 中学サッカー部
- 高校サッカー部
- 中学野球部
- 高校野球部
- 柔道部
- 水泳部 - 校舎にプール施設はないため、部活動の際は校外に出る。
- スキー部
- 硬式テニス部
- ソフトテニス部
- 卓球部
- バスケットボール部
- バレーボール部
- ハンドボール部
- ラグビー部
- ワンダーフォーゲル部
アクセス
- 鉄道
- 都営バス
学校関係者
総裁
歴代校長
- 初代 - 西周(1883年10月 - 1887年4月)
- 2代 - 桂太郎(1887年4月 - 1890年7月)
- 3代 - 加藤弘之(1890年7月 - 1903年9月)
- 4代 - 大村仁太郎(1903年9月 - 1907年6月)
- 5代 - 石川千代松(1907年6月 - 1907年7月)
- 6代 - 長井長義(1907年7月 - 1920年7月)
- 7代 - 金杉英五郎(1920年7月 - 1927年10月)
- 8代 - 司馬亨太郎(1929年5月 - 1936年2月)
- 9代 - 小山松吉(1936年3月 - 1946年1月)
- 10代 - 吉岡正明(1946年1月 - 1951年12月)
- 11代 - 額田豊(1951年12月 - 1952年5月)
- 12代 - 市川秀雄(1952年5月 - 1952年12月)
- 13代 - 天野貞祐(1952年12月 - 1970年3月)
- 14代 - 小池辰雄(1970年4月 - 1979年3月)
- 15代 - 篠原寛(1979年4月 - 1982年3月)
- 16代 - 蝦名賢造(1982年4月 - 1987年3月)
- 17代 - 山鹿誠次(1987年4月 - 1989年3月)
- 18代 - 朝倉保平(1989年4月 - 1993年7月)
- 19代 - 戸張敦雄(1993年8月 - 1995年8月)
- 20代 - 奥田千秋(1995年9月 - 2000年3月)
- 21代 - 永井伸一(2000年4月 - 2011年3月)
- 22代 - 渡邊和雄(2011年4月 - 2021年3月)
- 23代 - 上田善彦(2021年4月 - )
教職員経験者
著名な出身者
政治・行政・経済
- 松井茂 - 韓国政府内部次官兼警視総監(扱)、朝鮮統監府警務局長、内務省官僚(広島中学校から転校)
- 小山松吉 - 司法大臣、検事総長、法政大学総長
- 山本悌二郎 - 農林大臣
- 天野貞祐 - 文部大臣、第一高等学校校長
- 中原爽 - 元参議院議員
- 沢辺瀞壱 - 前飯能市長
- 糸山英太郎 - 元衆議院議員、実業家
- 勝茂夫 - 世界銀行副総裁
- 勝栄二郎 - 財務省事務次官
- 戸井田徹 - 元衆議院議員
- 田中良 - 元杉並区長
- 高島直樹 - 東京都議会議員、第46代東京都議会議長
- 小谷進 - 元パイオニア社長
- 土屋たかゆき - 元東京都議会議員
学者
- 佐々木隆興 - 医学者、癌研究者(日本学士院恩賜賞受賞、文化勲章受章)
- 額田豊 - 医学者、本校11代目校長、日本大学初代医科長、東邦大学初代学長(駒場東邦創設者の一人)
- 内村祐之 - 医学者、東京大学名誉教授、日本野球機構コミッショナー(1983年に野球殿堂入り)
- 岩倉具実 - 言語学者、同志社大学名誉教授
- 安良城盛昭 - 歴史学者、沖縄大学学長
- 安岡昭男 - 歴史学者、法政大学名誉教授
- 新井仁之 - 数学者、東京大学名誉教授、早稲田大学教育・総合科学学術院教授(日本数学会春季賞受賞)
- 加藤康之 - 経済学者、京都大学経営管理研究部教授
- 丸山宗利 - 昆虫学者、九州大学総合研究博物館准教授
文化
- 大町桂月 - 詩人
- 巖谷小波 - 作家、児童文学者
- 戸川秋骨 - 評論家、随筆家
- 守山恒太郎 - 野球選手(一高第二次黄金時代の左腕の名投手で、1966年に野球殿堂入り)
- 木下杢太郎 - 作家、東京大学医学部教授
- 恩地孝四郎 - 版画家
- 水原秋桜子 - 俳人、医学者
- 三島雅夫 - 俳優
- 清水幾太郎 - 評論家、学習院大学教授
- 灰田晴彦 - 作曲家、スチールギター奏者
- 灰田勝彦 - 歌手、映画俳優
- 高英男 - 歌手
- 謝国権 - 医師(日本の性医学評論のパイオニア)
- 栗山昌良 - オペラ演劇演出家、国立音楽大学名誉教授
- 無量塔藏六 - ヴァイオリン製作者
- 松浦豊明 - ピアニスト、上野学園大学名誉教授
- 古井由吉 - 芥川賞作家(高等学校入学後5か月で都立日比谷高校へ転校)
- 古今亭志ん朝 - 落語家
- 大沢悠里 - フリーアナウンサー、元TBSアナウンサー
- 筑紫磐井 - 俳人、文部科学省科学技術政策研究所長
- 松宮一彦 - フリーアナウンサー、元TBSアナウンサー
- 三谷幸喜 - 脚本家(中学校中退)
- SAM - ダンサー (TRF)
- Ryo - 歌手(ケツメイシ)
- 濱田岳 - 俳優(高等学校中退)
- 椎名豪 - 作曲家
- 谷合廣紀 - 将棋棋士
脚注
- ^ 獨協中学校・高等学校
- ^ 学習内容(教育と進路)-獨協中学校・獨協高等学校 の「中学・高校のカリキュラム表」による。
- ^ 2001年作品選奨-AIJ
- ^ 獨協高校HP2021年大学合格実績より2021/5/3閲覧