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2022年10月7日 (金) 01:11時点における版
長崎県立長崎鶴洋高等学校 | |
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北緯32度41分2.6秒 東経129度50分12.8秒 / 北緯32.684056度 東経129.836889度座標: 北緯32度41分2.6秒 東経129度50分12.8秒 / 北緯32.684056度 東経129.836889度 | |
過去の名称 |
長崎県水産講習所 長崎県立水産学校 長崎県立長崎水産高等学校 |
国公私立の別 | 公立 |
設置者 | 長崎県 |
学区 |
全県学区 全国募集(5%)枠あり |
校訓 | 誠実・明朗・勤勉 |
設立年月日 | 1908年(長崎水産講習所) |
共学・別学 | 男女共学 |
分校 | 本項参照 |
課程 | 全日制 |
単位制・学年制 | 単位制 |
設置学科 | 総合学科・水産科 |
専攻科 | 漁業科・機関科 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | D142210000471 |
所在地 | 〒850-0991 |
長崎県長崎市末石町157-1 | |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
長崎県立長崎鶴洋高等学校(ながさきけんりつ ながさきかくようこうとうがっこう, Nagasaki Prefectural Nagasaki Kakuyo High School)は、長崎県長崎市末石町にある県立高等学校。
概要
- 歴史
- 1908年(明治41年)に開設された「長崎県水産講習所」を起源とする。1935年(昭和10年)に「長崎県水産学校」(実業学校)、戦後の学制改革により1948年(昭和23年)に「長崎県立長崎水産高等学校」(実業高等学校)となる。長く水産に関する学科のみを有する実業高等学校であったが、2006年(平成18年)の県立高等学校改革の一環で、総合学科を新設し、校名を現在の「長崎県立長崎鶴洋高等学校」に改めた。現在でも水産に関する学科を有する高等学校は、長崎県内では1校のみである。2018年(平成30年)に創立110周年を迎えた。
- 課程・学科
- 全日制課程 2学科
- ※2020年(令和2年)4月入学生より、水産科が2類型5分野(海技士類型(航海・機関)、管理類型(情報通信・コンサルティング・進学))、総合学科が3系列(進学系列、機械系列、情報ビジネス系列)となる予定。
- 校訓
- 「誠実・明朗・勤勉」
- キャッチコピー
- 「未来を拓く!」[1]
- 校章
- 「水」を図案化した星形の外枠の中に、長い伝統を守り、更に大きく羽ばたいてほしいという気持ちをこめて純白の「鶴」を、そして中央には高校を表すゴールドの「高」の文字を置いている。
- スクールカラー
- ネイビーブルー
- 校歌
- 作詞は平田德男、作曲は岡山直、編曲は瀬戸口仁志による。歌詞は3番まであり、歌詞には「龍馬」や学校名の由来にもなった鶴の港(長崎港の異名)が登場する。古くから長崎港はその形が鶴に似ていることから「鶴の港」と呼ばれており、長崎のイメージとして考えられることが多く、校名[2]や校章[3][4]に用いる学校がある。
沿革
- 1908年(明治41年)9月 - 北松浦郡平戸町(現・平戸市)に「長崎県水産講習所」を設立する。
- 1911年(明治44年)7月 - 長崎県水産講習所を長崎市に移転。
- 1935年(昭和10年)
- 3月 - 長崎県水産講習所を廃止。
- 4月 - 長崎市丸尾町に「長崎県立水産学校」(実業学校)を設立(生徒定員150名)。
- 1937年(昭和12年)4月 - 長崎市土井首町に移転。[5]。
- 1943年(昭和18年)3月 - これまでの設置課程である漁撈(ぎょろう)科・製造科の2科の他に経営科を設置。
- 1948年(昭和23年)
- 1949年(昭和24年)
- 4月 - 定時制野母分校(水産課程)を西彼杵郡野母村立野母中学校[7]内に設置。
- 5月 - 定時制奈留島分校(水産課程)を奈留島村立第一小中学校内に設置。
- 1950年(昭和25年)6月 - 定時制鷹島分校(水産課程)を北松浦郡鷹島村立鷹島中学校(現松浦市立鷹島中学校)内に設置。
- 1951年(昭和26年)6月 - 定時制奈留島分校を廃止。
- 1952年(昭和27年)3月 - 定時制豊崎分校を長崎県立対馬高等学校に移管。 [8]
- 1953年(昭和28年)5月 - 実習船長水丸(鋼製、総屯数179.8t)が完成。
- 1954年(昭和29年)3月 - 定時制中心校を廃止。
- 1955年(昭和30年)3月 - 定時制野母分校を廃止。 定時制鷹島分校を猶興館高等学校に移管。
- 1956年(昭和31年)3月 - 漁業専攻科を設置(定員20名)。
- 1957年(昭和32年)4月 - 水産増殖科を設置(1学年定員20名)。
- 1958年(昭和33年)10月 - 創立50周年記念式典を挙行。
- 1960年(昭和35年)4月 - 漁船機関科を設置(1学年定員40名)。
- 1965年(昭和40年)4月 - 無線通信科を設置する(1学年定員40名)。
- 1966年(昭和41年)4月 - 漁船機関科を機関科に改称。
- 1967年(昭和42年)
- 3月 - 第2代長水丸(鋼製、総屯数364.67t)が完成。 端艇2隻を建造。
- 4月 - 水産増殖科の定員を40名とする。
- 1968年(昭和43年)4月 - 機関専攻科を設置。定員20名。
- 1970年(昭和45年)4月 - 水産経営科を漁業経営科に改称。長崎市磯道町5番地より長崎市末石町157番地1に移転。
- 1973年(昭和48年)12月 - 乙種二等航海士第一種養成施設、内燃機関乙種二等機関士第一種養成施設として認定される。
- 1974年(昭和49年)1月 - 甲種二等航海士第一種養成施設、内燃機関甲種二等機関士第一種養成施設として認定される。
- 1976年(昭和51年)9月 - 小型実習船すいらん(総屯数19.24t)が完成。
- 1978年(昭和53年)11月 - 創立70周年記念式典を挙行する。
- 1979年(昭和54年)3月 - 第3代長水丸(総屯数476.75t)が完成。
- 1980年(昭和55年)3月 - 西彼杵郡三和町(現・長崎市)に臨海実習場が完成。推薦入学制度を導入。
- 1981年(昭和56年)
- 1月 - 乙種一等航海士第一種養成施設として認定される。
- 3月 - 三級海技士(航海)第一種養成施設、三級海技士(機関)第一種養成施設、四級海技士(航海)第一種養成施設、四級海技士(機関)第一種養成施設として認定される。
- 1988年(昭和63年)
- 1989年(平成元年)11月 - 創立80周年記念式典を挙行。(昭和63年を延期)
- 1991年(平成3年)4月 - 無線通信科を情報通信科へ学科改編する。
- 1993年(平成5年)
- 3月 - 第4代長水丸(総屯数492t)が完成。
- 8月 - 工事担任者アナログ第三種(現 AI第3種およびDD第3種)の電気通信技術の基礎の免除を認定される。
- 1996年(平成8年)4月 - 学科改編を行い、漁業科・水産製造科・漁業経営科の募集を停止。海洋科と食品流通科を設置。1学年定員を各40名とする。
- 1998年(平成10年)11月 - 創立90周年記念事業挙行。
- 2006年(平成18年)4月1日 - 水産科と総合学科の2学科を設置し、校名を「長崎県立長崎鶴洋高等学校」(現校名)に改称。
- 海洋科・食品流通科・水産増殖科・機関科・情報通信科の募集を停止。
- 水産科を4類型(海洋経営類型、食品・調理類型、機関・機械類型、電気・通信類型)、総合学科を3系列(文理総合系列、ビジネス系列、情報系列)とする。
- 1学年水産科3クラス定員120名、総合学科3クラス定員120名とする。
- 単位制となる。
- 2007年(平成19年) - 韓国釜山にある莞島水産高校と姉妹校を締結。
- 2008年(平成20年) - 創立100周年記念事業を挙行。
- 2009年(平成21年)3月 - 長崎・福岡・山口3県水産高校[12]共同運航実習船「海友丸」進水式[13]が完成。
- 2010年(平成22年)6月 - 海友丸出航式を挙行。
- 2013年(平成25年)4月1日 - 学科改編により、総合学科の定員を80名とする。水産科4類型を3類型(海洋技術類型、電気通信類型、海洋開発類型)、総合学科を3系列(普通総合系列、ビジネス系列、機械系列)とする。
- 2016年(平成28年)3月 - 臨海実習場水槽棟が完成。
- 2019年(平成31年)4月 - 制服を改定。
- 2020年(令和2年)4月1日 - 学科改編により、水産科3類型を2類型5分野(海技士類型(航海・機関)、管理類型(情報通信・コンサルティング・進学))、総合学科を3系列(進学系列、機械系列、情報ビジネス系列)とする。
学校行事
- 5月 – 体験航海
- 7月 – マグロ延縄実習、インターンシップ
- 9月
- 体育祭 - 赤組・青組・緑組の3色対抗。水産高校ならではの手旗などがある。
- 文化祭
姉妹校
- 莞島(ワンド)水産高校
- 1996年(平成8年)より交流を開始し、2007年(平成19年)に姉妹校となる。
- ほぼ1年に1回、互いの学校を訪問し合っている。
施設
- 臨海実習場 (長崎県長崎市為石町)
実習船
- 最新
- 海友丸(かいゆうまる)[14]
- 過去の実習船
- 長水丸(ちょうすいまる)
- マグロ延縄実習、沿岸トロール実習、体験航海などを行う。
- 諸元
- 総トン数492t
- 全長 52.40m
- 全幅 9.50m
- 速力 13.5ノット (航海速力)
- 最大搭載人員70人
- 船舶番号 133499
- 信号符号 JNTU
- 竣工 1993年(平成5年)3月10日 長崎造船
- 引退後は海洋エンジニアリングの海洋調査船「第五開洋丸」となる
部活動
- 運動部
- 文化部
寄宿寮
- 「拓洋寮」
著名な卒業生
- 山田梅芳(魚類学者)
- 吉田伸介(ラグビー選手、豊田自動織機シャトルズ所属)
脚注
- ^ a b c 平成23年度ハイスクールガイダンス 長崎県教育委員会
- ^ 長崎県立鶴南特別支援学校
- ^ 校章の由来 – 長崎県立長崎西高等学校HP
- ^ 長崎南高等学校、長崎工業高等学校、鶴南特別支援学校、ろう学校、諫早東特別支援学校、長崎市立桜町小学校など。
- ^ 長崎市丸尾町の跡地は、長崎県立長崎工業高等学校が同年同月の開校時に仮校舎として利用した。
- ^ 現在の長崎県立平戸高等学校は、猶興館高等学校の分校が1975年(昭和50年)に分離独立して開校した。
- ^ 1963年(昭和38年)の統廃合で当時の野母崎町の4校が統合され、野母崎町立野母崎中学校になり、2005年(平成17年)の市町村合併で長崎市立野母崎中学校となっている。
- ^ 長崎水産高等学校豊崎分校→対馬高等学校豊崎分校→1964年(昭和39年)長崎県立上対馬高等学校
- ^ 水産高校のパソコン網のこと。
- ^ 水産高校のパソコン通信網はこうしてつくられた-ルーラル電子図書館HP
- ^ VAN=Value Added Network(付加価値通信網)
- ^ 長崎鶴洋高等学校と福岡県立水産高等学校、山口県立水産高等学校
- ^ 「海友丸」進水式
- ^ 海友丸電子パンフレット
- ^ 中学校・高等学校の学校単位の受け入れについて –長崎県HP
アクセス
周辺
県外志願者受け入れ
- 身元保証人をつけることを条件に定員の5%以内で県外志願者の受け入れを実施している。
- 身元保証人は県内在住が原則だが、水産に関する学科を有しない府県の志願者については県外在住の保証人でも良いことになっている。