「壱岐市立那賀中学校」の版間の差分
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2022年10月7日 (金) 09:26時点における版
壱岐市立那賀中学校 | |
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北緯33度47分29.1秒 東経129度43分14.8秒 / 北緯33.791417度 東経129.720778度座標: 北緯33度47分29.1秒 東経129度43分14.8秒 / 北緯33.791417度 東経129.720778度 | |
過去の名称 |
那賀村立那賀中学校 芦辺町立那賀中学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 壱岐市 |
校訓 | 「自律・親和・創造・健康・奉仕」 |
設立年月日 | 1947年(昭和22年)4月1日 |
閉校年月日 | 2011年(平成23年)3月31日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
所在地 | 〒811-5757 |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
壱岐市立那賀中学校(いきしりつなかちゅうがっこう, Iki City Naka Junior High School)は、2011年(平成23年)3月末まで長崎県壱岐市芦辺町にあった公立中学校。略称は「那賀中」(なかちゅう)であった。
旧芦辺町地区の田河中学校および箱崎中学校と統合され、壱岐市立芦辺中学校が新設された。
概要
- 所在地
- 〒811-5757 長崎県壱岐市芦辺町中野郷西触400番地
- 校訓
- 「自律」「親和」「創造」「健康」「奉仕」
- 教育目標
- 「生活と学習の基礎を確立し、主体的で感性豊かな生徒の育成」
- 校章
- 六角星の真ん中に太い縦棒が2本あり、全体として中学校の「中」の文字の形を表している。六角星の周りには、6本のペン先が四方八方に突き出ている。ペンは学問を表し、様々な分野へ学問の幅を広げてほしいという願いからだと言われている。
- 校歌
- 作詞は松坂直美[5]、作曲は八州秀章による。歌詞は3番まであり、各番とも「学ぶ那賀中楽しい母校」で終わる。歌詞の中には、所在地で上述した歴史的背景から、「国府の地」という言葉が入っている。なお壱岐市役所のホームページで曲(歌詞あり、歌詞なし)をダウンロードできる。[6]
- 校区
- 壱岐市立那賀小学校
- 校舎
- 2階建て。色は白。
- 1階 -校長室、職員室、印刷室、放送室、保健室、生徒活動室、生徒会室、被服室、調理室、美術室、技術室、こころの相談室、資料室、用務員室、ランチルーム、倉庫
- 2階 -中1教室、中2教室、中3教室、音楽室、図書室、理科室、パソコン室
- 校長
- 26代[7]
- 通学方法
- 徒歩か自転車。
沿革
- 1947年(昭和22年)
- 1948年(昭和23年) 7月 - 生物実験学校発表。
- 1949年(昭和24年)10月 - 3教室を増築。
- 1950年(昭和25年)- 旧校舎を修理。運動場が完成。
- 1951年(昭和26年) 3月 - 青年学級を開設。
- 1952年(昭和27年)1月 - 長崎県依託第1次健康教育研究発表を行う。
- 1953年(昭和28年)- 第2次健康教育研究発表を行う。 北校舎が完成。
- 1954年(昭和29年)- 運動場を拡張。 第3次健康教育研究発表を行う。
- 1955年(昭和30年)4月- 那賀村と田河町の合併により「芦辺町立那賀中学校」と改称。
- 1956年(昭和31年) - 長崎県教育委員会より学校保健成績特選表彰される。
- 1957年(昭和32年) - 道徳モデル地区として県教委に指定される。創立10周年記念事業を挙行。
- 1959年(昭和34年)- 文部省産業教育指定校となる。(翌年まで)
- 1960年(昭和35年)- 工作室が完成。
- 1961年(昭和36年)- 6学級編成となる。生徒数最大の239名。 県道の路線変更される。
- 1963年(昭和38年)- 長崎県教委依託モデルPTA、内容充実、プール建設のため那賀中学校後援会が結成。
- 1965年(昭和40年)3月- 特別教室と管理関係諸室が完成。
- 1966年(昭和41年)- プール水源ボーリング・揚水・浄水装置工事が完了。
- 1967年(昭和42年)- 便所及び渡り廊下が完成。
- 1968年(昭和43年)- 塵芥[8]焼却炉、プール外柵が完成。
- 1969年(昭和44年) - 町水道取り付け完了。門柱及び国旗掲揚柱が完成。
- 1971年(昭和46年)- バスケットスタンドを新設。校舎内部を修理。
- 1972年(昭和47年)- 教育研究会指定研究発表を行う。自転車車庫を新設。
- 1973年(昭和48年)- 教育課程(数学)指定研究発表を行う。
- 1974年(昭和49年)- 普通教室5、美術室、技術室が完成。
- 1975年(昭和50年)- 庭園池が完成。
- 1976年(昭和51年)- 文部省より生徒指導推進校の指定を受け、中間発表を行う。運動場北側を拡張。
- 1977年(昭和52年)- 生徒指導推進校の本発表を行う。運動場北側フェンスと西側擁壁が完成。
- 1978年(昭和53年)- プール周辺及び県道側フェンスが完成。
- 1979年(昭和54年) - 長崎県青少年育成協議会よりモデル中学校地区の指定を受ける。 校舎前道路を舗装。
- 1981年(昭和56年)- 普通教室を保健室と会議室に分割。
- 1985年(昭和60年)- 体育館を新築。自転車置き場が完成。
- 1987年(昭和62年)- プール全面塗装。グラウンドを拡張。
- 1988年(昭和63年)- 外庭、プール兼用トイレを改築。プールサイド更衣室が完成。運動場を埋め立て、周囲フェンスが完成。
- 1989年(平成元年)- 校舎を改修。体育館倉庫を新築。 資料室を改築。
- 1990年(平成2年)- テニスコート4面 ・運動場排水工事が完了。国旗掲揚台を移転。
- 1991年(平成3年)- 特殊学級を設置。運動場拡張記念碑を建立。
- 1992年(平成4年)- 給食室、パソコン教室が完成。ランチルーム方式による給食開始。運動場観覧席が完成。
- 1993年(平成5年)- 芦辺町より学校給食指導研究の指定を受ける。(翌年度まで)
- 1994年(平成6年) - 学校給食指導研究発表を行う。各教室・廊下掲示板を取り替える。
- 1996年(平成8年)- テニスコート中央フェンス・玄関前街灯を設置。
- 1997年(平成9年)- 事務用パソコンオンラインを導入。
- 1998年(平成10年) - トイレ水洗化。裏庭防犯灯を設置。 心の教室相談員を開設。パソコンを取り替える。
- 1999年(平成11年)- 中3の職場体験学習を行う。長崎県の事業である魚の料理教室を行う。
- 2000年(平成12年)- 長崎県および芦辺町より教育課程研究校に指定される。 「総合的学習の時間」が導入される。インターネット学内使用が開始。
- 2001年(平成13年)- 教育課程研究指定の本発表を行う。ホームページを開設。
- 2002年(平成14年)- 学校評議員制を導入。相撲場を建設。
- 2003年(平成15年) - 床を張替。エアコンを設置。
- 2004年(平成16年)3月 - 壱岐郡内4町合併による壱岐市誕生に伴い、「壱岐市立那賀中学校」(最終名)となる。
- 2005年(平成17年) - 長崎県事業魚の料理教室を行う。
- 2006年(平成18年) - 長崎県議会文教委員会による学校訪問。
- 2011年(平成23年)3月- 壱岐市の中学校規模適正化(統廃合)により、閉校。(創立から64年を目前に閉校。)
- 平成22年度生徒数55名。
- 在校生は4月より壱岐市立芦辺中学校へ編入となる。
- 跡地の活用
- 2012年(平成24年)11月時点 - 校舎はそのままで残されており、那賀地区から芦辺中学校へ向かうスクールバスの駐車場となっている。
- その後、壱岐市立芦辺中学校新校舎建設のため、旧校舎は解体された。
- 2019年(令和元年)11月 - 壱岐市立芦辺中学校の新校舎が完成し、移転を完了。
学校行事
- 1学期
- 2学期
- 3学期
- 1月 -百人一首大会
- 2月 -授業参観
生徒会
- 生徒会執行部(4役)
- 生活部 -自転車点検、交通安全指導、忘れ物調べ、パソコン室の管理等。
- 学習部 -明日の授業準備・連絡、その日の授業の準備、朝自習の準備等。
- 文化部 -朝と清掃時の放送、図書室の整理・管理、図書新聞の発行等。
- 保体部 -健康観察・出欠白板の記入、給食時の放送等。
- 厚生部 -校舎内外の美化。掃除用具の整理整頓。点検等。
- 月に2度生徒集会を行っていた。
部活動
PTA活動
- 組織
- 本部 -九州地区・長崎県・壱岐市PTA協議会・連合会、母親委員会、土曜の集い等の企画・運営。
- 環境整備部 -環境の整備充実。(学校周辺の除草作業、学校内外の環境整備、運動会駐車場係)
- 研修部 -会員相互の研修意欲の向上。(各種大会への参加、土曜の集いの計画実施)
- 文化部 -文化的活動の促進、PTA広報誌「国府の地」の発行。
- 生徒指導部 -校内外生活を健全に過ごすための健康・安全指導。(夏休み校外補導、交通安全立哨[10]指導)
- 受賞歴
- 2003年(平成15年)
- 長崎県PTA広報紙グランプリ
- 九州ブロックPTA協議会PTA団体表彰
- 長崎県PTA連合会PTA団体表彰受賞
- 2004年(平成16年)
- 長崎新聞PTA広報紙コンクール奨励賞
- 2005年(平成17年)
- 長崎新聞PTA広報紙コンクール佳作
- 2006年(平成18年)
- 九州ブロックPTA協議会PTA団体表彰
- 長崎県PTA連合会PTA団体表彰
- 2007年(平成19年)
- 長崎新聞PTA広報紙コンクール優秀賞
- 長崎新聞PTA広報紙コンクール手書の部優秀賞
アクセス
- 車
周辺
- 壱岐市立那賀小学校
- 壱岐市立那賀幼稚園
- 壱岐市役所那賀事務所
- 有限会社アグリランドいき事務所(旧JA壱岐市那賀支所)
- 壱岐市消防本部
- 旧芦辺町クリーンセンター[12]
- 壱岐警察署那賀警察官駐在所
- 壱岐国分郵便局
- 国片主[13]神社
- 国分寺跡[3]
- 国分寺[3]
- へそ石-壱岐の中心に立つ石。
脚注
- ^ 現在の壱岐市国分本村触にあったと言われている。
- ^ 壱岐国分寺跡(PDF)-長崎県ウェブサイト
- ^ a b c 741年(天平13年)、聖武天皇によって国分寺建立の詔が発せられた当時、壱岐では度重なる天災、伝染病、飢饉などで大きな損害を受けていたため、新寺建立を断念し、壱岐を治めていた壱岐氏の氏寺を壱岐嶋分寺(国分寺)に提供したと言われている。(「延喜式」巻二一玄蕃(げんば)寮条)また1019年(寛仁3年)の刀伊の入寇での壱岐への女真族の襲来が、この国分寺が消滅した原因だと言われている。1738年(元文3年に国分寺の寺号を残すために、移転の上、阿弥陀寺を国分寺に改称し、現在に至る(現在の国分寺の所在地は芦辺町中野郷西触725)。
- ^ 「壱岐の風土と歴史」-中上史行・著
- ^ まつさかなおみ。男性。1910年(明治43年)に田河校区の深江鶴亀(つるき)触で誕生。田河尋常高等小学校を卒業後、旧制・長崎県立壱岐中学校に進学する。壱岐中学校卒業後に上京し、作詞活動を開始。1922年(昭和7年)に「山のあけくれ」・「時雨する頃」(作曲は古関裕而)のレコードでデビュー。日本詩人連盟会長、日本訳詩家協会理事長、日本音楽著作家組合副委員長、日本音楽著作権協会評議員、東京雪州会(壱岐人会)会長等を歴任。1991年(平成3年)には勲三等に叙せられた。2002年(平成14年)に逝去。壱岐市立田河小学校、壱岐市立芦辺小学校、壱岐市立三島小学校、壱岐市立沼津小学校、旧壱岐市立田河中学校等の校歌の作詞も行っている。
- ^ 旧中学校校歌ダウンロード-壱岐市ウェブサイト
- ^ a b c d e 壱岐市広報誌「広報いき」2010年(平成22年)6月号
- ^ 読みは「じんかい」。意味は「ゴミ」。
- ^ 伝統行事への積極的な関わりの一環として参加していた。同じく那賀住吉地区にある住吉神社の大祭にも参加していた。壱岐神楽は有名である。
- ^ 読みは「りっしょう」。意味は「その位置を動かずに見ておくこと」。
- ^ 壱岐交通ウェブサイト
- ^ 新焼却施設建設のため、2008年(平成20年)6月末で閉鎖。
- ^ くにかたぬし