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「佐々町立佐々中学校」の版間の差分

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2022年10月7日 (金) 10:43時点における版

佐々町立佐々中学校
佐々町立佐々中学校
地図北緯33度14分26秒 東経129度39分08秒 / 北緯33.240444度 東経129.652333度 / 33.240444; 129.652333座標: 北緯33度14分26秒 東経129度39分08秒 / 北緯33.240444度 東経129.652333度 / 33.240444; 129.652333
国公私立の別 公立学校
設置者 佐々町
設立年月日 1947年昭和22年)4月1日
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード C142210001187 ウィキデータを編集
所在地 857-0333
長崎県北松浦郡佐々町本田原免111番
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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佐々町立佐々中学校(さざちょうりつ さざちゅうがっこう)は長崎県北松浦郡佐々町本田原(ほんたばる)免にある公立中学校

概要

歴史
1947年昭和22年)の学制改革により創立。2012年(平成24年)に創立65周年を迎えた。
校区
長崎県北松浦郡佐々町全域。小学校区は佐々町立佐々小学校佐々町立口石小学校

沿革

  • 1947年(昭和22年)
    • 4月1日 - 学制改革六・三制の実施)が行われる。
      • 佐々第一国民学校の初等科が改組され佐々町立佐々小学校に、第二国民学校の初等科が改組され佐々町立口石小学校となる。修業年限は6年。
      • 佐々第一国民学校の高等科は第二国民学校の高等科および青年学校の普通科とともに改組され、新制中学校佐々町立佐々中学校」(現校名)となる。
        • 国民学校初等科6年修了者を新制中学1年生、国民学校高等科1年または青年学校普通科1年修了者を新制中学2年生、国民学校高等科2年または青年学校普通科2年修了者を新制中学3年生として収容。
        • 中学校校舎が完成するまでの間、旧佐々第一国民学校(佐々小学校)出身者に関しては栗林の校舎[1]で、旧佐々第二国民学校(口石小学校)出身者に関しては口石小学校校舎の一部を使用して授業を開始(分散授業を行う)。
    • 5月27日 - 1年生全員を栗林校舎に収容。
    • 5月28日 - 2・3年生全員を口石校舎に収容。
    • 11月 - 5教室増築のため、資材として針尾島にある元日本軍の建物が払い下げられる。
  • 1948年(昭和23年)4月18日 - 5教室が完成し、1・2年生全員を収容。3年生は口石校舎(口石小学校)から青年学校跡[2]に移転する。
  • 1949年(昭和24年)
    • 始め - 1年生から3年生全員を栗林校舎に収容。
    • 9月1日 - 校歌を制定。
  • 1951年(昭和26年)
    • 2月1日 - 東校舎5教室が完成。
    • 秋 - 野寄免88番地の現在地で新校舎(第一期工事)の建設が開始。
  • 1952年(昭和27年)
    • 4月9日 - 長崎県立北松南高等学校が栗林校舎に設立されたため、中学2・3年生は現在地の新校舎(野寄校舎)に移転。
    • 8月1日 - 新校舎(第二期工事)が完成し中学1年生が合流したため、全学年の授業が現在地で行われるようになる。
    • 9月1日 - 校旗を制定。
  • 1954年(昭和29年)9月30日 - 第三期工事が完了。
  • 1958年(昭和33年)8月3日 - 長崎県中学校総合体育大会(県中総体)バレーボール競技で男子が優勝、女子が準優勝。
  • 1961年(昭和36年)
  • 1962年(昭和37年)8月3日 - 県中総体卓球競技において男子が優勝。
  • 1963年(昭和38年)3月30日 - プールが完成。
  • 1966年(昭和41年)
  • 1967年(昭和42年)
    • 7月9日 - 集中豪雨により校舎・体育館・運動場に被害を受ける。
    • 9月6日 - 復旧。
  • 1969年(昭和44年)
  • 1971年(昭和46年)
  • 1975年(昭和50年)7月20日 - 運動場に夜間照明を設置。
  • 1976年(昭和51年)7月24日 - 木造校舎を解体。残存校舎で授業を継続。
  • 1977年(昭和52年)
    • 7月13日 - 新校舎が完成。
    • 12月 - 技術科実習棟が完成。
  • 1978年(昭和53年)10月7日 - 運動場を改修。
  • 1979年(昭和54年)8月30日 - 体育館を改修。
  • 1988年(昭和63年)5月11日 - パソコン室を設置。
  • 1989年(平成元年)9月2日 - 技術室プレハブが完成。
  • 1992年(平成4年)
  • 1996年(平成8年)7月18日 - 南アフリカ共和国の旗南アフリカ共和国から音楽使節団が来校。
  • 1997年(平成9年)3月15日 - 創立50周年を記念して佐々町より校旗が贈呈される。
  • 1998年(平成10年)9月1日 - 心の教室相談員制度を開始。
  • 1999年(平成11年)- スクールカウンセラーを配置。

周辺

  • 佐々町役場
  • 佐々町文化会館
  • 佐々町 町民体育館・武道館

交通

最寄りの鉄道駅は、松浦鉄道西九州線佐々駅である。

最寄りのバス停は、西肥自動車(西肥バス)の「佐々中央」または「佐々役場」バス停である。[3]

近隣を通過する国道として、国道204号がある。

著名な出身者

参考資料

  • 「佐々町郷土史」(1981年昭和56年)10月15日発行, 佐々町)p.357
  • 「佐々町郷土誌」(2004年(平成16年)7月1日発行, 佐々町教育委員会)

脚注

  1. ^ 佐々国民学校移転の目的で建設されていた建物で、戦時中は一時期、日本軍によって使用されていた。
  2. ^ 菅沼周次郎により西海学園農業部が創設された地。その後佐々青年学校に移管。青年学校廃止後に佐々中3年生が一時期収容されていた。昼間は佐々中の3年生が、夜間は長崎県立佐世保商工高等学校(長崎県立佐世保商業高等学校長崎県立佐世保工業高等学校の前身)定時制が使用していた。
  3. ^ 以前は「突出」が最寄りのバス停であったが、このバス停を含む町道神田線を営業区間とする路線は2012年(平成24年)3月31日をもって廃止された。

関連項目

外部リンク