「河南町立中村小学校」の版間の差分
表示
削除された内容 追加された内容
Racesheets (会話 | 投稿記録) m編集の要約なし |
m Bot作業依頼: 学校インフォボックステンプレート統合に伴う変更 (Template:Infobox 日本の学校) - log |
||
1行目: | 1行目: | ||
{{日本の |
{{Infobox 日本の学校 |
||
|校名=河南町立中村小学校 |
|校名=河南町立中村小学校 |
||
|画像=[[画像:Kanan town Nakamura elem-sch.jpg|280px|]] |
|画像=[[画像:Kanan town Nakamura elem-sch.jpg|280px|]] |
2022年10月7日 (金) 16:49時点における版
河南町立中村小学校 | |
---|---|
北緯34度28分45秒 東経135度37分35秒 / 北緯34.479194度 東経135.626417度座標: 北緯34度28分45秒 東経135度37分35秒 / 北緯34.479194度 東経135.626417度 | |
過去の名称 |
中村尋常小学校 中村尋常高等小学校 中村国民学校 中村立小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 河南町 |
設立年月日 | 1899年4月1日 |
閉校年月日 | 2019年3月31日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
所在地 | 〒585-0034 |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
河南町立中村小学校(かなんちょうりつ なかむらしょうがっこう)は、大阪府南河内郡河南町にあった公立小学校。
2019年に河南町立河内小学校・河南町立白木小学校と統合され、河南町立かなん桜小学校となった[1]。
校名はかつての村名に因んでおり、校地東側一帯の大字「中」に名残をとどめる。[2]。
沿革
明治時代に当時の赤阪村(現・千早赤阪村)に設置された河陽尋常高等小学校をルーツとする。同じく河陽尋常高等小学校に連なる小学校として、現在の千早赤阪村立赤阪小学校がある。
- 1886年(明治19年)4月8日 - 森屋小学校、水分小学校、中村小学校、寛弘寺小学校の4校を併合し、河陽尋常高等小学校として森屋227-1に新設。
- 1899年(明治32年)3月31日 - 遠路通学不便のため、併合4校を分離。
- 1899年(明治32年)4月1日 - 現所在地に中村尋常小学校を設立。
- 1912年(大正元年)10月 - 校舎を改築。
- 1918年(大正7年)4月1日 - 高等科を併設、中村尋常高等小学校と改称。
- 1937年(昭和12年)3月 - 校地拡張、講堂及び校舎1棟8教室を増築。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令により、中村国民学校と改称。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革により、中村立小学校と改称。
- 1956年(昭和31年)9月30日 - 村合併による河南町発足に伴い、河南町立中村小学校と改称。
- 1972年(昭和47年)10月 - 新校舎が落成。
- 1974年(昭和49年)4月1日 - 西校舎が落成。
- 1976年(昭和51年)6月1日 - 完全学校給食を実施。
- 1976年(昭和51年)12月 - 木造旧校舎解体(第1次)。
- 1978年(昭和53年)11月 - 木造旧校舎解体(第2次)。
- 1979年(昭和54年)3月 - 本館鉄筋校舎を増改築。
- 1979年(昭和54年)7月16日 - プール竣工。
- 1999年(平成11年)11月 - 創立百周年記念大会を挙行。
- 2019年(平成31年)3月24日 - 閉校式[1]。
- 2020年(令和2年)4月1日 - 跡地に「河南町立かなんこども園」が開園[3]。
周辺
アクセス
脚注
- ^ a b 河南町 広報かなん 2019年5月号
- ^ 近世までは河内国石川郡中村(旧)。1889年(明治22年)に周囲3村と合併して石川郡中村(新)となり、1896年(明治29年)からは南河内郡中村。1956年(昭和31年)に周囲3村と合併して南河内郡河南町となり消滅。
- ^ 令和2年4月に「中村こども園」を開園します河南町ホームページ 2020年9月27日閲覧