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[[福岡県]][[久留米市]]に生まれる。[[慶應義塾大学]][[経済学部]]卒業後、[[三井物産]]勤務を経て、父・楢橋渡[[秘書]]。[[1973年]]に父・渡が死去し、父と[[荒木万寿夫]]の死去に伴う空席を埋める衆議院議員[[補欠選挙]]([[福岡県第3区 (中選挙区)|福岡3区]])に[[自由民主党 (日本)|自民党]]公認で出馬。当選を果たし以降衆議院議員を4期務め、[[政策科学研究所|中曽根派]]に属した。この間、[[第2次大平内閣]]で[[運輸省|運輸]][[政務次官]]・[[第1次中曽根内閣]]で[[農林水産省|農林水産]]政務次官に就任している。 |
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[[第37回衆議院議員総選挙|1983年総選挙]]では保守乱立の煽りから次々点で落選。返り咲きを目指した[[第38回衆議院議員総選挙|1986年総選挙]]では党の公認を得られず、[[日本共産党]]の公認候補の得票をも下回った[[法定得票数]]にも満たない惨敗に終わった。 |
2023年1月9日 (月) 23:26時点における最新版
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楢橋 進(ならはし すすむ、1934年6月3日 - 1990年1月11日)は、昭和期の政治家。元運輸大臣、元衆議院議員の楢橋渡は実父。
来歴・人物
[編集]福岡県久留米市に生まれる。慶應義塾大学経済学部卒業後、三井物産勤務を経て、父・楢橋渡秘書。1973年に父・渡が死去し、父と荒木万寿夫の死去に伴う空席を埋める衆議院議員補欠選挙(福岡3区)に自民党公認で出馬。当選を果たし以降衆議院議員を4期務め、中曽根派に属した。この間、第2次大平内閣で運輸政務次官・第1次中曽根内閣で農林水産政務次官に就任している。
1983年総選挙では保守乱立の煽りから次々点で落選。返り咲きを目指した1986年総選挙では党の公認を得られず、日本共産党の公認候補の得票をも下回った法定得票数にも満たない惨敗に終わった。
1990年1月11日死去。享年55。
参考文献
[編集]- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。