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=== 個人タイトル === |
=== 個人タイトル === |
2023年2月12日 (日) 01:34時点における版
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2021年のモドリッチ | ||||||
名前 | ||||||
本名 | ルカ・モドリッチ | |||||
愛称 |
el Cruyff de los Balcanes(バルカンのクライフ)[1] Maestro(巨匠)[2] El Pájaro(鳥)[3] | |||||
ラテン文字 | Luka Modrić | |||||
キリル文字 | Лука Модрић | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | クロアチア | |||||
生年月日 | 1985年9月9日(39歳) | |||||
出身地 | ユーゴスラビア社会主義連邦共和国 ザダル | |||||
身長 | 172cm[4] | |||||
体重 | 66.2kg[4] | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | レアル・マドリード | |||||
ポジション | MF[4] | |||||
背番号 | 10[4] | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1996–2001 | NKザダル | |||||
2002-2003 | NKディナモ・ザグレブ | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2003-2008 | ディナモ・ザグレブ | 112 | (31) | |||
2003-2004 | → ズリニスキ・モスタル (loan) | 22 | (8) | |||
2004-2005 | → インテル・ザプレシッチ (loan) | 18 | (4) | |||
2008-2012 | トッテナム | 127 | (13) | |||
2012- | レアル・マドリード | 436 | (31) | |||
代表歴2 | ||||||
2001 | クロアチア U-15 | 2 | (0) | |||
2001 | クロアチア U-17 | 2 | (0) | |||
2003 | クロアチア U-18 | 7 | (0) | |||
2003-2004 | クロアチア U-19 | 11 | (1) | |||
2004-2005 | クロアチア U-21 | 15 | (2) | |||
2006- | クロアチア | 159 | (23) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2022年5月29日現在。 2. 2022年12月5日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ルカ・モドリッチ(Luka Modrić; クロアチア語発音: [lûːka mǒːdrit͡ɕ]、1985年9月9日 - )は、ユーゴスラビア(現クロアチア)、ヴェレビト山脈・ザトン・オブロヴァチュキ村出身[5]のサッカー選手。レアル・マドリード所属。クロアチア代表。ポジションはミッドフィールダー[4]。
山脈にある人口500人ほどの村で育ち[6]、6歳でクロアチア紛争とボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の泥沼化に巻き込まれ、18歳まで難民生活をしていた[7]。紛争中、父はクロアチア軍の車の整備士、母は織物労働者であった[8]。
地元クラブであるNKザダルのユース出身で、2002年に国内の強豪クラブであるNKディナモ・ザグレブへの移籍が転機となる。入団後すぐにクオリティーの高さを見せつけ、クラブはすぐに契約を10年延長。クラブ職員によって多くの成長補助食品も与えられ、コンプレックスであった身長もゆっくりと成長していった[9]。
その後、HŠKズリニスキ・モスタル、NKインテル・ザプレシッチへのレンタル移籍を経て2005年にディナモ・ザグレブのトップチームデビューした。
2008年からはプレミアリーグに活躍の場を移し、トッテナム・ホットスパーFCではスコット・パーカーやガレス・ベイルらとチームを牽引した[10]。2012年にレアル・マドリードへ移籍、UEFAチャンピオンズリーグ優勝などのタイトルを獲得した。
2018 FIFAワールドカップではクロアチアを初の準優勝に導き、大会MVPにあたるゴールデンボールを受賞した[11]。
クロアチア年間最優秀選手賞に最多となる9度選出されているほか、2015年にFIFA/FIFProワールドイレブン、2016年にはUEFAチーム・オブ・ザ・イヤーにクロアチア人で初めて選ばれた。2018年、東ヨーロッパ出身選手で初めてUEFA欧州最優秀選手賞、FIFA最優秀選手賞を受賞し、クロアチア人初となるバロンドールにも選ばれた[12]。
クラブ経歴
クロアチア時代
1985年、旧ユーゴスラビアのザダル郊外にあるモドリッチという名前の村で生まれた[13]。1991年、クロアチアが独立を宣言し、クロアチア紛争が始まると故郷は戦場となり、祖父をセルビア民兵に殺害された[13]。この事件に関しては「あまり話したくない」としている[14]。また、名前の“ルカ”は祖父の名前から来ている[15]。一家はザダルへ逃れ、難民が暮らすホテルで仮住まいを始め、6歳のモドリッチ少年はホテルの駐車場でサッカーに熱中した[16]。クロアチア代表でも活躍していたズボニミール・ボバンのファンであり、当時ボバンも所属していたACミランでのプレーを夢見ていた[17]。
10歳の頃にハイドゥク・スプリトのトライアルを受けるも、華奢で力がなさすぎるという理由から不合格となり[18]、その後地元クラブのNKザダルの下部組織に入団した。16歳でディナモ・ザグレブの下部組織に移籍する。
18歳でトップチームに昇格し10年間のプロ契約を結び、故郷にアパートを買って一家の難民生活にピリオドを打った[7]。同じポジションにニコ・クラニチャールが居たため、HŠKズリニスキ・モスタルにレンタル移籍。ここでは18歳ながらキャプテンを務め年間MVPの活躍を見せるものの、ディナモへの復帰は叶わず、翌年NKインテル・ザプレシッチに再びレンタルに出された。ザプレシッチではタイトル争いに大きく貢献し[18]、最終的にクラブをリーグ2位へ導くと年間最優秀若手選手賞を受賞した[19]。
転機が訪れたのはクラニチャールがハイデュク・スプリトに移籍してから。2005年1月にディナモへ急きょ呼び戻されると、ヨジップ・クゼ監督の下、エドゥアルド・ダ・シルヴァ、ヴェドラン・チョルルカ、オグニェン・ヴコイェヴィッチらとともに、リーグ優勝を達成。モドリッチもチーム内で確固たる地位を築き、リーグ3連覇に貢献。2007年にはリーグ年間最優秀選手に選出された。
トッテナム・ホットスパー
2008年5月30日にトッテナム・ホットスパーFCへ同クラブの当時史上最高額となる移籍金2300万ユーロで移籍[20]。
8月16日のミドルスブラFCとの開幕戦でプレミアリーグデビュー[21]。ファンデ・ラモス監督の下では中盤の底で司令塔としての役割を求められたものの、プレミアリーグに適応できない中での不慣れなポジションでのプレーとあり、また膝の怪我もあり低調なパフォーマンスが続いた[22][23]。しかし10月末にファンデ・ラモスが解任されハリー・レドナップが就任すると、セントラルハーフや左サイドでプレーするようになり、レギュラーに定着。2008年12月18日のUEFAカップ、FCスパルタク・モスクワ戦で移籍後初得点を挙げると[24]、その3日後にはニューカッスル・ユナイテッドFC戦でプレミアリーグ初得点を挙げた[25]。移籍初年度から計44試合に出場し、5得点を挙げた。
2009-10シーズンもレギュラーとしてスタートしたものの、2009年8月29日のバーミンガム・シティFC戦でリー・ボウヤーと接触し右足の腓骨を骨折[26]。当初は6週間の離脱とみられたが[27] 復帰は遅れ、12月にようやく戦列に復帰した[28]。復帰後はトッテナム躍進の原動力となり、クラブ史上初のUEFAチャンピオンズリーグ出場権獲得に貢献した[22]。シーズン終了後、トッテナムと新たに6年契約を結んだ[29]。
2010-11シーズンは自身初めてチャンピオンズリーグ本戦に進んだ。2010年9月29日のグループリーグ第2節、ホームでのFCトゥウェンテ戦でチャンピオンズリーグ初出場を果たし、ガレス・ベイルの得点を導くなど4-1の大勝に貢献[30]。続く10月20日のアウェーでのインテル戦ではゴメスの退場により前半11分で交代となるも[31]、11月2日のホームでのインテル戦ではラファエル・ファン・デル・ファールトの先制点をアシストし、3-1での勝利に貢献[22]。続く11月24日のヴェルダー・ブレーメン戦ではチャンピオンズリーグ初得点を挙げた[32]。チャンピオンズリーグでは8試合に出場し、グループリーグ首位通過と初のベスト8進出に貢献した。プレミアリーグでは32試合に出場し、パス成功数とインターセプト数でリーグベスト3に入る活躍をみせた[22]。トッテナムは2シーズン連続のチャンピオンズリーグ出場権獲得は逃したものの5位につけ、UEFAヨーロッパリーグ出場権を獲得した。これらの活躍により、プレミアリーグで最もクリエイティブな選手の1人という評価を得た[33]。
2012年夏の移籍市場では、レアル・マドリードがモドリッチへ強い関心を示した。モドリッチ自身も移籍を希望し、練習の欠場やアメリカ遠征を辞退した[34]。プレシーズンツアーに参加しなかったモドリッチに対し、クラブは罰金を課した[35]。
レアル・マドリード
2012年8月27日にレアル・マドリードへの移籍を発表した。契約は5年間で、移籍金は推定4200万ユーロ。モドリッチ移籍と同じタイミングでトッテナムとレアル・マドリードが提携契約を締結、レアル・マドリードのフロレンティーノ・ペレス会長は「我々両クラブの強固で親密な関係が、長期的なパートナーシップの締結とルカ・モドリッチの移籍につながった。ルカを歓迎し、今後トッテナムと密接に協力していくことを楽しみにしている」と語り、トッテナムのダニエル・レヴィ会長は「ルカは我々にとって素晴らしい選手だった。彼を手放すのは本望ではないが、移籍先がマドリーであることに満足している。また、マドリーと長期的かつ生産的なパートナーシップを共有することを楽しみにしている」と語った[36]。
8月29日、FCバルセロナとのスーペルコパ・デ・エスパーニャ第2戦で途中出場し、レアル・マドリードデビューした。試合は2-1でレアル・マドリードが勝利し、移籍後およそ36時間後にスペインでの初タイトルを手にした。しかし、移籍初年度はマルカ読者によりシーズン最悪の補強に選ばれるなど、厳しい批判に晒される不本意なシーズンとなった[37]。2013年にカルロ・アンチェロッティが監督に就任すると先発の地位を確立[38]、翌シーズンにはリーグ最優秀ミッドフィールダーに選ばれるなど[39]重要な選手の1人となった[40]。レアル・マドリードでの100試合目となるUEFAチャンピオンズリーグのバイエルン・ミュンヘン戦ではアシストを記録して4-0での大勝に貢献し、決勝においてもコーナーキックからセルヒオ・ラモスの同点ゴールをアシストした。チャンピオンズリーグの優勝を祝ってトレードマークでもあった長髪を切り、エスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウでのセレモニーでは短髪で姿を表した[41]。
2014年夏の移籍市場では中盤で共にプレーをしていたアンヘル・ディ・マリアとシャビ・アロンソが揃って移籍し、入れ替わるようにトニ・クロースが加入。アンチェロッティは10番タイプであるモドリッチとクロースを中盤の底で併用した[42]。前シーズンにチャンピオンズリーグ優勝の立役者の一人となったモドリッチだが、11月に行われたEURO予選のイタリア戦で大腿部を負傷したことによってFIFAクラブワールドカップに参加することは出来なかった。2015年3月10日、チャンピオンズリーグのシャルケ04戦で戦線復帰[43]。チャンピオンズリーグ準々決勝となったアトレティコ・マドリード戦前、アトレティコのディエゴ・シメオネ監督は「モドリッチの復帰によりチームの中盤はアグレッシブかつダイナミックになる。彼はレアル・マドリードの物凄いポテンシャルを一段と高めることができる」と影響力の高さに言及した[44]。しかし、4月18日のマラガCF戦で靭帯を損傷したことにより再び長期離脱を強いられた[45]。チャンピオンズリーグ決勝に向けての復帰を目指していたが、チームはベスト4で敗退しシーズン中の復帰は叶わなかった。
2015-16シーズンは2年ぶりとなるチャンピオンズリーグ優勝を手にした。自身2度目となるリーグ最優秀MFに選ばれたほか、FIFProからは2015年のベストイレブンに選出された。また、成績不振によりシーズン途中に解任されたラファエル・ベニテスに代わり監督に就任したジネディーヌ・ジダンの初陣でデポルティーボ・ラ・コルーニャに大勝した後、「監督交代は良いものだった」とのコメントを残した[46]。
2016年10月18日、レアル・マドリードとの契約を2020年まで契約を延長したことが発表された[47]。
FIFAクラブワールドカップでも2試合連続で先発出場し、大会シルバーボールに選ばれた[48]。2016年には2年連続となるFIFProベストイレブンに選ばれたほか、UEFAチーム・オブ・ザ・イヤーにも初選出された。2016-17シーズンはプリメーラ・ディビシオン制覇、前年に続きチャンピオンズリーグ連覇に貢献した。その活躍により、チャンピオンズリーグの大会最優秀MFに選ばれた。
2017年7月、ハメス・ロドリゲスの後を継ぎ、ルイス・フィーゴ以降着用した選手が期待外れもしくは不本意な形で退団していることから呪われた番号とも呼ばれている10番を着用することが決定した[49]。モドリッチは19番へ愛着を持ちながらも「10番が空くことが分かった時、このチャンスを逃す訳にはいかないと思った。なぜなら、自分が最も好きな番号だからだ」と語った[50]。
8月13日に行われたスーペルコパ第1戦は、3年前の同大会でレッドカードを受けたことから出場することができなかった[51]。シーズン途中に発表されたザ・ベスト・FIFAフットボールアウォーズでは6位、バロンドールでは5位に入り、それぞれ自己最高位且つミッドフィールダー最高位となった。同シーズンのUEFAチャンピオンズリーグにおいても優勝、チームメイトのクリスティアーノ・ロナウド、クロース、ラモス、マルセロらとともに3年連続で優秀選手に選ばれるなどレアル・マドリードのUEFAチャンピオンズリーグ3連覇に貢献した。
UEFAチャンピオンズリーグ3連覇やFIFAワールドカップ準優勝が評価され、同年のUEFA欧州最優秀選手賞、FIFA最優秀選手賞を受賞したほか、長年ロナウドとリオネル・メッシの独占状態にあったバロンドールにおいても、2007年のカカ以来11年ぶりとなる2選手以外の受賞者となった[52]。授賞式にてモドリッチもそのことに触れ、シャビ・エルナンデスやアンドレス・イニエスタ、ヴェスレイ・スナイデルらも本来バロンドールを獲れる選手であったと語った[53]。その他、クロアチアのスポーツ記者によるクロアチア年間最優秀アスリートや、ブルガリア通信社が主催するバルカン半島年間最優秀スポーツ選手にも選ばれた[54][55]。
2019年3月6日史上初の4連覇を目指して臨んだUEFAチャンピオンズリーグではラウンド16のアヤックス戦で敗退し、ベスト16に終わる[56]。2018-19シーズンの獲得タイトルはFIFAクラブワールドカップのみに終わり、モドリッチ自身も不調に陥った[57]。翌2019-20シーズンには、フェデリコ・バルベルデのブレイクもあり一時出場機会が減少したが[58][59][60]、新型コロナウイルスの流行に伴う中断後は再び高いパフォーマンスを披露、シーズン5得点、リーグ7アシストと共にレアル・マドリード加入以降でキャリアハイとなる数字を記録し[61]、ラ・リーガ優勝に貢献した[62]。
2020-21シーズンにはモドリッチの後継者候補と目されていたマルティン・ウーデゴールがレアル・ソシエダから復帰し、バルベルデも含めた若手選手とのポジション争いや世代交代にも注目が集まった。しかし、モドリッチはドリブル、パス、守備など様々なスタッツで昨季を上回るパフォーマンスを見せて出場機会を確保した[63][64][65]。シーズン終了後、2021年6月末までとなっていたレアル・マドリードとの契約を一年延長した[66]。
2021-22シーズンは、フェデリコ・バルベルデの台頭やフランスの新星エドゥアルド・カマヴィンガの加入、チームのハイプレス戦術により、ベテランのモドリッチはシーズン序盤は出場機会が限られた。しかし、シーズン途中からカゼミーロ、モドリッチ、クロースのUEFAチャンピオンズリーグ3連覇メンバーが中盤に固定化されたことで、例年同様出場機会を増やした。シーズンを通して36歳ながら高いパフォーマンスを披露し、チームの35度目のリーグ優勝、14度目のUEFAチャンピオンズリーグ優勝の2冠に大きく貢献した。とりわけ、UEFAチャンピオンズリーグでは、ラウンド16パリ・サンジェルマン戦2ndレグでのドリブルからの2点目のアシスト、準々決勝チェルシー戦2ndレグでは得意のアウトサイドパスでロドリゴの同点ゴールをアシストするなど、大逆転が続いたチームで決定的な活躍を見せ、UEFAチャンピオンズリーグ制覇の立役者の一人となった。大会終了後、UEFA公式のチャンピオンズリーグベスト11に選出された。シーズン終了後には2022年6月末までとなっていたレアル・マドリードとの契約を再び1年延長したことが発表された。このシーズン36歳にしてこれまでのキャリアで最高のシーズン10アシストを決めた[67]。
2022-23シーズン、チャンピオンズリーググループステージ、セルティックFC戦でレアル・マドリードの選手として大会100試合出場を果たし、その試合で得点も挙げた[68]。
代表経歴
各世代の代表に選出後、2006年3月1日のアルゼンチンとの親善試合でフル代表デビュー。ドイツワールドカップのメンバーにも選出されるが、同じポジションのニコ・クラニチャールも選出されたため、グループリーグの日本戦とオーストラリア戦に途中出場したのみに終わった。
監督がスラヴェン・ビリッチに交代すると、それまでより1列下がったポジションを任され、代表のレギュラーに定着。ニコ・クラニチャールとの共存にも成功する。ワールドカップ後最初の試合となった、世界王者のイタリアとの親善試合で代表初得点を記録。EURO2008予選で全試合に出場し、アウェーでのイングランド戦ではドリブルで数々のチャンスを作り出しクロアチアの本戦出場に貢献するとともに、イングランドを予選敗退に追い込んだ[19]。
EURO2008ではグループリーグ初戦の開催国オーストリア戦でPKにより決勝点を記録[69]。グループリーグ第2戦のドイツ戦ではマン・オブ・ザ・マッチに選ばれる活躍で金星に貢献。準々決勝のトルコ戦では延長後半14分にイヴァン・クラスニッチの先制点をアシストしたものの直後に同点とされ、PK戦では最初のキッカーとして失敗し、チームはベスト8で敗退した[70]。しかし「EURO2008最大の収穫」と評される活躍により、自身はUEFA選定大会優秀選手に選ばれた[71]。
UEFA EURO 2012予選では全ての試合に出場し、本大会出場権を獲得する。グループリーグ初戦のアイルランド戦では勝利するも、第2戦イタリア戦で引き分け、最終戦であるスペイン戦で敗れた。その結果、イタリアと勝ち点1差でグループリーグ敗退となった。2年後のワールドカップにおいても、開幕戦でブラジルに敗れるなど1勝2敗となり、グループリーグ突破はならなかった。
EURO2016では、初戦となるトルコ戦でボレーシュートを決め、スペイン戦ではセルヒオ・ラモスのキックの癖をダニエル・スバシッチに伝えPK阻止に導くなど[72] グループステージ突破に貢献。しかし、決勝トーナメントでは延長の末ポルトガルに敗れた。大会終了後に代表を引退したダリヨ・スルナに代わって、2016年以降はクロアチア代表のキャプテンに就任した[73]。
2017年10月6日、2018年W杯予選のフィンランド戦にて代表100試合出場を達成した。
2018年W杯本戦では、グループリーグ初戦ナイジェリア戦、2戦目のアルゼンチン戦と2試合連続で得点を奪うなど勝利に貢献し、2試合連続でマン・オブ・ザ・マッチに選ばれた。決勝トーナメント第1戦となるデンマーク戦では1-1で迎えた延長線終盤にアンテ・レビッチへのスルーパスからPKを獲得するも、カスパー・シュマイケルに阻まれた。その後のPK戦では3人目のキッカーを務めると、ゴール正面へのシュートを決めて成功させた[74]。出場した7試合中3試合でマン・オブ・ザ・マッチに選ばれるなどクロアチア代表を牽引し、代表を史上最高位となる準優勝に導くとともに大会最優秀選手にも選ばれた。
UEFAネーションズリーグ第1回大会となる2018-19シーズンでも引き続きキャプテンを務めた。初戦のスペイン戦では6-0と敗戦を喫すると、4戦で1勝2敗1分でリーグBに降格となった。
2021年3月27日に行われた2022年W杯予選のキプロス戦で、クロアチア代表最多となる135試合目の出場を達成した[75]。2021年、ユーロ2020ではグループリーグ第3戦のスコットランド戦では決勝ゴールとなったミドルシュートで得点を奪うと、CKからペリシッチのゴールをアシスト、決勝トーナメント進出に貢献した[76]。
2022年カタールワールドカップのクロアチア代表のメンバーとして選ばれた。グループを2位で通過、日本戦、ブラジル戦とPK戦の末、勝ち進んだが、準決勝でアルゼンチンに敗れ、2大会連続となる決勝進出とはならなかった。3位決定戦に回ったクロアチア代表はモロッコに2-1で勝利し、大会を3位で終えた。また、ブロンズボールを受賞した。
人物
プレースタイル
10代の頃は典型的な10番の攻撃的MFとして年代別代表でプレーしていたが、ディナモ・ザグレブ時代の2度のレンタル移籍を経てハードワーカーとしての資質も身につけ、20代半ばよりボランチやサイドハーフもこなす攻守万能のプレーヤーとして新境地を開拓した[7]。
高いボールテクニックを持ち両足で精度の高いボールコントロールが可能で、長短織り交ぜたパスでボールを散らしたりFWへの楔のパスなど鮮やかなキックを持つ。特にコントロールは難しいがタイミングや軌道を相手に読まれにくいアウトサイドでのパス技術は際立ち、試合でも多用している[77][78][79]。高いパス成功率もさることながら運ぶドリブルにも優れ、ボールを確実に前に動かしてチームに有利な状況を生み出す中盤の羅針盤の役割を果たす[80][81][82]。その他にも強烈なミドルシュートを備えており、得点の多くはペナルティエリア外からのものである[83]。
また、オフ・ザ・ボールの動きにも優れ[22]、その優れた戦術眼や戦略プランによるゲーム作りは、オーケストラの指揮者[84] や傀儡子[85]、魔法使い[86] などにたとえられる。
小柄で線は細いが的確な読みと激しい寄せで守備にも貢献できる。2010-11シーズンのプレミアリーグでパス成功数とインターセプト数の両方でベスト3に入り、スペインリーグでもトップクラスのインターセプト数を記録するなど、巧さとしぶとさを兼ね備え攻守に高いレベルでプレーができる[22][38][87]。2016-17シーズン、カンプ・ノウでのエル・クラシコにおいて中盤の底のポジションで起用されたモドリッチは、守備の名手で知られるエンゴロ・カンテ以上とも称えられるプレーを披露した[88]。
HŠKズリニスキ・モスタル時代にプレミイェル・リーガ特有の激しくダーティなプレーの中で、心身の強さを培った[19]。モドリッチ自身も「ボスニアでプレーしたなら世界のどこでもプレーできる」と語っている[22]。
人となり
日頃は寡黙であり、チームメイトによれば、モドリッチは鋭い観察眼の持ち主で、普段はいたって無口だと言われる。ロッカールームではフクロウのように静かに鋭い視線を送って、周囲で起こっているありとあらゆる出来事を観察しているという[82]。しかしながらピッチ上では言動やプレーで周囲を引っ張るリーダーであり[82]、2018年W杯の際にはクロアチアサッカー連盟の会長を務めるダヴォール・シューケルから「延長戦でもあらゆるボールに飛び込んでいく。ルカは我々のリーダーであり、こういう選手がいるのは大きい」と常にファイトする姿勢を称賛された[89]。
自分のことを話すのを得意としないためインタビュアー泣かせの選手と言われるが、一方でピッチ上では激情の持ち主であり、レアル・マドリードのチームメイトからはスペイン語で「怒りっぽい人」「不機嫌な人」を意味するビネガーと揶揄されている。モドリッチ自身、「自分はおとなしい性格だけど、ピッチに立つと不思議と臆病さが消える。たぶん、サッカーが僕の心を熱くして、”変身”することができるのさ。日々の練習も、試合も、ボールを蹴るのは楽しくて仕方ない。負けるのは嫌いだけどね」と語っている[90]。
評価
ダレン・アンダートンはモドリッチがトッププレーヤーであり、ポール・スコールズの完璧な後継者となり得ると賞賛[91]。ライアン・ギグスもまた、スコールズの真の後継者としてモドリッチを指名した[92]。スコールズ本人も自身に近い選手としてモドリッチの名前を挙げているが、ゲームをコントロールする部分には同じ特徴を感じながらもスピードや突破力での違いを指摘しており、レアル・マドリードのチームメイトであるトニ・クロースをより近い存在として語っている[93]。ジョン・テリーはモドリッチを「対戦するのが難しいワールドクラスのプレイヤーで、機敏な素晴らしいフィニッシャー」と賞賛した[94]。
歳も近く、小柄でありながら同時期にレアル・マドリードとFCバルセロナの中盤に君臨していたアンドレス・イニエスタとは度々比較されている[95][96]。トッテナム時代の恩師であるハリー・レドナップはモドリッチを「模範的で、違うレベルのプレーヤー」と表現し[22]、そのプレーやサッカーへの真面目な姿勢、プロ意識を高く評価するなどベイルらとともに「代えの利かない売却不可能な選手」であるとしている[97][98][99]。息子のジェイミー・レドナップもモドリッチを世界最高のミッドフィールダーであるとし、シャビ・エルナンデスやイニエスタによって狭いスペースでもボールをさばける確かなテクニック、ドリブル、パスとあらゆる要素が求められ世界最高のミッドフィールダーのハードルが高くなったが、モドリッチはそれらの要素に加えクロアチア代表時の決定力などにより再びそのハードルを上げたと語った[100]。
トッテナム・ホットスパーで同僚だったディミタール・ベルバトフはモドリッチを「イニエスタやシャビと同等の領域におり、過去10年間における最高のMFを3人挙げるとすれば、彼はその中に間違いなく入ってくるだろう」と語っている[101]。クロアチア代表でモドリッチと、FCバルセロナでイニエスタと共にプレーしたイヴァン・ラキティッチは「彼らはどちらともそのポジションにおけるベストな選手であり、別の惑星から来た選手たち」と評している[102]。
かつてNKディナモ・ザグレブやレアル・マドリードでプレーした同郷のロベルト・プロシネチキは「テクニックと判断力を兼ね備えたうえ、強い意志を持った本物のミッドフィルダー」と評し[103]、歴代最高のクロアチア人選手と主張している[104]。同じく同郷のズボニミール・ボバンはEURO 2012でのイタリア戦前に「イタリアにおけるピルロのように極めて重要な選手であり、モドリッチ抜きのクロアチアは想像できない。試合を読む力が素晴らしく、チームリーダーとしての自覚も高い」と語った[105]。
フロレンティーノ・ペレスからの信頼も厚く、同じくクロアチア代表マテオ・コヴァチッチの獲得もモドリッチによる進言から実現した[82]。
- バロンドール投票
年 順位 ポイント 所属クラブ 2016 17位 1 レアル・マドリード 2017 5位 84 レアル・マドリード 2018 1位 753 レアル・マドリード 2021 29位 得票なし レアル・マドリード 2022 9位 20 レアル・マドリード
エピソード
そのプレーや容姿からヨハン・クライフと比較され、モドリッチもトッテナム・ホットスパーやクロアチア代表ではクライフの代名詞でもある背番号14番を背負ってプレーしたほか、クライフが亡くなった2016年3月にはSNSにてクライフの名前が入ったオランダ代表の14番ユニフォームと共に写った写真を投稿し哀悼の意を表わした[19][106]。憧れの選手として、クライフや母国の選手であるボバンのほかフランチェスコ・トッティの名を挙げている[107]。
ズドラヴコ・マミッチ副会長を中心としたクロアチアサッカー連盟の腐敗によりサポーターがクロアチア代表へ強い不信感を持っていた時期があり、NKディナモ・ザグレブの経営にも参画していたマミッチは売却時の50%の移籍金を選手側に分割する条項を契約に盛り込んだ上で選手には全額拒否の宣言書を書かせることでマミッチが横領する詐欺行為を行っていたことで懲役6年半の判決が下った。その選手の中にはモドリッチも含まれており、サポーターの中にはモドリッチの名前に拒否反応を示す者もあらわれた。しかし、マミッチとの騒動に巻き込まれる中で迎えた2018年のFIFAワールドカップではクロアチアを決勝に導いたことで母国凱旋時には数千人のサポーターがモドリッチを称え、クロアチアの英雄としての地位を確立した[108][109]。
試合に臨むときには必ず左足からスパイクを履き、18歳のときに父からもらい受けた十字架のネックレスを外すことをルーティーンとしている[90]。
モドリッチはスペインの税務局から、ルクセンブルクに妻ヴァンニャ名義で設立したペーパーカンパニーを通じて、2013年から2014年にかけて合計87万728ユーロを脱税したと告発されていた。モドリッチは禁錮8カ月の罪を認めて、脱税額の40%となる34万8291ユーロの罰金を支払うことで検察当局と合意した。また、ほかの選手と同様に禁固1日につき250ユーロ、合計6万ユーロを支払うことで収監を免れた[110]。
ロドリゴのレアル・マドリード加入時、ロドリゴの父親が自分の1歳上と知ったモドリッチは驚きつつも「じゃあ、僕に敬意を払いなよ。僕は君の父親くらい年上なんだから」と話した。それ以来ロドリゴのことを息子と呼んで親子のような関係を築いている[111]。
個人成績
クラブ
- 2020年9月20日現在
クラブ | シーズン | リーグ | リーグ戦 | カップ戦 | 国際大会 | その他 | 合計 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | |||
HŠKズリニスキ・モスタル | 2003-04 | プレミイェル | 25 | 8 | – | – | 0 | 0 | 25 | 8 | ||
通算 | 25 | 8 | - | - | 0 | 0 | 25 | 8 | ||||
NKインテル・ザプレシッチ | 2004-05 | プルヴァHNL | 18 | 4 | – | – | 0 | 0 | 18 | 4 | ||
通算 | 18 | 4 | - | - | 0 | 0 | 18 | 4 | ||||
ディナモ・ザグレブ | 2004-05 | プルヴァHNL | 7 | 0 | 1 | 0 | – | 0 | 0 | 8 | 0 | |
2005-06 | 32 | 7 | 1 | 0 | – | 0 | 0 | 33 | 7 | |||
2006-07 | 30 | 6 | 8 | 2 | 6 | 0 | 0 | 0 | 44 | 8 | ||
2007-08 | 25 | 13 | 8 | 1 | 10 | 3 | 0 | 0 | 43 | 17 | ||
通算 | 94 | 26 | 18 | 3 | 16 | 3 | 0 | 0 | 128 | 32 | ||
トッテナム・ホットスパーFC | 2008-09 | プレミアリーグ | 34 | 3 | 6 | 1 | 4 | 1 | 0 | 0 | 44 | 5 |
2009-10 | 25 | 3 | 7 | 0 | - | 0 | 0 | 32 | 3 | |||
2010-11 | 32 | 3 | 2 | 0 | 9 | 1 | 0 | 0 | 43 | 4 | ||
2011-12 | 36 | 4 | 2 | 0 | 2 | 1 | 0 | 0 | 40 | 5 | ||
通算 | 127 | 13 | 17 | 1 | 15 | 3 | 0 | 0 | 159 | 17 | ||
レアル・マドリード | 2012-13 | プリメーラ | 33 | 3 | 9 | 0 | 11 | 1 | 0 | 0 | 53 | 4 |
2013-14 | 34 | 1 | 6 | 0 | 11 | 1 | 0 | 0 | 51 | 2 | ||
2014-15 | 16 | 1 | 2 | 0 | 7 | 0 | 0 | 0 | 25 | 1 | ||
2015-16 | 32 | 2 | - | 12 | 1 | 0 | 0 | 44 | 3 | |||
2016-17 | 25 | 1 | 2 | 0 | 14 | 0 | 0 | 0 | 41 | 1 | ||
2017-18 | 26 | 1 | 3 | 0 | 14 | 1 | 0 | 0 | 43 | 2 | ||
2018-19 | 34 | 3 | 3 | 0 | 9 | 1 | 0 | 0 | 46 | 4 | ||
2019-20 | 31 | 3 | 3 | 1 | 6 | 1 | 0 | 0 | 40 | 5 | ||
2020-21 | 35 | 5 | 1 | 0 | 12 | 1 | 0 | 0 | 48 | 6 | ||
2021-22 | 28 | 2 | 4 | 1 | 13 | 0 | 0 | 0 | 45 | 3 | ||
通算 | 294 | 22 | 33 | 2 | 109 | 7 | 0 | 0 | 436 | 31 | ||
総通算 | 558 | 73 | 68 | 6 | 140 | 13 | 0 | 0 | 766 | 92 |
代表
国際Aマッチ 154試合 23得点(2006年- )
クロアチア代表 | 国際Aマッチ | |
---|---|---|
年 | 出場 | 得点 |
2006 | 12 | 2 |
2007 | 10 | 1 |
2008 | 11 | 3 |
2009 | 3 | 1 |
2010 | 8 | 0 |
2011 | 9 | 1 |
2012 | 9 | 0 |
2013 | 10 | 0 |
2014 | 11 | 2 |
2015 | 4 | 0 |
2016 | 8 | 1 |
2017 | 8 | 1 |
2018 | 15 | 2 |
2019 | 9 | 2 |
2020 | 6 | 0 |
2021 | 13 | 4 |
2022 | 8 | 3 |
通算 | 154 | 23 |
# | 日時 | 場所 | 対戦相手 | スコア | 最終結果 | 大会 |
---|---|---|---|---|---|---|
1. | 2006年8月16日 | スタディオ・アルマンド・ピッキ、リヴォルノ | イタリア | 親善試合 | ||
2. | 2006年10月7日 | スタディオン・マクシミール、ザグレブ | アンドラ | UEFA EURO 2008予選 | ||
3. | 2007年2月7日 | スタディオン・カントゥリダ、リエカ | ノルウェー | 親善試合 | ||
4. | 2008年6月8日 | エルンスト・ハッペル・シュターディオン、ウィーン | オーストリア | UEFA EURO 2008 | ||
5. | 2008年9月6日 | スタディオン・マクシミール、ザグレブ | カザフスタン | 2010 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選 | ||
6. | 2008年10月15日 | アンドラ | ||||
7. | 2009年6月6日 | ウクライナ | ||||
8. | 2011年9月6日 | イスラエル | UEFA EURO 2012予選 | |||
9. | 2014年9月9日 | マルタ | UEFA EURO 2016予選 | |||
10. | 2014年10月13日 | スタディオン・グラドスキ・ヴルト、オシエク | アゼルバイジャン | |||
11. | 2016年6月12日 | パルク・デ・プランス、パリ | トルコ | UEFA EURO 2016 | ||
12. | 2017年11月9日 | スタディオン・マクシミール、ザグレブ | ギリシャ | 2018 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選プレーオフ | ||
13. | 2018年6月17日 | カリーニングラード・スタジアム | ナイジェリア | 2018 FIFAワールドカップ | ||
14. | 2018年6月21日 | ニジニ・ノヴゴロド・スタジアム | アルゼンチン | |||
15. | 2019年9月9日 | en:Eighth Kilometer District Stadium、バクー | アゼルバイジャン | UEFA EURO 2020予選 | ||
16. | 2019年10月10日 | スタディオン・ポリュド、スプリト | ハンガリー | |||
17. | 2021年3月30日 | スタディオン・リュイェヴィツァ、リエカ | マルタ | 2–0 |
3–0 |
2022 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選 |
獲得タイトル
クラブタイトル
- ディナモ・ザグレブ
- プルヴァHNL:3回 (2005-06, 2006-07, 2007-08)
- クロアチアカップ:2回 (2007, 2008)
- クロアチアスーパーカップ:1回 (2006)
- レアル・マドリード
- プリメーラ・ディビシオン:3回(2016-17, 2019-20, 2021-22)
- コパ・デル・レイ:1回: (2013-14)
- スーペルコパ・デ・エスパーニャ:4回 (2012, 2017, 2019, 2022)
- UEFAチャンピオンズリーグ:5回 (2013-14, 2015-16, 2016-17, 2017-18, 2021-22)
- UEFAスーパーカップ:4回 (2014, 2016, 2017, 2022)
- FIFAクラブワールドカップ:5回 (2014, 2016, 2017, 2018, 2023)
個人タイトル
- プレミイェル・リーガ最優秀選手:2003
- クロアチア年間最優秀若手選手:2004
- プルヴァHNL年間最優秀選手:2007
- クロアチア年間最優秀選手:2007, 2008, 2011, 2014, 2016, 2017, 2018, 2019, 2020
- UEFA欧州選手権大会優秀選手:2008
- トッテナム・ホットスパーFCシーズン最優秀選手:2010-11
- リーガ最優秀ミッドフィールダー:2013-14, 2015-16
- UEFAチャンピオンズリーグ チーム・オブ・ザ・シーズン:2013-14, 2015-16, 2016-17, 2017-18, 2021-22
- FIFA/FIFProワールドイレブン:2015, 2016, 2017, 2018
- UEFAチーム・オブ・ザ・イヤー:2016, 2017, 2018
- FIFAクラブワールドカップゴールデンボール:2017
- FIFAクラブワールドカップシルバーボール:2016
- UEFAチャンピオンズリーグ最優秀MF:2016-17, 2017-18
- FIFAワールドカップゴールデンボール:2018
- FIFAワールドカップ ドリームチーム:2018[112]
- UEFA欧州最優秀選手賞:2018
- FIFA最優秀選手賞:2018
- バロンドール:2018
- ゴールデンフット賞:2019
- FIFAワールドカップ ブロンズボール:2022
その他
- クロアチア年間最優秀アスリート:2018
- バルカン半島年間最優秀スポーツ選手:2018
脚注
- ^ Luca Modric: el Cruyff de los Balcanes abc.com 2012年6月7日
- ^ Luka Modric: The elegant maestro dictating from deep eurosport.com 2016年5月27日
- ^ 'El Pájaro' emigra a Madrid Marca 2012年8月27日
- ^ a b c d e “モドリッチ”. レアル・マドリードCF. 2020年1月4日閲覧。
- ^ “モドリッチ選手は6歳で戦争難民になった。爆撃の合間に練習した少年時代。「あんな体験、誰にもして欲しくない」【カタールW杯】”. 2022年12月28日閲覧。
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- ^ a b c “モドリッチが世界最高と呼ばれるまで。天才でなくとも、時代の要請に応えたハイブリッドMF【西部の目】”. footballchannel. (2018年5月26日) 2020年10月15日閲覧。
- ^ “モドリッチってどんな人?生い立ちや人柄に迫る…貧しかった少年が世界最高のMFに成長するまで”. 2022年12月3日閲覧。
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- ^ 勝ち試合を落とす“優勝争い初心者”、トッテナムに立ちふさがる二強の壁。 NumberWeb 2012年2月2日
- ^ クロアチア・モドリッチ最優秀選手賞 ケーン得点王 - 日刊スポーツ、2018年7月16日
- ^ “モドリッチがバロンドール初受賞で個人3冠!…メッシは12年連続トップ3逃す”. サッカーキング. (2018年12月4日) 2020年2月26日閲覧。
- ^ a b “クロアチア主将・モドリッチ 難民出身、手榴弾の中でプレーしたその生い立ちとは”. ハフィントンポスト日本版. (2018年7月11日) 2018年7月14日閲覧。
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- ^ “「ミランの選手になるのを想像していた」モドリッチが憧れた名手とは? エムバペには「移籍すべき」”. YAHOO!JAPAN ニュース. (2020年6月16日) 2020年6月20日閲覧。
- ^ a b “【ルカ・モドリッチの物語】不合格のひ弱な少年が世界最高のMFになるまで”. goal.com (2017年11月17日). 2017年11月18日閲覧。
- ^ a b c d EURO2008紙面連載「ニュースター候補生」第5回 ルカ・モドリッチ(クロアチアMF22歳) EURO2008 nikkan sports.com 2008年6月5日
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- ^ Middlesbrough 2–1 Tottenham BBC Sport 2008年8月16日
- ^ a b c d e f g h Goal.com50:ルカ・モドリッチ(27位) Goal.com 2011年8月6日
- ^ Luka Modric puts war years behind him at Spurs The Daily Telegraph 2008年12月19日
- ^ Tottenham 2–2 Spartak Moscow BBC Sport 2008年12月18日
- ^ Newcastle 2–1 Tottenham BBC Sport 2008年12月21日
- ^ 好調トッテナムに打撃、司令塔モドリッチが骨折 FootballWeekly 2009年8月30日
- ^ Spurs suffer Modric injury blow. BBC Sport 2009年8月30日
- ^ Luka's back! Tottenhamhotspur.com 2009年12月8日
- ^ モドリッチ、トッテナムと6年契約 FootballWeekly 2010年5月30日
- ^ UEFAチャンピオンズリーグ 2011 - トッテナム-トウェンテ UEFA.com 2010年9月29日
- ^ UEFAチャンピオンズリーグ 2011 - インテル-トッテナム UEFA.com 2010年10月20日
- ^ UEFAチャンピオンズリーグ 2011 - トッテナム-ブレーメン UEFA.com 2010年11月24日
- ^ ついにモドリッチのレアル移籍が決定! 「ここでレギュラーを取りたい」 skyperfectv 2012年8月28日
- ^ モドリッチ、トッテナムのアメリカ遠征に参加せず Goal.com 2012年7月21日
- ^ ツアー不参加のモドリッチが練習復帰へ…トッテナム指揮官は罰金処分を明言 soccer-king 2012年7月24日
- ^ モドリッチのマドリー移籍が確定 UEFA.com 2012年8月27日
- ^ 今季レアル・マドリーのベストプレーヤーは? Goal.com 2014年5月20日
- ^ a b クロアチアMFモドリッチ、的確な読みと激しい寄せ 日本経済新聞 2014年5月31日
- ^ Luka Modrić, 'Best Midfielder in the 2013-14 Liga BBVA' lfp.es 2014年10月27日
- ^ Modric is Carlo's fifth most used player Goal.com 2013年12月12日
- ^ レアルMFモドリッチ、CL優勝祝って断髪式…ロングヘアーをバッサリ サッカーキング、2014年5月26日
- ^ レアル・マドリー番記者「新監督ベニテスがもたらす3つの変化」 サッカーダイジェスト 2015年6月12日
- ^ 負傷から約4カ月ぶりの復帰…モドリッチ「全ての人に感謝したい」 サッカーキング、2015年3月11日
- ^ モドリッチを警戒するシメオネ監督「レアルの潜在能力を一段と高める」 サッカーキング、2015年4月4日
- ^ モドリッチ、検査結果は右ひざじん帯の損傷 今季中の復帰は絶望的 Goal.com 2015年4月19日
- ^ 「ベニテスには悪いけど…」 モドリッチ、監督交代は成功だったと告白 ゲキサカ 2016年1月10日
- ^ “レアル・マドリー、モドリッチとの契約延長を発表 新契約は2020年まで”Goal、2016年10月18日
- ^ “C・ロナウド、大会MVP&得点王のW受賞…柴崎がブロンズボールに”サッカーキング、2016年12月19日
- ^ “レアル・マドリーが新シーズンの背番号発表、呪われた10番はモドリッチが付けることに”Goal、2017年7月22日
- ^ “レアルの新10番となったモドリッチ「このチャンスを逃す訳にいかなかった」”サッカーキング、2017年7月27日
- ^ レアルの新10番モドリッチ、3年前の処分でバルセロナ戦出場停止に Livedoorニュース 2017年8月10日
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- ^ “35歳”の元バロンドールを称えよ レベルアップする中盤のボールマスター the WORLD 2020年12月29日
- ^ メッシ、スアレス以上の輝き!? 35歳モドリッチを現地絶賛「今季のリーガMVP候補」 YAHOO!JAPAN ニュース. 2021年2月15日
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- ^ あわや悲劇の主人公! 英雄モドリッチが明かした意外な新事実「ずっと朝からPKを…」 サッカーダイジェスト 2018年7月2日
- ^ モドリッチの涙止まらず…クロアチア代表が最多出場記録更新の35歳主将を祝福 soccer-king 2021年3月29日
- ^ “クロアチアがスコットランド撃破で2位突破”. サッカーキング (2021年6月23日). 2021年6月23日閲覧。
- ^ もはや芸術…モドリッチの「アウトサイドパス」をまとめたプレー動画がいいぞ LINE NEWS 2018年3月14日
- ^ モドリッチ、リーガで連続アシスト中 レアル・マドリードCF. 2018年4月6日
- ^ モドリッチを別格たらしめる武器。時を操るリズム、自在の「前足」に凝縮された凄み【西部の目/ロシアW杯】 footballchannel 2018年7月1日
- ^ イニエスタも敵わないテクニック!? クロアチア代表DFが思う”世界最高のMF”は「彼こそベスト」 the WORLD 2017年2月8日
- ^ “CL連覇狙うレアルの本質は中盤だ。 クロース&モドリッチ、最強の2人。”. NumberWeb. (2017年6月1日) 2017年6月19日閲覧。
- ^ a b c d 【現地発】C・ロナウドにも臆せず叱咤! モドリッチはマドリーの「影のリーダー」だ Livedoorニュース 2017年10月3日
- ^ モドリッチ、ペナルティエリア外からの得点力をキープ realmadrid.com 2018年1月23日
- ^ Why Luka Modric Is Absolutely Vital to Real Madrid's Midfield Fluency bleacherreport.com 2015年7月3日
- ^ La Liga: Puppet-master Luka Modric strings Real Madrid together – Article – Sport360 sport360.com 2017年1月21日
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- ^ “「守備的MF」とは名ばかり。W杯を席巻するピッチ上の監督たち”. livedoor.com. (2014年5月18日) 2018年4月15日閲覧。
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- ^ a b 6歳で戦争体験。インタビュアー泣かせのモドリッチが「変身」する時 sportiva web 2018年9月26日
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- ^ ギグス氏、クロアチア代表モドリッチを「スコールズの真の後継者」に指名 SANSPO.com 2016年10月21日
- ^ “現代版”スコールズ パスの名手が語る自分と似たゲームメイカー the WORLD 2020年5月13日
- ^ モドリッチの獲得を望むテリー「ワールドクラスのプレーヤー」 SOCCER KING 2011年7月20日
- ^ 「イニエスタとモドリッチ、どちらが上?」 世界的名手の比較論に海外注目「物議を醸す論争」 FOOTBALL ZONE 2020年12月11日
- ^ モドリッチVSイニエスタ、どちらを選ぶ? 加速する《史上最高クラスMF》の比較 the WORLD 2022年4月14日
- ^ レドナップ:「1億ポンドでもモドリッチは売らない」 Goal.com 2011年2月21日
- ^ モドリッチ移籍話を一笑に付すレドナップ Goal.com 2011年6月8日
- ^ モドリッチの態度を絶賛するレドナップ「偉大なプロだ」 Goal.com 2011年7月24日
- ^ シャビ、イニエスタが築いたハードルをさらに上げる 現世界最高のMFはモドリッチか the WORLD 2018年6月24日
- ^ モドリッチはいつまでもトップレベルに君臨する 「シャビやイニエスタと同等」 the WORLD 2020年10月8日
- ^ ラキティッチ、モドリッチとイニエスタは「別の惑星から来た選手」 SOCCER KING 2018年7月1日
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- ^ “FIFA World Cup Fan Dream Team”. FIFA.com. 2018年7月23日閲覧。
関連項目
外部リンク
- ルカ・モドリッチ - レアル・マドリード公式サイト
- ルカ・モドリッチ - BDFutbolによる個人成績
- ルカ・モドリッチ - UEFA主催大会成績
- ルカ・モドリッチ – FIFA主催大会成績
- ルカ・モドリッチ - Soccerbase
- ルカ・モドリッチ (@lukamodric10) - X(旧Twitter)
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- クロアチアのサッカー選手
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