独立混成第15連隊
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独立混成第15連隊 | |
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創設 | 1944年 |
廃止 | 1945年玉砕 |
所属政体 | 日本 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
部隊編制単位 | 連隊 |
兵科 | 諸兵科連合 |
編成地 | 佐倉 |
通称号/略称 | 球7836 |
最終上級単位 | 独立混成第44旅団 |
最終位置 | 沖縄県 |
戦歴 | 沖縄戦 |
独立混成第15連隊(どくりつこんせいだい15れんたい、独立混成第十五聯隊)は、大日本帝国陸軍の連隊のひとつ。
沿革
[編集]- 1944年(昭和19年)6月24日 - 千葉県佐倉にて近衛歩兵第10連隊を中心に関東一円の部隊を集成して新設[1]
- 7月1日 - 沖縄への船舶輸送の為、門司港に集結
- 7月5日-12日 - 独立混成第44旅団の海没に伴い空輸に切り替え、新田原飛行場から嘉手納北飛行場、読谷山飛行場と伊江飛行場に到着、独混44旅団に編合。そのまま第1、第2大隊は中頭地区、第3大隊は伊江島で陣地構築開始
- 8月8日 - 第1、第2大隊は国頭地区本部半島へ移動、陣地構築
- 12月4日 - 第3大隊は、伊江島から中頭地区北谷村に移動、陣地構築[2]
- 1945年(昭和20年)1月26日 - 第1中隊第3小隊(山崎実少尉)を津堅島砲兵陣地援護のため派出
- 2月1日 - 第9師団の台湾移駐に伴い、本部半島陣地から知念半島陣地へ移動、第3大隊は島尻地区玉城村へ移動[3]
- 4月1日 - 沖縄地上戦開始。旅団主力として米軍の迂回上陸に備え、知念半島陣地で待機
- 4月15日 - 津堅島派遣の山崎小隊が原隊復帰[4]
- 4月27日 - 第62師団補強の為、第1大隊が連隊隷下を離れ、天久地区に移動
- 4月28日 - 旅団司令部とともに首里防衛線最西翼の安里地区に移動[5]
- 5月4日 - 日本軍攻勢転移、独混15連隊は第24師団前進後の戦果拡張部隊として、首里東方の前進陣地に移動。この間、連隊工兵隊から戦車撃滅隊を編成
- 5月6日 - 日本軍攻勢中止。安里地区の安里52高地[6](米軍呼称シュガーローフ・ヒル)、真嘉比南高地(米軍呼称ハーフムーン・ヒル)周辺の守備に就く。第1大隊は旅団予備となり、天久台地区所在の独立第2大隊が指揮下に入る
- 5月12日 - 18日 - シュガーローフの戦い
- 5月12日 - 独立第2大隊本部が馬乗り攻撃を受ける
- 5月13日 - 戦車撃滅隊(連隊工兵中隊)、北村大尉戦死。旅団より海軍伊藤大隊の増加を受け、52高地に配置
- 5月15日夜 - 重囲下の独立第2大隊、夜間斬込みを反復するも大隊長以下全滅
- 5月16日 - 52高地を奪取される。第1大隊が旅団予備から復帰。同夜、野崎大隊長陣頭の夜襲で奪還
- 5月18日 - 戦車撃滅隊、残存者が真嘉比高地西北方の部落に斬込み、全滅
- 5月19日 - 第1大隊が52高地から後退
- 5月20日 - 崇元寺町地区で14時ごろ、第2大隊が決別電を発し、大隊長以下斬込みを敢行、全滅
- 6月1日 - 戦線を57.3高地(真嘉比東方)~真嘉比南高地~沖縄師範学校女子部付近に縮小。[7]32軍方針に従い、島尻地区へ後退開始
- 6月3日 - 島尻南部新陣地着。再編成を実施、新第2大隊長に独立速射砲第7大隊の中島少佐、特編大隊(伊藤少佐)を第4大隊とし、海軍伊藤大隊は第4大隊指揮下とする。連隊砲中隊、速射砲中隊は砲を失い、徒歩隊となる。[8]
- 6月9日 - シュガーローフの戦いでの功績により第32軍から独混44旅団に感状授与[9]
- 6月11日 - 具志頭地区にて第1大隊が決別電を発し、大隊長以下斬込みを敢行、全滅
- 6月14日 - 12時ごろ玻名城地区で戦闘中の第4大隊にて、玻名城91.4高地の伊藤海軍少佐戦死、残存は伊藤大隊長以下数名。同夜、第2大隊が救援に向かうも遭遇戦で中島少佐戦死
- 6月15日 - 伊藤少佐戦死と推定。連隊は戦闘能力を失う
- 6月16日 - 与座仲座南方の松林内の連隊戦闘指揮所包囲される
- 6月25日 - 旅団から持久、遊撃戦移行を命じられる
- 6月26日 - 解隊。生存者は知念半島地区から国頭地区へ脱出、遊撃戦続行を命じられる。[10]
歴代連隊長
[編集]代 | 氏名 | 在任期間 | 備考 |
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1 | 美田千賀蔵 | 1944.6.25 - 1945.6.? | 陸士候27期 昭和20年3月1日少将 |
隷下部隊
[編集]- 知念半島での待機時は、独立第2大隊(古賀少佐)、独立第29大隊(中本大尉)、独立速射砲第7大隊(中島少佐)、迫撃砲中隊を指揮下に入れている
- シュガーローフの戦いでは、天久台地区の独立第2大隊の他、上記建制部隊の消耗が激しく、海軍航空隊や海軍根拠地隊の地上勤務員などから編成された、海軍山口大隊、海軍丸山大隊の一部、海軍伊藤大隊、風部隊(航空保安通信警備中隊)、特編(伊藤)大隊(海軍伊藤大隊とは別隊)などを配属されている
脚注
[編集]- ^ 第1、第2大隊は近衛歩兵第10連隊から、工兵中隊は柏の近衛工兵連隊補充隊(東部第14部隊)から編成されている
- ^ 伊江島陣地は独混44旅団第2歩兵隊(宇土支隊)第1大隊に引き継いでいる
- ^ 本部半島陣地は宇土支隊第2大隊に引き継いでいる
- ^ 津堅島脱出時までに小隊総員33名中22名が戦死している
- ^ 知念半島陣地は船舶工兵第22連隊と独立第29大隊に引き継いでいる
- ^ 第32軍残務部編集の史実資料では51.7高地と52高地の表記が混在している
- ^ この時点で増加部隊を加えた残存兵力二百数十名
- ^ 負傷後退者を復帰させ兵力五百数十名に回復
- ^ 長勇参謀長より同感状は独混15連隊の勇戦を賞すものとの書簡を受けとっている
- ^ 史実資料には連隊長の最期について記載がない
参考文献
[編集]- 戦史叢書(11) 沖縄方面陸軍作戦 朝雲新聞社
- アジア歴史資料センター沖縄作戦に於ける独立混成第十五聯隊史実資料 第32軍残務整理部編 防衛省防衛研究所図書館蔵
- アジア歴史資料センター独立混成第十五聯隊陣中日誌 昭和19年6月~昭和20年3月 防衛省防衛研究所図書館蔵
- ジェームス・H・ハラス(著)猿渡青児(訳)『沖縄シュガーローフの戦い 米海兵隊地獄の7日間』光人社、2007年4月、ISBN 4769813457