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独立混成第15連隊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
独立混成第15連隊
創設 1944年
廃止 1945年玉砕
所属政体 日本の旗 日本
所属組織  大日本帝国陸軍
部隊編制単位 連隊
兵科 諸兵科連合
編成地 佐倉
通称号/略称 球7836
最終上級単位 独立混成第44旅団
最終位置 沖縄県
戦歴 沖縄戦
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独立混成第15連隊(どくりつこんせいだい15れんたい、独立混成第十五聯隊)は、大日本帝国陸軍連隊のひとつ。

沿革

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  • 4月1日 - 沖縄地上戦開始。旅団主力として米軍の迂回上陸に備え、知念半島陣地で待機
  • 4月15日 - 津堅島派遣の山崎小隊が原隊復帰[4]
  • 4月27日 - 第62師団補強の為、第1大隊が連隊隷下を離れ、天久地区に移動
  • 4月28日 - 旅団司令部とともに首里防衛線最西翼の安里地区に移動[5]
  • 5月4日 - 日本軍攻勢転移、独混15連隊は第24師団前進後の戦果拡張部隊として、首里東方の前進陣地に移動。この間、連隊工兵隊から戦車撃滅隊を編成
  • 5月6日 - 日本軍攻勢中止。安里地区の安里52高地[6](米軍呼称シュガーローフ・ヒル)、真嘉比南高地(米軍呼称ハーフムーン・ヒル)周辺の守備に就く。第1大隊は旅団予備となり、天久台地区所在の独立第2大隊が指揮下に入る
  • 5月12日 - 18日 - シュガーローフの戦い
  • 5月12日 - 独立第2大隊本部が馬乗り攻撃を受ける
  • 5月13日 - 戦車撃滅隊(連隊工兵中隊)、北村大尉戦死。旅団より海軍伊藤大隊の増加を受け、52高地に配置
  • 5月15日夜 - 重囲下の独立第2大隊、夜間斬込みを反復するも大隊長以下全滅
  • 5月16日 - 52高地を奪取される。第1大隊が旅団予備から復帰。同夜、野崎大隊長陣頭の夜襲で奪還
  • 5月18日 - 戦車撃滅隊、残存者が真嘉比高地西北方の部落に斬込み、全滅
  • 5月19日 - 第1大隊が52高地から後退
  • 5月20日 - 崇元寺町地区で14時ごろ、第2大隊が決別電を発し、大隊長以下斬込みを敢行、全滅
  • 6月1日 - 戦線を57.3高地(真嘉比東方)~真嘉比南高地~沖縄師範学校女子部付近に縮小。[7]32軍方針に従い、島尻地区へ後退開始
  • 6月3日 - 島尻南部新陣地着。再編成を実施、新第2大隊長に独立速射砲第7大隊の中島少佐、特編大隊(伊藤少佐)を第4大隊とし、海軍伊藤大隊は第4大隊指揮下とする。連隊砲中隊、速射砲中隊は砲を失い、徒歩隊となる。[8]
  • 6月9日 - シュガーローフの戦いでの功績により第32軍から独混44旅団に感状授与[9]
  • 6月11日 - 具志頭地区にて第1大隊が決別電を発し、大隊長以下斬込みを敢行、全滅
  • 6月14日 - 12時ごろ玻名城地区で戦闘中の第4大隊にて、玻名城91.4高地の伊藤海軍少佐戦死、残存は伊藤大隊長以下数名。同夜、第2大隊が救援に向かうも遭遇戦で中島少佐戦死
  • 6月15日 - 伊藤少佐戦死と推定。連隊は戦闘能力を失う
  • 6月16日 - 与座仲座南方の松林内の連隊戦闘指揮所包囲される
  • 6月25日 - 旅団から持久、遊撃戦移行を命じられる
  • 6月26日 - 解隊。生存者は知念半島地区から国頭地区へ脱出、遊撃戦続行を命じられる。[10]

歴代連隊長

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歴代の連隊長
(特記ない限り陸軍大佐
氏名 在任期間 備考
1 美田千賀蔵 1944.6.25 - 1945.6.? 陸士候27期 昭和20年3月1日少将

隷下部隊

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  • 第1大隊(野崎直彦大尉)
  • 第2大隊(井上清公大尉)
  • 第3大隊(西村信義少佐・少尉候補者18期)
  • 工兵中隊(北村 公大尉)
  • 連隊砲中隊(杉浦隆考中尉)
  • 速射砲中隊(関井喜雄大尉)
  • 知念半島での待機時は、独立第2大隊(古賀少佐)、独立第29大隊(中本大尉)、独立速射砲第7大隊(中島少佐)、迫撃砲中隊を指揮下に入れている
  • シュガーローフの戦いでは、天久台地区の独立第2大隊の他、上記建制部隊の消耗が激しく、海軍航空隊や海軍根拠地隊の地上勤務員などから編成された、海軍山口大隊、海軍丸山大隊の一部、海軍伊藤大隊、風部隊(航空保安通信警備中隊)、特編(伊藤)大隊(海軍伊藤大隊とは別隊)などを配属されている

脚注

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  1. ^ 第1、第2大隊は近衛歩兵第10連隊から、工兵中隊は柏の近衛工兵連隊補充隊(東部第14部隊)から編成されている
  2. ^ 伊江島陣地は独混44旅団第2歩兵隊(宇土支隊)第1大隊に引き継いでいる
  3. ^ 本部半島陣地は宇土支隊第2大隊に引き継いでいる
  4. ^ 津堅島脱出時までに小隊総員33名中22名が戦死している
  5. ^ 知念半島陣地は船舶工兵第22連隊と独立第29大隊に引き継いでいる
  6. ^ 第32軍残務部編集の史実資料では51.7高地と52高地の表記が混在している
  7. ^ この時点で増加部隊を加えた残存兵力二百数十名
  8. ^ 負傷後退者を復帰させ兵力五百数十名に回復
  9. ^ 長勇参謀長より同感状は独混15連隊の勇戦を賞すものとの書簡を受けとっている
  10. ^ 史実資料には連隊長の最期について記載がない

参考文献

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関連項目

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