玉堂美術館
玉堂美術館 | |
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施設情報 | |
専門分野 | 川合玉堂(日本画家) |
館長 | 小澤萬里子 |
管理運営 | 財団法人玉堂会 |
開館 | 1961年5月 |
所在地 |
〒198-0174 東京都青梅市御岳1丁目75 |
位置 | 北緯35度48分00.3秒 東経139度11分02.6秒 / 北緯35.800083度 東経139.184056度座標: 北緯35度48分00.3秒 東経139度11分02.6秒 / 北緯35.800083度 東経139.184056度 |
外部リンク | http://www.gyokudo.jp/ |
プロジェクト:GLAM |
玉堂美術館(ぎょくどうびじゅつかん、英語: Gyokudo Art Museum) は、東京都青梅市御岳1丁目75にある美術館。日本画家の川合玉堂の個人美術館である。運営は一般財団法人玉堂会[1]。館長は小澤順一郎[1]。約300点を所蔵している[1]。
歴史
[編集]川合玉堂は1873年(明治6年)に愛知県葉栗郡外割田村(現一宮市木曽川町)に生まれ、東京美術学校日本画科教授や帝室技芸員などを務めた[2]。1940年(昭和15年)には文化勲章を受章している[2]。太平洋戦争中野の1944年(昭和19年)には写生地だった東京都西多摩郡三田村御岳(現・青梅市)に疎開し、1957年(昭和32年)に死去するまで奥多摩の御岳渓谷で暮らした[2]。
没後には玉堂の個人美術館を建設しようとする声が上がり、香淳皇后を含む多数の団体・地元有志・玉堂愛好家などから寄付が集まった。15歳頃の写生作品から晩年の作品まで、所蔵作品の大半は寄贈によるものである。1961年(昭和36年)4月に建物が竣工し、没後4年を経た同年5月に玉堂美術館が開館した[1]。
施設
[編集]1,500m2の敷地に、鋼金コンクリート造の陳節室と木造の画室、中島健作庭の日本庭園(枯山水)などを有する[1]。建物の設計は五島美術館(1960年)なども手掛けている吉田五十八[1]。吉田は数寄屋建築の第一人者であり、玉堂とも親しかった。建物は飛騨の民家や寺院の回廊などがモチーフとなっている。
アメリカの日本庭園専門誌「SUKIYA LIVING MAGAGINE」は、2016年の日本庭園ランキングで玉堂美術館の庭園を第10位に選出した[3]。
周辺
[編集]JR青梅線御嶽駅から徒歩3分[1]。玉堂美術館の眼前には多摩川が流れ、多摩川の左右には遊歩道が通っている。近隣には櫛かんざし美術館(2023年から休館)、たましん御岳美術館(2019年閉館)、吉川英治記念館などの文化施設も存在する。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『没後50年 川合玉堂展 時を越えよみがえる日本の自然』朝日新聞社、2007年