田原市立田原南部小学校
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田原市立田原南部小学校 | |
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北緯34度39分16.2秒 東経137度14分24.2秒 / 北緯34.654500度 東経137.240056度座標: 北緯34度39分16.2秒 東経137度14分24.2秒 / 北緯34.654500度 東経137.240056度 | |
過去の名称 | 田原町立田原南部小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 田原市 |
設立年月日 | 1947年 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B123210008229 |
所在地 | 〒441-3427 |
愛知県田原市加治町奥恩中62-17 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
田原市立田原南部小学校(たはらしりつ たはらなんぶしょうがっこう)は、愛知県田原市加治町にある公立小学校。
概要
[編集]沿革
[編集]田原南部中学校HPの学校の概要では、設立は昭和22年(1947年)となっている[2]。また、愛知県小中学校長会が1998年発行した『六三制教育五十周年記念 愛知県小中学校誌』では設立は1892年となっている。1947年は学制改革により田原町立田原南部小学校が発足した年、1892年は大久保尋常小学校として独立した年である。ここではそれ以前についても記述する。
- 1873年(明治6年)10月 - 第10中学区第22番小学校が開校。大久保村、野田村[注釈 1]の児童が通学する。
- 1874年(明治7年)8月 - 大久保村に第10中学区第22番小学校の分校として、分校好問学校が開校する。
- 1876年(明治9年) - 分校好問学校が独立し、大久保学校となる。
- 1877年(明治10年)4月 - 第10中学区第62番小学大久保分校に改称する。
- 1880年(明治13年) - 第10中学区第49番小学大久保分校に改称する。
- 1888年(明治21年)7月 - 尋常小学野田学校に統合され、野田学校大久保分教場となる。
- 1889年(明治22年)10月1日 - 野田村、芦村、仁崎村、大久保村が合併し、野田村が発足。
- 1891年(明治23年)4月15日 - 野田村から大久保村が分立する。
- 1892年(明治25年)9月[3] - 独立し、大久保村立大久保尋常小学校となる。
- 1901年(明治34年)4月 - 高等科を設置し、大久保村立大久保尋常高等小学校に改称する。
- 1906年(明治39年)7月16日 - 田原町、相川村、童浦村、大久保村が合併し、田原町となる。
- 1907年(明治40年)1月 - 田原南部尋常高等小学校に改称する。
- 1909年(明治42年) - 高等科を廃止し、田原南部尋常小学校に改称する。
- 1923年(大正12年)1月22日 - 現在地に校舎を新築し移転する。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 田原南部国民学校に改称する。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 田原町立田原南部小学校に改称する。
- 1968年(昭和43年)2月29日 - 新校舎(鉄筋コンクリート造2階建)が完成する。
- 1975年(昭和50年)5月 - プールが完成する。
- 1979年(昭和54年) - 屋内運動場が完成する。
- 1980年(昭和55年) - 特別教室棟が完成する。
- 2003年(平成15年)8月20日 - 田原町が赤羽根町を編入し市制施行。田原市が発足。同時に田原市立田原南部小学校に改称する。
交通アクセス
[編集]- 東海道新幹線東海道本線飯田線豊橋駅(東口・豊橋駅バスセンター)より豊鉄バス伊良湖本線「伊良湖岬」行。
- 豊橋鉄道渥美線三河田原駅より豊鉄バス伊良湖本線「保美」(江比間経由)、「伊良湖岬」行。
- 豊橋鉄道渥美線三河田原駅より豊鉄バス伊良湖支線「保美」(赤羽根経由)行。
周辺施設
[編集]参考文献
[編集]- 田原町史編纂委員会・田原町文化財保護審議会『田原町史 下巻』田原町教育委員会・田原町1978年、pp. 189-204 209 469-474 1005-1070
- 愛知県渥美郡役所『渥美郡史』1923年、pp. 995-1012
- 太田鐥太郎『田原史』1935年、pp. 89-102
- 愛知県小中学校長会『六三制教育五十周年記念 愛知県小中学校誌』1998年、愛知県小中学校校長会
脚注
[編集]- ^ 田原市小中学校通学区域一覧表(平成31年4月1日現在)
- ^ 学校の概要(田原市立田原南部小学校)
- ^ 田原町史下巻P.209の野田小学校の説明では1891年。