田実泰良
表示
たじつやすよし 田実泰良 | |
---|---|
生年月日 | 1925年8月19日 |
没年月日 | 1982年6月 |
出生地 | 日本 |
国籍 | 日本 |
職業 | 映画プロデューサー |
ジャンル | 映画 |
田実 泰良(たじつ やすよし、1925年8月19日[1] - 1982年6月[1])は日本映画のプロデューサー。
経歴
[編集]1950年に慶應義塾大学卒業と同時に東宝撮影所演出部に入社。1953年に東宝社員となる。監督の黒澤明や松林宗恵の下で助監督をした。1963年文芸部に配属され1965年に契約者となる。1971年に日本創造企画に入社し博覧会物をプロデュースする。その後日本映画プロデューサー協会事務局長を務めたが、1982年6月癌の為死亡。
代表作
[編集]映画
[編集]公開年月日 | 作品名 | 制作(配給) | 役職 |
---|---|---|---|
1952年10月9日 | 生きる | 東宝 | 監督助手 |
1954年4月26日 | 七人の侍 | ||
1955年11月22日 | 生きものの記録 | ||
1957年1月15日 | 蜘蛛巣城 | ||
1957年9月17日 | どん底 | ||
1958年3月12日 | 家内安全 | ||
1958年12月28日 | 隠し砦の三悪人 | ||
1960年4月26日 | ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐 | ||
1961年4月25日 | 社長道中記 | チーフ助監督 | |
1961年10月8日 | 世界大戦争 | ||
1963年1月3日 | 太平洋の翼 | プロデューサー | |
1964年3月20日 | こんにちは赤ちゃん | ||
1964年8月11日 | 宇宙大怪獣ドゴラ[1] | ||
1965年3月13日 | 陽のあたる椅子 | ||
1965年6月19日 | 太平洋奇跡の作戦 キスカ | ||
1967年5月27日 | 上意討ち 拝領妻始末 | 東宝 三船プロダクション (東宝) |
製作担当者 |
1973年9月8日 | 人間革命 | 東宝映像 シナノ企画 (東宝) |
エグゼクティブプロデューサー |
博覧会
[編集]期間 | 博覧会名 | 主催 | 担当パビリオン | 製作会社、スポンサー | 役職 | |
---|---|---|---|---|---|---|
1970年3月14日 | 1970年9月13日 | 日本万国博覧会 | 財団法人日本万国博覧会協会 | 三菱未来館 | 東宝 (三菱グループ) |
プロデューサー補佐 |
1975年7月20日 | 1976年1月18日 | 沖縄国際海洋博覧会 | 日本政府 | 日本創造企画 (三菱グループ) |
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 田中文雄『神を放った男 映画製作者田中友幸とその時代』キネマ旬報社、1993年。ISBN 4-87376-070-4。
外部リンク
[編集]- 田実泰良 - 日本映画データベース
- 田実泰良 - goo映画 - ウェイバックマシン(2016年3月4日アーカイブ分)
- 田実泰良 - allcinema
- 田実泰良 - KINENOTE
- Yasuyoshi Tajitsu - IMDb