町田駅 (大分県)
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町田駅 | |
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駅名標(2014年11月) | |
まちだ Machida | |
◄恵良 (4.7 km) (2.6 km) 宝泉寺► | |
所在地 | 大分県玖珠郡九重町大字町田 |
所属事業者 | 日本国有鉄道 |
所属路線 | 宮原線 |
キロ程 | 4.7 km(恵良起点) |
電報略号 | マチ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
開業年月日 | 1937年(昭和12年)6月27日[1] |
廃止年月日 | 1984年(昭和59年)12月1日[1] |
備考 | 無人駅 |
町田駅(まちだえき)は、かつて大分県玖珠郡九重町大字町田にあった日本国有鉄道(国鉄)宮原線の駅(廃駅)である。
歴史
[編集]年表
[編集]- 1937年(昭和12年)6月27日:宮原線恵良 - 宝泉寺間開業により設置[1]。旅客のみ取り扱い[1]。開業当時の新聞では「簡易駅」として紹介されていた[2]。
- 1943年(昭和18年)9月1日:宮原線が不要不急線に選定され休止[1]。
- 1948年(昭和23年)4月1日:恵良 - 宝泉寺間営業再開[1]。貨物、荷物の取り扱い開始[1]。
- 1962年(昭和37年)4月1日:業務委託駅となる(日本交通観光社に委託)[3]。
- 1971年(昭和46年)2月20日:貨物取り扱い廃止[1]。
- 1974年(昭和49年)5月17日:荷物取り扱い廃止[4]。駅員無配置駅となる[5]。
- 1984年(昭和59年)12月1日:廃止[1]。
国鉄原町田駅との関係
[編集]廃止になる前の1980年4月1日に横浜線の原町田駅が町田駅に改称しているが、当時の国鉄側は当駅の存在を理由に難色を示した。しかし大下勝正町田市長(当時)が福島駅(福島県と大阪府にそれぞれ所在した)の重複を挙げて反論し、改名に至った。結果「横浜線町田駅」が成立した1980年より1984年の当駅廃止までの4年8ヵ月の間、「国鉄町田駅」は合わせて2箇所に存在していたことになる。
駅構造
[編集]利用状況
[編集]廃止前の各年度の1日平均乗車人員は以下の通りである。
年度 | 1日平均 乗車人員[注釈 1] |
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1975年(昭和50年) | [県統計 1]127 |
1980年(昭和55年) | [県統計 2]92 |
1984年(昭和59年) | [県統計 3][注釈 2]58 |
遺構
[編集]すぐ下を通る国道387号の道路脇(町田バス停横)に、『町田駅 MACHIDA STN. →』と表記された錆びついた案内板が残っている。
しかし、国道387号のバイパス工事(道路拡幅工事)により、ホームは半分ほど埋められてしまっている。当駅の前後の線路跡を含む3.3km区間には、2013年11月6日に町田バイパスが開通している[6]。
隣の駅
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、743頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ 宮原線恵良-宝泉寺間が開通『福岡日日新聞』(昭和12年6月25日)『昭和ニュース事典第6巻 昭和12年-昭和13年』本編p44 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
- ^ 「西部支社一四駅を民間委託」『交通新聞』交通協力会、1962年4月1日、1面。
- ^ “日本国有鉄道公示第52号”. 官報. (1974年5月17日)
- ^ 「通報 ●宮原線町田駅の駅員無配置について(旅客局)」『鉄道公報』日本国有鉄道総裁室文書課、1974年5月17日、1面。
- ^ 町田バイパス開通式 「安全安心な道路に」 大分合同新聞、2013年11月7日(archive版)
- 大分県統計年鑑
- ^ 大分県 (1976年). “昭和51年版 大分県統計年鑑 10 運輸および通信 112 国有鉄道各駅別運輸状況” (XLS). 2022年1月10日閲覧。
- ^ 大分県 (1980年). “昭和56年版 大分県統計年鑑 10 運輸および通信 112 国有鉄道各駅別運輸状況” (XLS). 2022年1月10日閲覧。
- ^ 大分県 (1985年). “昭和60年版 大分県統計年鑑 10 運輸および通信 112 国有鉄道各駅別運輸状況” (XLS). 2022年1月10日閲覧。