桂ひな太郎
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(相続落語から転送)
桂 ひな太郎(かつら ひなたろう)は、芸人の名跡。この項では当代について記述する。
当代 Katsura Hinatarô | |
本名 | |
---|---|
生年月日 | 1952年9月8日(72歳) |
出身地 | 日本・群馬県 |
師匠 | 三代目古今亭志ん朝 九代目桂文楽 |
名跡 | 1. 古今亭志ん坊 (1977年 - 1981年) 2. 二代目古今亭志ん上 (1981年 - 2001年) 3. 桂ひな太郎 (2002年 - ) |
出囃子 | 越後獅子 |
活動期間 | 1977年 - 2001年 2002年 - |
活動内容 | 落語家 |
配偶者 | あり |
所属 | 落語協会 (1977年 - 1978年) 落語三遊協会 (1978年) 落語協会 (1978年 - 2001年 2002年 - ) |
公式サイト | いんふぉめーしょん 桂ひな太郎 |
受賞歴 | |
NHK新人演芸コンクール最優秀賞(1988年) 第13回国立演芸場花形演芸大賞(1993年) | |
桂 ひな太郎(かつら ひなたろう、1952年9月8日 - )は、群馬県安中市出身の落語家。落語協会所属。本名∶武藤 幸男。出囃子∶『越後獅子』。
経歴
[編集]1977年3月、三代目古今亭志ん朝に入門し、前座名「志ん坊」を名乗る。
1981年9月に二ツ目昇進、「古今亭志ん上」と改名。1988年、「NHK新人演芸コンクール」最優秀賞を、1993年1月に第13回国立演芸場花形演芸大賞を受賞。
1993年9月に古今亭菊寿、入船亭扇海、柳家喜多八、三代目入船亭扇蔵、三遊亭若圓歌、四代目柳亭市馬、柳家さん生、柳家はん治、全亭武生と共に真打昇進。
2001年夏に一身上の都合で廃業。同年10月1日に師匠志ん朝が死去するが、翌年9月に師匠志ん朝の友人だった九代目桂文楽門下で落語家に復帰。「ひな太郎」を名乗る。
芸歴
[編集]- 1977年3月 - 三代目古今亭志ん朝に入門、前座名「志ん坊」。
- 1981年9月 - 二ツ目昇進、「志ん上」と改名。
- 1993年9月 - 真打昇進。
- 2001年 - 廃業。
- 2002年 - 九代目桂文楽門下で復帰、「桂ひな太郎」を名乗る。
人物
[編集]自称、落語界の坂東玉三郎、または病み上がりの舟木一夫と称している。
「志ん上」時代に師匠の古今亭志ん朝とともに、サントリーモルツのTVCMに出演している[1]。
九代目桂文楽、三遊亭鬼丸と共に池袋演芸場特選会で「落語会さきがき」を開催している。
演目
[編集]参考文献
[編集]- 諸芸懇話会、大阪芸能懇話会共編『古今東西落語家事典』平凡社、ISBN 458212612X
脚注
[編集]- ^ “志ん朝師匠のCMに自分を見つけました!!”. ひなぶろぐ. 桂ひな太郎 (2011年12月8日). 2020年6月11日閲覧。