コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

真夜中のなか

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
真夜中のなか
ジャンル バラエティ番組
放送期間 1986年4月7日 - 1987年4月2日
放送時間 月曜 - 木曜 25:20 - 26:30
放送局 毎日放送ラジオ(MBSラジオ)
パーソナリティ #パーソナリティの節を参照
テンプレートを表示

真夜中のなか(まよなかのなか)は、1986年4月7日から1987年4月2日[1]まで毎日放送ラジオ(MBSラジオ)で放送されていた深夜番組

概要

[編集]

女子大生がパーソナリティを務めた『MBSミスキャンパスDJ』から一転してのトークバラエティ番組。「素人DJを育てる」という名目で始まった番組で、スタート当初のパーソナリティにはイベントクリエイター、雑誌編集者などが本職の小川邦夫、鍼灸師のかたわら「野本有流」名義で「アンタッチャブル」(関西地方を中心に活動するアコースティックブルースバンド)のボーカルを務める野本利幸[2]も起用された[3]

木曜日のパーソナリティが開始4ヶ月目でダウンタウンに代わるなど、パーソナリティの交代が多く、放送期間はわずか1年にとどまった。その一方で、放送時点の日本プロ野球パシフィック・リーグの下位に長らく低迷していた南海ホークス(現在の福岡ソフトバンクホークスで当時の本拠地は大阪球場)ファンの悲哀を野本が歌ったブルース『南海ファンやもん』は当番組から生まれていて、日本コロムビアによる「アンタッチャブル」名義でのCDシングル化にまで至っている。

パーソナリティ

[編集]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 本名は浜田尊弘で、テレビ番組の制作スタッフとして中途採用扱いで1992年に毎日放送(当時はテレビとの兼営局)へ入社すると、2016年6月から取締役へ就任。ラジオ放送事業の分社化(2021年4月1日)に伴って、同日からは株式会社MBSラジオの初代代表取締役社長を兼務していた。同年6月24日付で毎日放送の取締役を退任してからは、MBSラジオでの社長職に専念。
  2. ^ 本名は東野博昭で、2000年代の後半からは毎日放送の番組審議委員も務めている。
  3. ^ 「アンタッチャブル」のボーカルとして関西地方を中心に一定の知名度を得ていたが、『ラジオパラダイス』に記載されていたプロフィールでは、鍼灸師に加えて「学生時代はカントリー・ミュージックのバンドを組んでいた」と紹介されている[3]

出典

[編集]
  1. ^ 毎日放送40年史編纂室 編『毎日放送の40年 資料編』毎日放送、1991年9月1日、179頁。 
  2. ^ ノモトハリ灸センター堺院長 野本利幸
  3. ^ a b ラジオパラダイス 1986年5月号『【特集】春の改編ラジオ大特集』p.24
毎日放送ラジオ(MBSラジオ) 月曜 - 木曜 25:20 - 26:30 枠
(1986年4月7日 - 1987年4月2日)
前番組 番組名 次番組
真夜中のなか