石井庄八
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1956年頃の石井庄八。 | |||||||||||||||
個人情報 | |||||||||||||||
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国籍 | 日本 | ||||||||||||||
生誕 | 1926年9月20日 千葉県市川市 | ||||||||||||||
死去 | 1980年1月4日(53歳没) | ||||||||||||||
身長 | 160cm | ||||||||||||||
体重 | 57kg | ||||||||||||||
スポーツ | |||||||||||||||
競技 | レスリング | ||||||||||||||
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石井 庄八(いしい しょうはち、1926年〈大正15年〉9月20日 - 1980年〈昭和55年〉1月4日)は、千葉県市川市[1]出身の元レスリング選手。1952年ヘルシンキオリンピック金メダリスト。
来歴
[編集]- 旧制千葉中学校在学中に予科練で終戦を迎える。中央大学法学部に進学し、GHQの方針で柔道・剣道が禁止されたためレスリング部に入部。
- 1952年ヘルシンキオリンピック、レスリング男子フリースタイルバンタム級にて優勝し、戦後初の日本人金メダリストとなる[2][3]。同オリンピックにて金メダルを獲得したのはこの石井のみだった。同年、第2回日本スポーツ賞を受賞。
- 中央大学卒業後は電通に勤務。営業部長を経て退職し、1967年〈昭和42年〉5月4日に「日庄」を設立。
- のち中央大学レスリング部の監督を務め、渡辺長武らを指導した[4]。
- 1980年1月4日、腎臓癌のため53歳で死去した。
脚注
[編集]- ^ 【都道府県別オリンピアン】(16)千葉 - ロンドン五輪2012特集[リンク切れ]
- ^ "レスリングのオリンピック日本人男子メダリストを紹介、偉大な功績を残した3選手". 【SPAIA】スパイア. 4 May 2020. 2020年11月14日閲覧。
- ^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 91頁。
- ^ "オリンピアンかく語りき 「東京」制したレスリングの猛者 渡辺長武" (PDF). 笹川スポーツ財団. 2021年8月5日閲覧。