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石原直樹

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
石原 直樹
名前
愛称 ナオ、タケ[注 1]、ピューマ[2]
カタカナ イシハラ ナオキ
ラテン文字 ISHIHARA Naoki
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1984-08-14) 1984年8月14日(40歳)
出身地 群馬県高崎市
身長 173cm
体重 63kg
選手情報
ポジション FW
利き足 右足
ユース
日本の旗 高崎西FC(高崎市立乗附小学校)
1997-1999 日本の旗 高崎市立片岡中学校
2000-2002 日本の旗 高崎経済大附属高校
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2003-2008 日本の旗 湘南ベルマーレ 143 (41)
2009-2011 日本の旗 大宮アルディージャ 90 (20)
2012-2014 日本の旗 サンフレッチェ広島 94 (27)
2015-2017 日本の旗 浦和レッズ 10 (0)
2017 日本の旗 ベガルタ仙台(loan) 31 (10)
2018-2019 日本の旗 ベガルタ仙台 54 (8)
2020-2021 日本の旗 湘南ベルマーレ 45 (6)
通算 467 (112)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

石原 直樹(いしはら なおき、1984年8月14日 - )は、群馬県高崎市出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはフォワード

来歴

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プロ入り前

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高崎西FC[注 2]時代からサッカーを始め、同クラブでは青木拓矢ともプレーしている[3][4]。その後、高崎市立片岡中学校高崎経済大学附属高等学校とサッカー界では無名の学校へ進学している[1]。高校選手権や国体選抜など全国大会には無縁だった[1]

湘南ベルマーレ

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2003年、湘南ベルマーレに入団。当時は全く無名だったがその恵まれた身体能力を聞きつけた湘南スカウトの隠し球的な存在だった[5]。同期入団は石田祐樹照井篤。同年から監督に就任したサミアは早くから石原を評価し、自身初采配であるJ2第1節の一人目の交代選手として石原を起用している[6]。成績不振によりサミア監督は辞任し、山田松市コーチが監督に昇格、この時代にJリーグ初得点を決めている。以降は相次ぐ監督交代や自身の怪我に悩まされることも多く出場機会が限られていた[5]

2006年6月、湘南監督が菅野将晃に代わったことが転機となる。菅野監督はそれまでやってきたサッカーを一新させ前線からの守備をベースとしたアグレッシブなサッカーを目指し[7][8]、石原をレギュラーに固定した[注 3]。菅野監督時代の公式戦初勝利は石原の2ゴールによってもたらされている[7]。2007年、背番号を11に変更。事実上のチームのエース[1] となり、チームも2年連続で昇格争いに絡むようになる[10]。その中で2007年はチーム最多タイの12ゴール、2008年はJ2で3位タイ[11] となる18ゴールを記録した。このプレー振りでJ1からオファーが届くようになり[注 4][13]、菅野監督が退任した[10] 事も転機となった。

大宮アルディージャ

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2009年、大宮アルディージャに完全移籍した[13]。自身初のJ1だったがすぐに順応し[14]、第3節のヴィッセル神戸戦で大宮での初ゴールを決めると、その後はレギュラーとしてマトに次ぐチーム2位の7ゴールをあげた。2010年成績不振により監督が張外龍から鈴木淳へと代わる中で、チーム得点王[15] となる。AFCアジアカップ2011予備登録メンバー[16]。ただ鈴木監督時代は途中交代の切り札として重用されるようになり、2011年になると怪我もありほとんどの試合で先発ではなくスーパーサブとして起用された[12][15][16][17]

サンフレッチェ広島

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2012年、先発として勝負したいためサンフレッチェ広島に完全移籍した[12][15][16]。広島では移籍した李忠成の穴を埋める活躍を期待された[12]。同年度主力としてフルシーズン活躍し、広島のJ1初優勝に貢献した。翌2013年も引き続き在籍し、同年7月の古巣大宮戦で自身初のハットトリックを達成している。また、J1最終節にて決勝ゴールを含む2得点を叩き込み、J1では自身初の2桁得点を達成し広島のJリーグ2連覇に貢献した。

浦和レッズ

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2015年、浦和レッズへ完全移籍した[18]。4月12日、Jリーグ1stステージ第5節川崎フロンターレ戦にて右膝前十字靭帯を損傷し、長期離脱を余儀なくされた[19]。11月11日、天皇杯4回戦のFC町田ゼルビア戦にて途中出場し、7ヶ月ぶりに復帰[20]。2016年3月2日、ACLグループステージ第2節浦項スティーラース戦にて乱暴な行為をしたとして、ACLにおいて2試合の出場停止処分と罰金5000ドルが科された[21]

ベガルタ仙台

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2016年12月29日、ベガルタ仙台への期限付き移籍が発表された[22]。2017年、北海道コンサドーレ札幌との開幕戦では3年ぶりとなるゴールを決めた。4月16日、第7節の鹿島アントラーズ戦でJ1通算200試合を達成した。11月26日、第33節の横浜F・マリノス戦では3年ぶりとなるシーズン2桁得点を達成した[23]。シーズン終了後に完全移籍で加入。

湘南ベルマーレ復帰

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2019年12月30日、湘南ベルマーレに完全移籍で加入が発表[24]。12年ぶりに復帰した。

2020年2月21日、同年のJ1リーグ開幕戦・浦和戦で湘南復帰後初得点を記録。これはJ1からJ3までの3カテゴリーを含む2020年のJリーグ全体のリーグ戦初得点でもあった。

2022年1月8日、契約満了による退団が発表された[25]

現役引退

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2022年3月20日、現役引退およびベルマーレアンバサダーの就任を発表[26]

プレースタイル

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豊富な運動量と高い身体能力を持ち合わせ、前線からのプレスやDFラインの裏を抜けるスピードが特徴の選手[1][12][17]。途中交代からの決定力も高いことから、スーパーサブとしても起用される[12][16][17]

また2列目のMFとしても起用される[4]

所属クラブ

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個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2003 湘南 19 J2 17 2 - 4 2 21 4
2004 3 0 - 0 0 3 0
2005 8 0 - 1 0 9 0
2006 29 9 - 2 1 31 10
2007 11 45 12 - 2 2 47 14
2008 41 18 - 1 0 42 18
2009 大宮 9 J1 32 7 4 1 2 0 38 8
2010 33 9 6 1 3 0 42 10
2011 25 4 2 0 1 0 28 4
2012 広島 32 7 5 2 1 0 38 9
2013 33 10 2 0 6 1 41 11
2014 29 10 3 1 0 0 32 11
2015 浦和 11 4 0 0 0 1 0 5 0
2016 6 0 1 0 0 0 7 0
2017 仙台 31 10 6 1 1 0 38 11
2018 34 7 3 0 5 2 42 9
2019 20 1 4 1 1 0 25 2
2020 湘南 13 27 6 2 0 - 29 6
2021 18 0 6 0 2 0 26 0
通算 日本 J1 324 71 44 7 23 3 391 81
日本 J2 143 41 - 10 5 153 46
総通算 467 112 44 7 33 8 544 127
その他の公式戦
出場歴・記録
  • Jリーグ初出場 : 2003年3月15日J2第1節対モンテディオ山形戦
  • Jリーグ初得点 : 2003年9月20日J2第34節対アルビレックス新潟戦
  • ハットトリック
    • 2013年7月31日J1第18節対大宮アルディージャ戦
国際大会個人成績 FIFA
年度 クラブ 背番号 出場 得点 出場 得点
AFCACLクラブW杯
2012 広島 9 - 2 0
2013 6 2 -
2014 8 3 -
2015 浦和 11 4 0 -
2016 2 0 -
通算 AFC 20 5 2 0

タイトル

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クラブ

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サンフレッチェ広島
浦和レッズ

個人

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代表歴

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  • 2014年 日本代表候補 

脚注

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注釈
  1. ^ 武豊に風貌が似ているため[1]
  2. ^ ちなみに同クラブの先輩に山口素弘がいる[3]
  3. ^ また菅野は「日本サッカー協会(=サッカー日本代表)のスタッフに是非見てもらいたい選手」[9] として石原の名前を挙げるなど高く評価していた。
  4. ^ のちに入団する広島は2008年末の段階から非公式でオファーしている[12]
出典
  1. ^ a b c d e 平塚タウンニュース2008年7月31日付
  2. ^ ところで、浅野拓磨はなんで「ジャガー」って呼ばれてるの? qoly 2018年1月14日
  3. ^ a b m_tsuchiya18のツイート(196629455735762945)
  4. ^ a b Jリーガーの素顔「石原直樹選手編」”. スカパー (2009年12月14日). 2011年9月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年8月14日閲覧。
  5. ^ a b 日本代表候補に選出された石原直樹の強さ”. サッカーのこといろいろ書いちゃうブログ (2014年4月7日). 2014年4月13日閲覧。
  6. ^ 公式記録”. Jリーグ公式 (2003年3月15日). 2013年8月14日閲覧。
  7. ^ a b 【J2:第25節 湘南 vs 札幌 レポート】”. J'sGOAL (2006年7月2日). 2013年8月14日閲覧。
  8. ^ 【J2:第27節 水戸 vs 湘南 プレビュー】”. J'sGOAL (2006年7月12日). 2013年8月14日閲覧。
  9. ^ 【J2:第33節】湘南 vs 東京V:菅野将晃監督(湘南)記者会見コメント”. J'sGOAL (2006年8月12日). 2013年8月14日閲覧。
  10. ^ a b 菅野督監が退任”. 平塚タウンニュース (2008年12月11日). 2013年8月14日閲覧。
  11. ^ 得点順位表”. Jリーグ公式 (2008年). 2013年8月14日閲覧。
  12. ^ a b c d e f 中国新聞2012年1月29日付
  13. ^ a b 大みそかに発表!湘南・石原が大宮入り”. スポーツニッポン (2008年12月31日). 2009年6月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年8月14日閲覧。
  14. ^ J2観戦で味わう、逸材を見つける楽しみ。”. NUMBER (2009年5月7日). 2013年8月14日閲覧。
  15. ^ a b c J1大宮・石原が広島に完全移籍 先発の機会求め決断”. 埼玉新聞 (2011年12月22日). 2013年8月14日閲覧。
  16. ^ a b c d まさに身体能力のカタマリ。スーパーサブからスタメン奪取へ新たな挑戦!:石原直樹”. J'sGOAL (2012年2月13日). 2013年8月14日閲覧。
  17. ^ a b c 石原直樹”. 藤本主税公式ブログ (2012年1月6日). 2013年8月14日閲覧。
  18. ^ 石原直樹選手 完全移籍加入のお知らせ”. 浦和レッズ公式 (2014年12月16日). 2014年12月16日閲覧。
  19. ^ 浦和FW石原直樹が右ひざ前十字じん帯損傷で手術…全治約6カ月 サッカーキング 2015年4月23日
  20. ^ 浦和8強!7カ月ぶり復帰石原に“祝砲”7発で大勝 スポニチ 2015年11月12日
  21. ^ 石原直樹 出場停止のお知らせ 浦和レッズ 2016年3月15日
  22. ^ 浦和レッズ 石原直樹選手 期限付き移籍加入のお知らせ 2016年12月29日 ベガルタ仙台・オフィシャルウェブサイト
  23. ^ 【仙台】FW石原「目標としていた数字」3年ぶり10得点! スポーツ報知(2017年11月26日)
  24. ^ ベガルタ仙台 石原直樹選手 完全移籍加入のお知らせ 湘南ベルマーレ 2019年12月30日
  25. ^ 石原直樹選手 契約満了のお知らせ 湘南ベルマーレ 2022年1月8日
  26. ^ 石原直樹選手 現役引退及び「ベルマーレアンバサダー」就任のお知らせ”. 湘南ベルマーレ公式サイト. 2022年3月20日閲覧。

参考資料

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関連項目

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外部リンク

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