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神崎 驥一(かんざき きいち、1884年8月10日 - 1959年4月16日)は、日本の教育者。関西学院大学商経学部教授、関西学院大学第4代学長、同学院院長(第5代、1940年〜1950年)などを歴任した。
1884年8月10日、東京麹町に生まれる。1901年、関西学院普通学部を卒業。カリフォルニア大学に留学し、同大学院に進学する。歴史学と政治学を学んだ後、在米日本人会書記長に就任。吉岡美國第2代院長の娘婿となり、1921年、高等商業学部長就任のために帰国。大学開設に伴い、大学商経学部長を兼任、高等商業学部、大学の教授でもあった。ベーツ院長の離日後、1940年から1950年の10年間、第5代院長を務めた。その間、大学長、専門学校長も兼ねた。戦中、戦後の混乱期の関西学院を先導した。1950年、院長を定年退職した。同年の第2回参議院議員通常選挙に全国区から無所属で立候補したが落選した[1]。退職後、帝塚山学院長に就任、大阪市教育委員長も務めた。1959年に関西学院大学から名誉博士号を受けた。
- ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』541頁。
関西学院院長(第5代:1940年9月11日-1950年2月3日) |
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- 初代 W.R.ランバス 1889年9月28日-1891年1月
- (欠)
- 第2代 吉岡美國 1892年9月1日-1916年3月31日
- 第3代 J.C.C.ニュートン 1916年4月1日-1920年
- 第4代 C.J.L.ベーツ 1920年10月15日-1940年9月11日
- 第5代 神崎驥一 1940年9月11日-1950年2月3日
- 第6代 今田恵 1950年2月3日-1954年3月31日
- 第7代 H.W.アウターブリッジ 1954年4月1日-1956年6月22日
- 第8代 加藤秀次郎 1956年6月22日-1958年3月31日
- 第9代 小宮孝 1958年4月1日-1969年3月3日
- (事務取扱) 武藤誠 1969年3月4日-1969年5月24日
- (代行) 小寺武四郎 1969年5月24日-1973年4月12日
- 第10代 小寺武四郎 1973年4月12日-1973年9月30日
- (事務取扱) 玉林憲義 1973年10月1日-1974年2月14日
- 第11代 久山康 1974年2月14日-1989年3月31日
- 第12代 宮田満雄 1989年4月1日-1998年3月
- 第13代 山内一郎 1998年-2004年
- 第14代 畑道也 2004年4月-2007年3月
- 第15代 ルース・M・グルーベル 2007年4月-2016年3月
- 第16代 田淵結 2016年4月-2019年3月
- 第17代 舟木讓 2019年4月-2022年3月
- 第187代 中道基夫 2022年4月-
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関西学院理事長(第2代:1940年9月11日-1950年3月23日) |
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財団法人 関西学院 | |
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学校法人 関西学院 |
- 第3代:H.W.アウターブリッジ(1951年2月24日〜1954年3月31日)
- 第4代:今田恵 (1954年4月1日〜1960年6月15日)
- 第5代:木村蓬伍(1960年6月16日〜1964年4月22日)
- (事務取扱)加藤秀次郎(1964年4月28日〜1964年6月11日)
- 第6代:北沢敬二郎(1964年6月11日〜1967年3月31日)
- (職務代行)北沢敬二郎(1967年4月1日〜1967年7月12日)
- 第7代:加藤秀次郎(1967年7月13日〜1969年7月17日)
- 第8代:矢内正一(1969年7月18日〜1974年2月14日)
- 第9代:久山康(1974年2月14日〜1989年3月31日)
- 第10代:加藤誠之(1989年4月1日〜1992年3月31日)
- 第11代:武田建 (1992年4月1日〜2001年)
- 第12代:山内一郎(2002年〜2008年3月31日)
- 第13代:森下洋一(2008年4月1日〜2013年3月31日)
- 第14代:宮原明(2013年4月1日〜2019年3月31日)
- 第15代:平松一夫(2019年4月1日〜2020年12月2日)
- 第16代:村上一平(2021年4月1日〜現在)
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