コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

福岡県立八女高等学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
福岡県立八女中学校から転送)
福岡県立八女高等学校
地図北緯33度12分20.4秒 東経130度30分3秒 / 北緯33.205667度 東経130.50083度 / 33.205667; 130.50083座標: 北緯33度12分20.4秒 東経130度30分3秒 / 北緯33.205667度 東経130.50083度 / 33.205667; 130.50083
過去の名称 福岡県立八女中学校
福岡県八女中学校
国公私立の別 公立学校
設置者 福岡県の旗 福岡県
学区 福岡県第九学区
校訓 質実剛健 文武両道
設立年月日 1908年明治41年)3月18日
創立記念日 3月18日
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
学期 3学期制
学校コード D140221100013 ウィキデータを編集
高校コード 40165A
所在地 833-0041
福岡県筑後市和泉251番地
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
テンプレートを表示
福岡県立八女高等学校の位置(福岡県内)
福岡県立八女高等学校

福岡県立八女高等学校(ふくおかけんりつ やめこうとうがっこう, 英語: Fukuoka Prefectural Yame High School)は、福岡県筑後市和泉にある県立高等学校

概要

[編集]
歴史
1908年明治41年)に開校した「八女中学校」(旧制中学校)を前身とする。1948年昭和23年)の学制改革新制高等学校「福岡県立八女高等学校」となった。創立以来、卒業生数は2万8千名を超える。2023年令和5年)に創立115周年を迎えた。
設置課程・学科
全日制課程 普通科
  • 定員は1学年6学級240名。
  • 生徒の多くは国公立大学、私立大学等の上級学校へ進学する。
  • 2年次に理系・文系に分かれ、3年次には文系が国立文系・私立文系に分かれる。
  • 1年次には1クラス、2年次以降は理系・文系それぞれ1クラスずつ習熟クラスが設けられる。公務員クラスも存在する。
通学区
「福岡県第9学区」(筑後市八女市八女郡全域)
校是
「文武両道・質実剛健」
校章
の葉を図案化したもので、中央に「八高」の文字(旧字体)を置いている。八女中学校時代には桜の上に「八中」の文字を剣とペンで表し、文武兼備たるべき意をかねている。
校歌
  • 八女高等学校校歌「ときはの森」- 作詞は沢瀉久孝、作曲は薮文人による。歌詞は3番まである。
  • 旧制八女中学校校歌「暁」- 作詞は調慧心、作曲は吉田信太による。歌詞は5番まであり、現在もなお在校生は、八女中校歌の「八女中学」の小節を「八女高校」に読み替え、校歌として歌い継いでいる。[1]
同窓会
「八女中・八女高大同窓会」と称し、毎年5月に八女中・八女高同窓会が開かれる。関東関西筑後八女に支部を置く。
通学手段
原則として自転車または徒歩通学だが、16歳になり次第学校に申請した上でバイク免許の取得ができる。また、学校から半径8km以上の範囲に住む生徒は学校の許可をとればバイク通学できる。

沿革

[編集]
旧制中学校(男子校)時代
  • 1908年(明治41年)
    • 3月18日 - 「福岡県立八女中学校」の開校の件が許可される[2](定員を600名、入学資格を尋常小学校修了者、修業年限を5年とする)。
    • 3月29日 - 八女郡二川村への設置・開校が福岡県知事により告示される。仮事務所が八女郡教育会附属図書館に設置される。
    • 4月16日 - 八女郡会議事堂(後の八女市町村会館)および福島尋常小学校において、入学試験を実施。
    • 4月25日 - 八女郡准教員養成所を仮校舎として授業を開始。
    • 5月30日 - 開校式を挙行。初代校長は平井政愛。
  • 1909年(明治42年)
    • 3月 - 新校舎(第二棟6教室)が完成。
    • 4月 - 新校舎に移転。民営下宿所を准寄宿舎として使用を開始。
  • 1910年(明治43年)3月 - 校舎(第三棟)が完成。
  • 1911年(明治44年)
    • 3月 - 博物・物理特別教室棟が完成。
    • 6月 - 寄宿舎3棟が完成。
    • 12月 - 本館が完成。
  • 1912年(明治45年)3月 - 第一棟が完成。この年、校歌を制定。
  • 1913年大正2年)1月 - 講堂・剣道場が完成。
  • 1914年(大正3年)3月 - 定員を700名に増員。
  • 1916年(大正5年)3月 - 定員を800名に増員。
  • 1920年(大正9年)2月 - 福岡県立八女工業学校を併置。校舎第四棟が完成。
  • 1921年(大正10年)
    • 3月 - 定員を1,000名に増員。
    • 12月 - 財団法人八女中学校育英会を設立。
  • 1922年(大正11年)3月 - 定員を1,200名に増員。
  • 1925年(大正14年)4月1日 - 「福岡県八女中学校」と改称。
  • 1927年(昭和2年)1月 - 校舎第五棟が完成。
  • 1932年(昭和7年)4月 - 定員を750名とする。
  • 1936年(昭和11年)3月 - 定員を1,200名とする。補習科(定員30名)を設置。
  • 1944年(昭和19年)10月 - 通年の学徒・勤労動員で授業が停止状態となる。
  • 1945年(昭和20年)
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革が行われる(六・三制の実施、新制中学校の発足)。
    • 旧制中学校としての生徒募集を停止。
    • 経過措置として、新制中学校を併設し(以下・併設中学校)、旧制中学校1・2年修了者を新制中学校2・3年生として収容。
新制高等学校
  • 1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革により「福岡県立八女高等学校」(現校名)と改称。この時点では男子校であった。
    • 併設中学校卒業者(3年修了者)を新制高校1年生、旧制中学校4・5年修了者を新制高校2・3年生として収容。
    • 併設中学校を継承し、1946年(昭和21年)4月に旧制中学校へ最後に入学した3年生のみとなる。
    • 定員を750名とする。
  • 1949年(昭和24年)
    • 2月 - 新校歌を制定。
    • 3月 - 最後の卒業生を送り出し、併設中学校を廃止。
    • 4月1日 - 学区制・男女共学を実施。女子生徒176名が入学。
  • 1952年(昭和27年)12月 - 体育館が完成。
  • 1957年(昭和32年)4月 - 学区を改定。新学区は広川・福島・南・筑南・八幡・古川・水田・羽犬塚・岡山・荒木・花宗・東山の各中学区となる。
  • 1958年(昭和33年)
  • 1959年(昭和34年)3月 - 校旗を制定。
  • 1966年(昭和41年)
    • 1月 - 同窓会館竣工
    • 12月 - 1963年(昭和38年)から続いていた校舎改築工事(第一~五期)が完了。
  • 1970年(昭和45年)7月 - 校友会が発足。
  • 1973年(昭和48年)4月 - 通学区が筑後市八女市・八女郡全域と久留米市(荒木)、三潴郡(三潴・大木)、山門郡(東山)の各中学校区に拡大される。
  • 1975年(昭和50年)3月 - 武道場が完成。
  • 1977年(昭和52年)
    • 3月 - 新体育館が完成。
    • 9月 - 弓道場が完成。
  • 1979年(昭和54年)3月 - 同窓会館「泉ヶ丘会館」が完成。
  • 1980年(昭和55年)5月 - 八女高音頭が完成。
  • 1981年(昭和56年)3月 - 新プールが完成。
  • 1983年(昭和58年)- 2教室を増築。
  • 1984年(昭和59年)4月 - 運動場を整備。
  • 1988年(昭和63年)- 創立80周年を記念して、校訓「質実剛健」を制定。
  • 1989年(平成元年)9月 - 本館を増築。
  • 1991年(平成3年)2月 - 図書館の大規模改造を実施。
  • 1994年(平成6年)2月 - 多目的アリーナが完成。
  • 2004年(平成16年)10月30日 - 1999年(平成11年)から開始した校改築舎工事(第一~四期)が完了。
  • 2007年(平成19年)4月 - 応援団を創設。
  • 2008年(平成20年)
    • 9月 - 同窓会館「泉ヶ丘会館」および体育館(武道場)を改築。
    • 10月 - 新弓道場が完成。
    • 11月 - 創立100周年記念式を挙行。
  • 2018年(平成30年)11月 - 創立110周年記念式を挙行。

部活動

[編集]
運動部
文化部

著名な学校関係者

[編集]

旧制・八女中学校

[編集]
軍人
  • 第1回生 : 木下俊蔵 - 軍人陸軍士官学校卒、大日本帝国陸軍大尉、大正9年シベリア出兵時に戦死)
  • 第23回生 : 小島直記 - 軍人(大日本帝国海軍大尉)、小説家(1919~2008)
  • 第24回生 : 河島義夫 - 軍人(海軍兵学校69期)
  • 第25回生 : 平島俊郎 - 軍人(海軍兵学校70期、大日本帝国海軍少佐、フィリピン島東方にて戦死、攻405)
  • 第26回生
    • 川島巌 - 軍人(海軍兵学校71期、大日本帝国海軍少佐、沖縄八重岳方面にて戦死、沖縄根)
    • 木下芳夫 - 軍人(海軍兵学校71期、大日本帝国海軍少佐、台湾方面にて戦死、戦308)
    • 大淵浩 - 軍人(海軍兵学校71期、大日本帝国海軍少佐、ルソン島付近にて戦死、戦308)
    • 川島健作 - 軍人(海軍兵学校71期)
  • 第27回生
    • 大坪久幸 - 軍人(海軍兵学校72期)
    • 蒲池経春 - 軍人(海軍兵学校72期、大日本帝国海軍大尉、南シナ海にて戦死、954空)
  • 第28回生
    • 寺山文融 - 軍人(海軍兵学校73期)
    • 川島健作 - 軍人(海軍兵学校73期)
    • 神吉弥彦 - 軍人(海軍兵学校73期、航空自衛隊第7航空団飛行群司令、後に空将)
  • 第29回生 : 秀徳長次 - 軍人(海軍兵学校74期)
文化人等
関係者

八女高等学校

[編集]

交通

[編集]
最寄りの鉄道駅
最寄りのバス停留所
最寄りの幹線道路

周辺

[編集]

脚注

[編集]

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]