稲葉隆一
表示
稲葉隆一 | |
---|---|
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 東京都出身(出生地は千葉県) |
生年月日 | 1941年5月15日(83歳) |
所属団体 | JRA |
初免許年 | 1974年 |
引退日 | 2012年2月29日 |
通算勝利 | 6920戦525勝 |
重賞勝利 | 14勝 |
G1級勝利 | 2勝 |
経歴 | |
所属 |
稲葉幸夫/調教助手(1963 - 1964) 米国研修(1964 - 1974) 東京競馬場(1974 - 1978) 美浦T.C.(1978 - 2012) |
稲葉 隆一(いなば りゅういち、1941年5月15日 - )は、元日本中央競馬会(JRA)調教師。元JRA調教師の稲葉幸夫は実父。
来歴
[編集]1964年、アメリカ合衆国・サンタアニタパーク競馬場のタミドール厩舎で研修を受ける。
1974年に調教師免許を取得し、1975年に東京競馬場に厩舎を開業。管理馬の初出走は1975年9月14日、中山第4競走でササキドーターが3着。同年9月21日、中山第4競走でホワイトベルが厩舎初勝利を挙げる。
1978年、厩舎が美浦トレーニングセンターに移転。
1997年2月8日、東京障害特別・春でマイネルトレドールが勝利し、重賞初勝利。同年8月31日、新潟3歳ステークスでクリールサイクロンが勝利し、平地重賞初勝利。
1998年12月20日、スプリンターズステークスでマイネルラヴが勝利し、GI初勝利を挙げる。
2011年の中山グランドジャンプをマイネルネオスが勝利し、最後のGIとなった。そして、2012年2月29日付で定年のため調教師を引退した[1]。
調教師成績
[編集]通算成績 | 1着 | 2着 | 3着 | 出走回数 | 勝率 | 連対率 |
---|---|---|---|---|---|---|
平地 | 495 | 545 | 586 | 6711 | .074 | .155 |
障害 | 30 | 21 | 18 | 209 | .143 | .244 |
計 | 525 | 566 | 604 | 6920 | .076 | .158 |
日付 | 競走名 | 馬名 | 頭数 | 人気 | 着順 | |
---|---|---|---|---|---|---|
初出走 | 1974年9月14日 | - | ササキドーター | - | - | 3着 |
初勝利 | 1974年9月21日 | - | ホワイトベル | - | - | 1着 |
重賞初出走 | 1976年10月10日 | スプリンターズS | シカゴ | 9頭 | 8 | 3着 |
GI初出走 | 1981年5月24日 | 優駿牝馬 | クインヤマタケ | 24頭 | 20 | 18着 |
重賞初勝利 | 1997年2月8日 | 東京障害特別(春) | マイネルトレドール | 10頭 | 2 | 1着 |
GI初勝利 | 1998年12月20日 | スプリンターズS | マイネルラヴ | 15頭 | 7 | 1着 |
主な管理馬
[編集]- マイネルトレドール(1997年東京障害特別・春)
- クリールサイクロン(1997年新潟3歳ステークス、1998年スプリングステークス)
- マイネルラヴ(1998年セントウルステークス、スプリンターズステークス、1999年シルクロードステークス)
- マイネルコンバット(2000年ジャパンダートダービー)
- サクセスストレイン(2001年クイーンカップ)
- マイネヌーヴェル(2003年フラワーカップ)
- マイネルスケルツィ(2006年ニュージーランドトロフィー、2007年京都金杯)
- マイネルチャールズ(2008年京成杯、弥生賞)
- ドリームパスポート(2008年1月に松田博資厩舎から転厩)
- マイネルアワグラス(2008年シリウスステークス)
- マイネルネオス(2011年中山グランドジャンプ)
主な厩舎所属者
[編集]※太字は門下生。括弧内は厩舎所属期間と所属中の職分。
脚注
[編集]- ^ 調教師4名、高橋 亮・伊藤 直人騎手が引退 - JRA 2012年2月9日付リリース