コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ゆーとぴあ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
立花伸から転送)
ゆーとぴあ
メンバー ホープ(城後光義)
ピース(帆足新一)
結成年 1978年
1996年(再結成)
2017年(再々結成)
解散年 1989年
2008年
事務所 ライムライト
ニュースタッフエージェンシー
サワズカムパニー
三木プロダクション
→ホープ:ビッグ・ブッキング・エンターテインメント
ピース:エイムプロモーション→オフィスコットン
活動時期 1978年 - 1989年
1998年 - 2008年
2017年 -
師匠 熊田にげろう(ホープ)
出会い 浅草松竹演芸場
旧コンビ名 富士ホープ・ピース、大空ホープ・ピース(ホープ)
コント笑バンク(ピース)
旧トリオ名 コント・スリーピース、コントSOS(ホープ)
現在の活動状況 活動中
芸種 コント
過去の代表番組 お笑いスター誕生!!
同期 ツービート
テンプレートを表示

ゆーとぴあは、日本のコントコンビである。ゴムパッチン芸で一世を風靡した。

活動時期は1978年 - 1989年1996年 - 2008年2017年 - 。

ライムライトニュースタッフエージェンシーサワズカムパニー三木プロダクションに所属していた。2015年より芸能プロダクションビッグ・ブッキング・エンターテインメント (株式会社BBE)」に所属。共に大病を患ったことで、後から病気になったピースがホープに相談したことがきっかけとなり、2017年に再々結成[1]

メンバー

[編集]

概説

[編集]

第1期(昭和期)

[編集]

1978年浅草松竹演芸場で結成。ピースが口に咥えた極太ゴム紐をホープが引っ張り、顔面に直撃させるゴムパッチン芸で、一躍脚光を浴びた。

花王名人劇場』への初出演を前に、澤田隆治プロデューサーと「よろしくネ」のポーズやゴムパッチン芸を改良し、学園ドラマ風の掛け合いから、生徒(ピース)に咥えさせたゴム紐を教師(ホープ)が引っ張りつつ、

人生は長いようで短い。短いようで長い。そう、この1本のゴムのように…
「さあ、人生を噛み締めろ」
「人生は、長い、長い、道のりを歩かなければならない」
「人生とは、痛みに耐えるものなんだ」
「人生は厳しい。そして、人生は2度ある」

…等と説教するツカミを加えて、人気を不動のものにする。

ゴム紐が伸び切ったところで生徒がすかさず口を開き、教師に逆襲するというバリエーションもある。ゲストやを相手に敢行する場合もあり、誰もが痛がることから察するに、実際に相当痛い模様。

コマーシャルにも多数出演するなど幅広く活躍したが、その後ゴムパッチンがマンネリ化して受けなくなったため、『ゴム地獄からの脱出』と銘打ってゴムパッチン無しのパターンにも挑むが、ジリ貧に喘ぐ。

『田端グループ』の長としてホープの若手育成能力を高く評価する澤田が、東阪企画のスカウト兼教育係にと誘ったがこれを断わり、自前の芸能事務所『チャンプ企画』を設立。しかしこれが元で借金が嵩み、ホープは躁鬱病から睡眠薬ギャンブル依存症に陥って、家庭も崩壊した。

ご容態に伴う自粛」で営業が激減した事でも打撃を受け、1989年に所属事務所に無断で解散を強行。この時ホープの盟友ビートたけしの計らいで、『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』の番組内で『最後のゴム』と題した解散式を行ったが、ホープはニュースタッフエージェンシーから破門を申し渡されて仕事を干され、借金苦から芸も荒れて、表舞台からフェードアウトする。

ピースは歌舞伎町のスナックの雇われ店長で糊口を凌いだ。

第2期(平成期)

[編集]

ホープは『たけし軍団』に対抗し、ぼんちゃん(西田和晃)らチャンプ企画で面倒を見ていた若手を率いて『ホープ軍団』の活動を本格化したが浮上せず。写真週刊誌フライデー』の企画で、自分に多額の保険金を掛けて内戦下のアフガニスタンに渡り、ムジャーヒディーン民兵の前で慰問と称してゴムパッチン芸を披露するなど、捨て身の営業も行ったが挽回できずにいたところ、旧知のサワズカムパニーの社長と偶然再会。ちょい役を紹介される内に、グルメや温泉番組のレポーターとして定着した。

しかし舞台に未練のあるホープは、『コント百連発』(相方は轟二郎)『アッパー8』(相方は武者)を解散した弟弟子の水島びん・青木イサムと『コントSOS』を組むなどしたがパッとせず、ピースの副業もバブル崩壊で行き詰まったため、ホープと義兄弟の契りを結ぶ石倉三郎の取り成しで、古巣のニュースタッフエージェンシー(渋谷道頓堀劇場)に詫びを入れ、1996年にコンビ再結成した。

ピースに学生服が似合わなくなったため、

「先生、人生とは何でしょうか」
「先生が教えられる事は、何もない。お前は人生の何たるかを知っている。先生が教えて貰いたい位だ」

……とのボケを加えるなど、ゴムパッチン芸もバージョンアップした。

『東京新喜劇21』を共同座長として率いた他、従前のピン活動も継続した。2006年公開の『トリック劇場版2』は、監督の堤幸彦が大ファンだった事から、ゆーとぴあのギャグを前提に脚本構成されており、重要な役回りを与えられて出ずっぱりで出演。これを機に人気復活するものと当て込んで、自費でグッズやCDなどを用意したが、大量に売れ残ったため、また借金を背負った。

2007年には結成30周年記念公演を行ったが、これも失敗して借金を増やし、2008年9月23日にピースが座長の劇団を旗揚げした後、10月20日にホープが一方的にコンビ再解散と、ゴム封印を発表した。

解散を知らされていなかったピースは、フジテレビのインタビューにおいてショックを受けた様子で「凍結と思っていた」「電話一本欲しかった」と述べた[7][8]

ホープは2009年4月にブッチー武者・酒井晴人激弾BKYU座長)と『ホープ軍団』を再旗揚げし、同年11月26日、下積み時代から親交の深いビートたけしの命名により『ホープ軍団』から『コント八ッ場ダム』へと改名した。

またホープは、仕事が減ったベテラン芸人や、売れない若手に活動の場を提供する『お笑い職業安定所』を主宰している。

主なギャグ

[編集]
  • 「よろしく~ねっ!」
左足を右の方に蹴り上げて両腕を左横に振る、人が走るようなポーズ
初期にはレギュラーの『あるある探検隊』の決めポーズ(二人が肩を組み、手を広げて一歩前に飛び出すポーズ)に似た格好もしていた。
  • 「も~嫌っ!」
「よろしく~ねっ!」の締め挨拶版、ポーズは一緒。
  • 「先生!」「何だ生徒」「名前くらい覚えて下さいよ」「そうだったな、バカ」「バカバカ言わないで下さいよ。僕にだって名前があるんです」「じゃ佐藤」「僕は山本です」「いや、お前は佐藤だ」
  • 「血だ!」
北の湖魁皇が土俵上で同じポーズを良く見せている
  • 「おでーかんさまぁ、おねげぇしますだ」「こうなったら、一揆を起こすしかないべ」
  • 「何だ、この(陰険な)静けさは…」
滑った時に用いる自虐ギャグ。レオナルド熊の持ちネタを承継

出演

[編集]

テレビ

[編集]
『田端グループ』以外の芸人も数多く発掘・推薦してスターダムに伸し上げたが、師匠が組んだコンビ『ラッキーパンチ』を紹介した際「ヨゴレは駄目」と見下したプロデューサーと衝突し、人気絶頂だったにもかかわらず、7週勝ち抜きの時点で途中降番させられた[要出典]

テレビドラマ

[編集]
ホープ(城後光義名義)単独
ピース単独

映画

[編集]
  • 新・唐獅子株式会社(1999年、ギャガ・コミュニケーションズ)
  • 鉄道員(1999年、東映 - ホープ単独、本名名義)
  • トリック劇場版2 (2006年、東宝) - 信者 役(城後光義・ほあししんいち名義)
  • 電エースカオス(2023年12月22日、エクストリーム)ホープのみ[9] 

Vシネマ

[編集]
ホープ
ピース
  • 悪銭狩り(2000年) - 刀和企画社長 青野井健作(マユミの男)
  • 実録・史上最大の抗争 義絶状(2002年、GPミュージアム) - 三代目山王会直参 嘉門組組長 嘉門耀司
  • 実録・史上最大の抗争 義絶状2(2002年、GPミュージアム) - 四代目山王会若頭補佐 嘉門組組長 嘉門耀司
  • 実録・瀬戸内やくざ戦争 伊予路水滸伝(2003年)
  • 実録・関東やくざ戦争 修羅の盃(2003年、GPミュージアムソフト)
  • 実録・竹中正久の生涯 荒らぶる獅子(前編・後編) - 福岡県警刑事課長・村田
  • 首領への道21,22 - 島田組白虎会狭間組舎弟頭 神崎三郎(→狭間組組長代行)
  • 首領への道外伝・白虎会見参(2004年) - 播州組幹部 安峰組組長 安峰丈一郎
  • 新・日本の首領(2004年、GPミュージアム) - 村井組組員 佐々木栄作  
  • 誇り高き野望4・5(2005年、アネック)- 森田組 堀越良馬
  • 修羅之魂1 侠客立志編(2008年)
  • 修羅之魂2 激動渡世編(2008年)
  • 野望への挑戦 完結編(2009年)
  • 欲望の代償(2016年)
  • 哀しき抗争(2017年) - 佐々木稔

CM

[編集]

舞台

[編集]
  • "FT PRO"Presents『遠き日の落球 2024』あの時から続いているから今なんだ…(2024年3月20日 - 24日、 シアター・アルファ東京)ピースのみ[10]

発売メディア

[編集]

EP

[編集]

CD

[編集]

DVD

[編集]
  • 『MCアンジャッシュin東京コントまつり「ゴムパッチン顔面直撃!」の巻』(竹書房、2006年)ASIN B000EBDGSS

書籍

[編集]
  • 『パロディギャグ大行進 ゆーとぴあの体罰教室』(双葉社なんでもプレイ百科37、1981年)
  • 『コント馬鹿 小説(ゆーとぴあ)ホープ』(吉川潮芸文社、2010年)ISBN 9784863960367

脚注・出典

[編集]
  1. ^ ゆーとぴあ、コンビでがんだった 9年ぶり再結成「今の方が面白い」/デイリースポーツ
  2. ^ 主なメンバーはたんごしん、はらみつお高峰東天・愛天、ブッチー武者青木イサムコント赤信号コント山口君と竹田君コントD51等である。
  3. ^ 後の『ダチョウ倶楽部南部虎太追放劇と同様である。
  4. ^ ビッグ・ブッキング・エンターテインメント プロフィール
  5. ^ 西条昇の浅草エンタメ散歩 2018年11月10日
  6. ^ 真木淳が組んでいた『アタック・コンビ』とは無関係
  7. ^ 2008年10月21日『FNNスーパーニュース』、10月22日『情報プレゼンター とくダネ!
  8. ^ 上記のインタビューでホープは「大腸癌で余命2年と宣告された」「前歯が抜けてしまって、もうゴムを咥えられない」と述べたが、実際には短時間の内視鏡手術で済む大腸ポリープだった。
  9. ^ 映画『電エースカオス』公式サイト”. 映画『電エースカオス』公式サイト. 2024年1月7日閲覧。
  10. ^ 後悔残した高校球児たち描く「遠き日の落球 2024」に山本亮太・横山涼・三好杏依ら”. ステージナタリー. ナターシャ (2024年2月25日). 2024年2月25日閲覧。

外部リンク

[編集]