竹内惟忠
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竹内 惟忠(たけのうち[1] / たけうち[2] これただ、1858年12月5日(安政5年11月1日[1])- 1907年(明治40年)12月26日[1][2][注 1])は、明治時代の国学者、政治家、華族。貴族院子爵議員。号・銀台[3]。
経歴
[編集]山城国京都で右馬頭・竹内治則の長男として生まれる[1][4]。父の死去に伴い、1888年(明治21年)9月28日、子爵を襲爵した[1][5]。京都府愛宕郡大宮村(現京都市北区)に居住した[6]。
渡邊重石丸に師事し、その家塾道生館の幹事として後進の指導に当たった[3][7]。
1890年(明治23年)7月10日、貴族院子爵議員選出され、死去するまで在任した[2]。その他、1914年に大喪使祭官を務めた[6]。墓所は青山霊園1-ロ-12-27。
著作
[編集]- 校閲
- 渡辺重石丸『学海針路』道生館、1883年。
親族
[編集]- 妻 竹内絢子(あやこ、久邇宮朝彦親王第五王女)[1]
- 長男 竹内惟治(子爵)[1][7]
- 二男 竹内惟斌(子爵)[1]
- 長女 長谷川千代子(長谷川久四郎の妻)[8]
- 弟 藤堂高成(藤堂高節養子)[1]
- 弟 竹内茂の岳父に今園国映
- 妹 真田輯子(真田幸民妻)・島津田鶴子(島津忠済妻)・本堂宇多子(本堂親雄妻)[1]
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『日本人名大事典』第4巻、114頁では12月25日。
出典
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録』〔初版〕、1903年。
- 大植四郎編『明治過去帳』新訂初版、東京美術、1971年(原著私家版1935年)。
- 『日本人名大事典 第4巻』平凡社、1979年(『新撰大人名辞典』(昭和12年刊)の改題複製)。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』下巻、霞会館、1996年。
- 京都市姓氏歴史人物大辞典編纂委員会編著『京都市姓氏歴史人物大辞典』角川日本姓氏歴史人物大辞典26、角川書店、1997年。
日本の爵位 | ||
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先代 竹内治則 |
子爵 竹内家第2代 1888年 - 1907年 |
次代 竹内惟治 |