第4戦車大隊
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第4戦車大隊 | |
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創設 | 1954年(昭和29年)10月5日 |
廃止 | 2018年(平成30年)3月26日 |
所属政体 | 日本 |
所属組織 | 陸上自衛隊 |
部隊編制単位 | 大隊 |
兵科 | 機甲科 |
兵種/任務 | 戦車部隊 |
所在地 | 大分県玖珠郡玖珠町 |
編成地 | 熊本 |
最終上級単位 | 第4師団 |
担当地域 | 日田玖珠地域、北部九州 |
第4戦車大隊(だいよんせんしゃだいたい、英語: JGSDF 4th Tank Battalion)は、大分県玖珠郡玖珠町の玖珠駐屯地に駐屯していた陸上自衛隊第4師団隷下の機甲科部隊で西部方面戦車隊の新編に伴い、2018年(平成30年)3月26日をもって部隊廃止となった。
概要
[編集]部隊マークは、1980年ごろに中隊ごとに異なったマークを制定し、部隊廃止までの間使用された。本部管理中隊は、数字の4を矛と鳩をイメージしたデザインの師団マークに、雄牛の角を意匠化したものを組み合わせている。(廃止後、西部方面戦車隊の部隊マークに同じ雄牛の角が用いられている。)第1戦車中隊は、数字の4を矛と鳩をイメージしたデザインの師団マークに、黒豹を組み合わせている。第2戦車中隊は、数字の2に雷光を重ね合わせている。廃止されるまで第4戦車大隊長が駐屯地司令を兼職していた。
沿革
[編集]第4特車大隊
第4戦車大隊
- 1962年(昭和37年)
- 1月18日:第4戦車大隊に称号変更(3個戦車中隊基幹)。
- 8月15日:第4戦車中隊を新編。
- 1966年(昭和41年)3月10日:玖珠駐屯地に移駐[1]。
- 1970年(昭和45年)7月27日:61式戦車が配備。
- 1971年(昭和46年)2月13日:M4中戦車、M24軽戦車が退役。
- 1991年(平成 3年)3月29日:戦車北転事業により、第4戦車中隊が廃止。
- 2003年(平成15年)3月27日:師団改編による戦車増強により、第4戦車中隊を再編。後方支援体制変換に伴い、整備部門を第4後方支援連隊第2整備大隊戦車直接支援中隊へ移管。
- 2006年(平成18年)9月 :玖珠駐屯地武器亡失事件。
- 2011年(平成23年)3月 :東日本大震災による災害派遣活動、南三陸町歌津地区で捜索救助活動、気仙沼市で捜索救助活動および物資輸送支援を実施[2]
- 2013年(平成25年)3月26日:第4師団の即応近代化改編により、第3戦車中隊および第4戦車中隊を廃止。
- 2016年(平成28年)
- 2017年(平成29年)
- 4月16日:熊本地震に伴い災害派遣を実施。
- 7月:5日の平成29年7月九州北部豪雨で広瀬勝貞大分県知事から災害派遣要請を受け、13日まで人命救助に当たる[4]。
- 2018年(平成30年)3月26日:第4戦車大隊廃止。第1戦車中隊は同時廃止の第8戦車大隊と併合し、西部方面戦車隊の第4戦車中隊に改編。また、第2戦車中隊は水陸機動団戦闘上陸大隊の1個中隊に改編[5]。
廃止時の部隊編成
[編集]- 第4戦車大隊本部
- 本部管理中隊「4戦-本」
- 第1戦車中隊「4戦-1」:74式戦車、10式戦車(西部方面戦車隊の第4戦車中隊に改編。)
- 第2戦車中隊「4戦-2」:74式戦車、AAV7水陸両用車(水陸機動団戦闘上陸大隊の1個中隊に改編。)
整備支援部隊
[編集]歴代の大隊長
[編集]代 | 氏名 | 在職期間 | 前職 | 後職 |
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1 | 田中義憲 | 1954年10月 | 5日 - 1956年 8月19日||
2 | 飯塚武治 | 1956年 | 8月20日 - 1959年 3月15日陸上自衛隊幹部学校 | |
3 | 岡元功 | 1959年 | 3月16日 - 1963年 3月15日陸上自衛隊富士学校 | 陸上自衛隊富士学校研究部第4課長 |
4 | 小田信次 | 1963年 | 3月16日 - 1965年 3月15日陸上自衛隊富士学校勤務 | 第7師団司令部第3部長 |
5 | 上野忠夫 | 1965年 | 3月16日 - 1968年 7月15日陸上自衛隊富士学校勤務 | 第13師団司令部付 |
6 | 岡恭典 | 1968年 | 7月16日 - 1971年 3月15日第3教育団本部勤務 | |
7 | 畠中弘 | 1971年 | 3月16日 - 1973年 3月15日第2偵察隊長 | |
8 | 品川和信 | 1973年 | 3月16日 - 1974年 7月15日陸上幕僚監部第5部勤務 | 陸上自衛隊富士学校勤務 |
9 | 永嶌康昭 | 1974年 ※1976年 4月 1日 1等陸佐昇任 |
7月16日 - 1976年 8月 1日第10師団司令部付 | 第3戦車群長 |
10 | 西元徹也 | 1976年 | 8月 2日 - 1978年 3月15日陸上幕僚監部第1部勤務 | 陸上自衛隊幹部学校付 |
11 | 河村和甫 | 1978年 | 3月16日 - 1980年 7月31日今津駐屯地業務隊長 | 装備開発実験隊車両科長 |
12 | 渕上利治 | 1980年 | 8月 1日 - 1982年 8月 1日陸上自衛隊富士学校勤務 | 第4師団司令部総務課長 |
13 | 野鶴久雄 | 1982年 | 8月 2日 - 1985年 3月15日装備開発実験隊勤務 | 装備開発実験隊勤務 |
14 | 曽根崎博臣 | 1985年 | 3月16日 - 1987年 3月15日装備開発実験隊勤務 | 陸上自衛隊富士学校学校教官 |
15 | 天野亮介 | 1987年 ※1988年 7月 1日 1等陸佐昇任 |
3月16日 - 1989年 3月15日陸上自衛隊幹部候補生学校勤務 (2等陸佐) |
自衛隊福岡病院総務部長 |
16 | 八久保翼 | 1989年 | 3月16日 - 1991年 3月15日自衛隊鹿児島地方連絡部募集課長 | 陸上自衛隊幹部学校勤務 |
17 | 森三千雄 | 1991年 | 3月16日 - 1993年 3月23日陸上自衛隊幹部候補生学校勤務 | 自衛隊熊本病院総務部長 |
18 | 松本純三 | 1993年 | 3月24日 - 1995年 7月31日西部方面総監部広報室長 | 陸上自衛隊富士学校管理部 演習場管理課長 |
19 | 竹下賢一 | 1995年 | 8月 1日 - 1997年 7月31日偵察教導隊長 | |
20 | 岩田清文 | 1997年 ※1998年 1月 1日 1等陸佐昇任 |
8月 1日 - 1998年 7月31日陸上幕僚監部防衛部防衛課勤務 (2等陸佐) |
陸上幕僚監部付 |
21 | 野尻伸二 | 1998年 | 8月 1日 - 2001年 3月31日陸上自衛隊幹部候補生学校勤務 | |
22 | 河野裕俊 (1等陸佐) |
2001年 | 4月 1日 - 2003年 7月31日西部方面総監部募集課長 | 陸上自衛隊幹部候補生学校総務部 総務課長 |
23 | 成清浩一 | 2003年 ※2004年 1月 1日 1等陸佐昇任 |
8月 1日 - 2005年 3月27日陸上幕僚監部調査部付 (2等陸佐) |
第7師団司令部第3部長 |
24 | 坂野佳彦 | 2005年 ※2006年 1月 1日 1等陸佐昇任 |
3月28日 - 2006年 8月 3日(2等陸佐) |
陸上自衛隊富士学校機甲科部 研究課長 |
25 | 長野晃 | 2006年 | 8月 4日 - 2007年 1月24日陸上自衛隊幹部学校 | 陸上自衛隊幹部学校 |
26 | 大塚元幸 (1等陸佐) |
2007年 | 1月25日 - 2009年 3月23日陸上自衛隊富士学校学校教官 | 北部方面総監部総務部総務課長 |
27 | 大関雅宏 | 2009年 ※2009年 7月 1日 1等陸佐昇任 |
3月24日 - 2011年 4月18日第1混成団本部勤務 (2等陸佐) |
陸上自衛隊富士学校機甲科部 研究課長 |
28 | 前島政樹 | 2011年 ※2012年 1月 1日 1等陸佐昇任 |
4月19日 - 2012年 6月30日陸上幕僚監部防衛部防衛課 (2等陸佐) |
陸上幕僚監部人事部補任課勤務 |
29 | 伊藤博幸 | 2012年 ※2013年 7月 1日 1等陸佐昇任 |
7月 1日 - 2014年 3月22日陸上幕僚監部人事教育部人事教育計画課 (2等陸佐) |
陸上自衛隊研究本部研究員 |
30 | 濱平信一 | 2014年[6] - 2015年 7月31日 ※2015年 7月 1日 1等陸佐昇任 |
3月23日東部方面総監部人事部 (2等陸佐) |
北部方面総監部人事部募集課長 |
31 | 篠原賢治 | 2015年 ※2017年 7月 1日 1等陸佐昇任 |
8月 1日 - 2017年 7月31日陸上自衛隊富士学校機甲科部 (2等陸佐) |
北部方面総監部総務部 地域連絡調整課長 |
末 | 黒木正憲 (1等陸佐) |
2017年 | 8月 1日 - 2018年 3月26日陸上幕僚監部運用支援・訓練部 運用支援課陸上連絡官 |
西部方面戦車隊長 兼 玖珠駐屯地司令 |
主要装備
[編集]- 74式戦車
- 10式戦車(第1戦車中隊のみ)
- AAV7水陸両用車(第2戦車中隊のみ)
- 96式装輪装甲車
- 軽装甲機動車
- 1/2tトラック/73式小型トラック
- 1 1/2tトラック/73式中型トラック
- 3 1/2tトラック/73式大型トラック
- 89式5.56mm小銃
過去の装備
[編集]廃止部隊
[編集]- 第4戦車中隊「4戦-4」:1991年(平成 3年)3月29日廃止。戦車北転事業により廃止。
- 第3戦車中隊「4戦-3」:2013年(平成25年)3月26日廃止。第4師団の即応近代化改編により廃止。
- 第4戦車中隊「4戦-4」:2013年(平成25年)3月26日廃止。第4師団の即応近代化改編により廃止。
警備隊区
[編集]脚注
[編集]- ^ 陸上自衛隊玖珠駐屯地開設記念行事 - 陸上自衛隊玖珠駐屯地の歴史 - 玖珠町商工会
- ^ 東日本大震災に対する第4師団所在部隊の災害派遣活動
- ^ SATマガジン出版『ストライクアンドタクティカルマガジン』(2016年5月号)
- ^ “平成29年7月九州北部豪雨に係る災害派遣について(最終報)”. 防衛省 (2017年8月20日). 2018年7月22日閲覧。
- ^ 陸自、水陸機動団の部隊を玖珠、湯布院に配置へ - 大分合同新聞 電子版『GATE』 (大分合同新聞9月24日付朝刊掲載、2016年11月7日閲覧)
- ^ 鎮西新聞(第568号)2面 西部方面隊 平成26年4月30日
参考文献
[編集]- 『PANZER臨時増刊 ウォーマシンレポート50 陸上自衛隊の戦車部隊 その歴史と現状』アルゴノート社、2016年
- 菊池征男『陸上自衛隊機甲科全史』イカロス出版、2017年
- 鉄輪 : 創隊30周年記念誌(陸上自衛隊玖珠駐屯部隊第四戦車大隊、1984年)