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篠原勝之

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

篠原 勝之(しのはら かつゆき、本名同じ[1]1942年昭和17年〉4月15日[1][2] - )は、日本の芸術家タレント。自らを「ゲージツ家」と称している[3][4]

愛称はクマさんで、「KUMA[2][5]名義でも活動する。

タモリビートたけし明石家さんまなど、人気芸人とも共演し、独特の話術で茶の間の人気者となるが、その後、テレビ番組から姿を消す[4]

血液型B型[2]。趣味は剣道。KUMA's FACTORY(クマズファクトリー[6][7]1986年設立[8])所属。

来歴・人物

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北海道室蘭市出身[9][10]札幌市生まれ[4])。生後すぐにジフテリアにかかり、嗅覚と左耳の聴覚を失った[4][11]深沢七郎の『ラブミー農場』に住んでいたことがあり、嵐山光三郎の『桃仙人 小説深沢七郎』(メタローグ)にも「彫刻家のクマちゃん」として登場する。

室蘭市立朝陽小学校[9]室蘭市立蘭東中学校[12]北海道室蘭栄高等学校卒業。武蔵野美術大学中退[13]奈良市在住。

1973年から1979年まで、唐十郎が主宰する状況劇場のポスターや舞台美術を担当し、芸能界と関係を持つ[4]嵐山光三郎赤瀬川原平南伸坊糸井重里村松友視椎名誠らと親しくなり、彼らの本を「面白エッセイ」として次々に刊行していた情報センター出版局から、1981年に『人生はデーヤモンド』を刊行。独特の文体とキャラクターで人気を博す。

また1982年から嵐山が司会をしていた『笑っていいとも!増刊号』に出演したことで注目され、以降はタモリビートたけし明石家さんまお笑いBIG3の番組を中心に、テレビタレントとしても活動するようになる[4]

溶接オブジェを得意とし「鉄のゲージツ家」の異名を持つ。溶接の他にもガラスや銅版画での作品を発表している。日頃から自分の作品を「芸術」ではなく「ゲージツ」と称している[4]

文筆でも活躍し、2009年には『走れUMI』で第45回小学館児童出版文化賞を、2015年には『骨風』で第43回泉鏡花文学賞を受賞[4][14]。『骨風』は、山崎哲の作構成で舞台化され、山崎の演出により2016年12月に初演された。この舞台には篠原も出演し、自分自身などを演じた。

スキンヘッド着流し姿がトレードマーク[4]。前妻との間に一男一女をもうけている[11]

エピソード

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1960年代後半から70年代にかけて、東京都新宿区でプロ級の喧嘩師と称されていた時代があったことを、篠原の若いころを知る数々の著名人が証言している。

幼児期は、実の父親からほぼ虐待に近いくらいの体罰をうけて育ったことを著作で明かしている。拳で殴られる、ビンタをされるなどは日常茶飯事であったという。

ビートたけしとの出会いは西荻窪の定食屋。さんま定食を食べているたけしの箸づかいに感嘆し、教養がある人だと思ったという[15]

赤塚不二夫と呑み友達であったことが、赤塚死去の特番において公表された。赤塚とは1982年に丸美屋食品のふりかけ「ハッピーポッケ」のCMで共演している。ツイッターでは、赤塚のことを「赤塚不二夫兄貴」や「盟友」とも記す。赤塚が創作したキャラクター「ウナギイヌ」については「一番好き」「ウナギとイヌというハイブリッドが斬新」と記している。

前田日明とも深く交流があり、前田の結婚式には「ウナギイヌ」をオリジナル家紋として礼服に入れて参列した。ウナギイヌを使用する際には、念のため著作権の問題をクリアしたらしい。

ゾマホン・ルフィンによるベナン共和国の発展活動に、たけし・所ジョージ田中義剛らが資金・物品・技術の提供で協力していることに関し、「ゼニのないオレができることは、ゲージツするタマシイで子どもと遊ぶことだ」として、ゾマホンが設立した「たけし小学校」に赤土のレンガでできた「ドラゴン」というオブジェを創作。子どもたちが創作を手伝った。

山梨県アトリエを建て、創作活動の拠点としていたが[4]2021年に奈良に移住[4]2022年3月には東京・恵比寿のシス画廊で個展『空っぽ展』を開催。作品には、番号がふってあるだけで、タイトルも銘もなく、「皆はなんにでも意味を求めるが、たいてい意味なんかない。生きることにも意味はない。といって早く死ぬこともない。ただ生きてるから生きてるんだ」などと説明した[4]

著書

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単著

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  • 『かげ 篠原勝之作画』すばる書房(すばるの絵本) 1976
  • 『ルビーの目』作画 絵本館 1980
  • 『人生はデーヤモンド』情報センター出版局 1981 のち角川文庫
  • 『嵐の中をアカ犬が走る』冬樹社 1983 のち角川文庫
  • 『デーヤモンド・ヘッド』新潮社 1984
  • 『放屁庵退屈日記』角川文庫 1985
  • 『クマさんタコを喰らう』青山書房 1986
  • 『ケンカ道 その“究極の秘技”を探る』祥伝社ノン・ライブ 1987
  • 『アイアンチャイルド』ネスコ 1989
  • 『毛の生えたレンアイ』ベストセラーズ 1992
  • 『クマさんのゲージツ日誌』毎日新聞社 1994
  • 『天外天風 ゲージツ無頼帖・内モンゴル熱風篇』マガジンハウス 1994
  • 『クマさんのやっぱり役に立たない人生相談』サンドケー出版局 1995
  • 『Kuma's iron circus』スコラ 1995
  • 『鉄のおもいで』講談社 1997
  • 『Kuma's KUMAのほとんど総て』平凡社 2000
  • 『蔓草のコクピット』文藝春秋 2001
  • 『走れUMI』講談社 2008 のち文庫
  • 『もちおもり』講談社 2010
  • 『A(アンペア)』小学館 2011
  • 『カミサマ』講談社 2012
  • 『骨風』文藝春秋 2015
  • 『戯れの魔王』文藝春秋 2018

共著

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主な出演作品

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テレビ番組

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2010年以降、全国ネットの番組へはレギュラー出演していない。

ラジオ番組

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ドキュメンタリー

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映画

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アニメ

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  • サウスパーク(声の出演、ランニング・ウォーター酋長役※第1シーズン第12話)

CM

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DVD

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  • 『KUMA・トマム 篠原勝之のゲージツとトマムの幻想世界』(2006年9月7日)シンフォレスト

脚注

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注釈

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  1. ^ CM内に「求む芸術家、46歳」のセリフがある(年齢は放映当時の篠原の実年齢)。

出典

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  1. ^ a b 1999年版『日本タレント名鑑』P203掲載「篠原勝之」より。
  2. ^ a b c 『TVスター名鑑』1992年版P131掲載「KUMA」より。
  3. ^ 『TVスター名鑑』1992年版P131でも、「ゲージツ家」として紹介されている。
  4. ^ a b c d e f g h i j k l "『笑っていいとも!』で人気者に、テレビから姿を消した「ゲージツ家のクマさん」80歳の今". 週刊女性PRIME. 主婦と生活社. 24 April 2022. 2023年7月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年4月25日閲覧
  5. ^ 自身の公式サイト内プロフィールでは、「篠原勝之・KUMA」と併記されている。
  6. ^ 『TVスター名鑑』1992年版P131に掲載された「KUMA」の所属事務所情報では、「クマスファクトリー」と明記。
  7. ^ 1999年版『TVスター名鑑』P203に掲載された「篠原勝之」の所属事務所情報では、「クマスファクトリー」と明記。
  8. ^ 自身の公式サイト内プロフィールを参照。
  9. ^ a b 「「失敗から学ぶこと多い」*造形作家・篠原さん*地球岬小で講演」北海道新聞、2012年11月5日付夕刊胆振版9頁
  10. ^ 「西胆振の産・学・官 異業種交流*「創造」5年 深まる連携*会員が相互発注、共同事業も」北海道新聞、2014年6月10日付朝刊胆振版31頁
  11. ^ a b NHK BS hi『わたしが子どもだったころ ゲージツ家 篠原勝之』より
  12. ^ 「「鉄のゲージツ家」が後輩に助言*「自分とは何か」悩もう*本年度で閉校 室蘭・蘭東中*篠原勝之さん講演」北海道新聞、2011年11月8日付夕刊胆振版13頁
  13. ^ 『TVスター名鑑』1992年版P131に掲載された「KUMA」の出身校情報より、「武蔵野美術大」と明記(中退の旨は掲載されず)。
  14. ^ 泉鏡花文学賞に2作品 長野まゆみさん「冥途あり」と篠原勝之さん「骨風」」『北國新聞』北國新聞社、2015年10月15日。オリジナルの2016年3月4日時点におけるアーカイブ。2023年12月1日閲覧。
  15. ^ ひとりごと 篠原勝之”. zakzak. 夕刊フジ. 2009年3月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年12月1日閲覧。
  16. ^ 放送期間・放送日時・共演者については、『TBS50年史』DVD-ROM『ハイブリッド検索編』に収録のラジオ番組リストより、『クマさんのスキンヘッドナイト』を参照。
  17. ^ 人生 漂えど沈まず”. NHK (2021年7月25日). 2021年7月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年7月25日閲覧。
  18. ^ JAROのテレビCM40年史 1990〜2002年”. 設立40周年記念特集2 JAROのテレビCM40年史. 日本広告審査機構. p. 3. 2016年5月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年12月1日閲覧。

参考資料

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外部リンク

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