鳥取県立米子工業高等学校
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鳥取県立米子工業高等学校 | |
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北緯35度26分3.3秒 東経133度20分25.2秒 / 北緯35.434250度 東経133.340333度座標: 北緯35度26分3.3秒 東経133度20分25.2秒 / 北緯35.434250度 東経133.340333度 | |
過去の名称 |
鳥取県立工業学校 鳥取県立米子工業学校 鳥取県立米子工業高等学校 鳥取県立米子西高等学校(工業科) |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 鳥取県 |
設立年月日 | 1923年(大正12年)4月11日 |
創立記念日 | 5月25日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
設置学科 |
機械科 電気科 情報電子科 環境エネルギー科 建設科 |
学校コード | D131210000152 |
高校コード | 31122H |
所在地 | 〒683-0052 |
鳥取県米子市博労町四丁目220番地 | |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
鳥取県立米子工業高等学校(とっとりけんりつ よなごこうぎょうこうとうがっこう, 英: Tottori Prefectural Yonago Technical High School)は、鳥取県米子市に所在する県立の工業高等学校である。略称「べーこー」。
概要
[編集]- 設置課程・学科
- 全日制課程 5学科(各科定員 38名)
- 機械科
- 電気科
- 情報電子科
- 環境エネルギー科
- 建設科 建築コース 土木コース
- 校章
この節の加筆が望まれています。 |
- 校歌
- 歌詞は3番まであり、各番に校名の「米子工業高校」が登場する。
- 制服
- 2003年(平成15年)より、男女とも、グレーのブレザーにネクタイ、チェック柄の標準ズボン(男子)、プリーツスカート(女子)となっている。改定前は、男子は標準学生服(いわゆる学ラン)、女子は、黒に近い紺地に白線三本、紺のネクタイのセーラー服であった。男子は制服の襟の部分、女子はポケット部分に、校章及び科のマークのバッジを付けていた。
- 同窓会
- 「鳥取米工卍会」と称されている。東京、関西、東海、県内各地に支部を持つ。また「華の会」と称される出身女子の会も存在する。校内に同窓会館(米工会館)があり、1階は食堂・購買、2階には和室二部屋があり、部活動の合宿や、茶道部の部活動に使用されている。
沿革
[編集]- 設立にいたる経緯
- 1919年(大正8年)12月13日 - 通常鳥取県会に「県立工業学校設置に関する件」が意見書として提出され、議案となる。
- 1920年(大正9年)12月18日 -「米子町に県立工業学校設置に関する件」が意見書として提出され、議案となる。
- 1921年(大正10年)
- 1922年(大正11年)
- 6月 - 「鳥取県立工業学校」が設立が認可される。
- 10月 - 初代校長に竹下俊夫が着任。
- 11月 - 書記に足立重孝が採用される。
- 12月 - 鳥取県立米子高等女学校(鳥取県立米子西高等学校の前身)の玄関右側の看護室を借用し、県立工業学校の開校事務を開始。
- 工業学校時代
- 1923年(大正12年)
- 1934年(昭和9年)6月30日 - 「鳥取県立米子工業学校」と改称。
- 1938年(昭和13年)3月31日 - 第二本科・機械科の設置が認可される。
- 1939年(昭和14年)4月14日 - 電気科の設置が認可される。
- 1940年(昭和15年)1月25日 - 電気機械科を機械科に改編。
- 1943年(昭和18年)4月20日 - 鳥取県立米子機械工養成所を併設。
- 1946年(昭和21年)3月1日 - 第二本科、鳥取県立米子機械工養成所を廃止。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施、新制中学校の発足)
- 工業学校の募集を停止(1年生不在)。
- 新制中学校を併設し(名称:鳥取県立米子工業学校併設中学校、以下・併設中学校)、工業学校1・2年修了者を新制中学校2・3年生として収容。
- 併設中学校はあくまで経過措置として暫定的に設置されたため、在校生が2・3年生のみ(1年生不在)の中学校であった。
- 工業学校3・4年生はそのまま工業学校に在籍し、その4・5年生となる(4年修了時点で卒業することもできた)。
- 新制工業高等学校
- 1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革(六・三・三制の実施、新制高等学校の発足)
- 工業学校が廃止され、新制高等学校「鳥取県立米子工業高等学校」が発足。全日制課程 工業科を設置。
- 工業学校卒業生(5年修了者)を新制高校3年生、工業学校4年修了者を新制高校2年生、併設中学校(3年修了者)を新制高校1年生として収容。
- 併設中学校は新制高校に継承され(名称:鳥取県立米子工業高等学校併設中学校)、在校生は1946年(昭和21年)に工業学校へ最後に入学した3年生のみとなる。
- 工業学校が廃止され、新制高等学校「鳥取県立米子工業高等学校」が発足。全日制課程 工業科を設置。
- 1949年(昭和24年)
- 3月31日 - 併設中学校を廃止(旧制4・5年から新制3年への修業年限の移行が完了)。
- 4月1日 - 高校三原則に基づく鳥取県内公立高等学校の再編が行われ、総合制高等学校「鳥取県立米子西高等学校」の工業科となる。
- 1952年(昭和27年)4月1日 - 「電波通信科」を設置。
- 1953年(昭和28年)4月1日 - 鳥取県立米子西高等学校より工業に関する学科が分離し、「鳥取県立米子工業高等学校」として独立(総合制を解消し再設置)。
- 1963年(昭和38年)4月1日 - 新設の鳥取県立境港工業高等学校[1]が校舎完成までの間、併設される。
- 1964年(昭和39年)2月20日 - 鳥取県立境港工業高等学校[1]の新校舎が完成し、併設を解消。
- 1973年(昭和48年)9月4日 - 鉄筋コンクリート造4階建ての新校舎が完成。
- 1976年(昭和51年)4月1日 - 電波通信科を「電子科」に改編。
- 1984年(昭和59年)
- 1990年(平成2年)4月1日 - 機械科のうちの1学級を「電子機械科」に改編。
- 1991年(平成3年)4月1日 - 工業化学科を「材料科学科」に、電子科を「情報電子科」に改編。
- 1992年(平成4年)4月1日 - 機械科を廃止。
- 2003年(平成15年)4月1日 - 学科の改編を実施。
- 制御系3学科(メカトロニクス科・パワーエレクトロニクス科・コンピュータテクノロジー科)と環境系2学科(環境テクノロジー科・環境デザイン科)の5学科。
- 2006年(平成18年)4月1日 - 学科の改編を実施。
- 機械科・電気科・情報電子科・環境エネルギー科・建設科の5学科。
- 上記のうち建築科は旧・鳥取県立境港工業高等学校[1]より移管される。
- 2011年(平成23年)2月 - 新校舎が完成し、移転を完了。
学校行事
[編集]- 学校祭
- 「米工祭」と呼ばれている。文化の部が2日間、体育の部が1日間、計3日間にわたり9月下旬から10月上旬に開催される。各クラスがユニフォームを制作する。かつてはクラスごとに張り子を制作するのが伝統であったが、2000年代に入り学校の造改築が進むと校地が狭くなり(グランド部分に校舎が建てられ、老朽化した校舎部分の一部を取り壊してグランドにするため)、張り子は制作されなくなった。
- なお、体育祭では、33人リレー(仮称。人数は毎年変わる。その年度に一番生徒数の少ないクラスに合わせる。)が行われ、学年ごとのクラス(学科)対抗で、一人100mの、クラスのほぼ全員参加のリレーとなる。なお、女子生徒には15mのハンデが与えられる(女子は85m、クラスの最初に走る。女子が複数人出場する場合、そのクラスの始めに女子が続けて走る。)
- 球技大会
- 毎年秋に行われる。競技は固定しておらず、毎年、生徒会にて決定する。
- 強歩大会
- 毎年秋に行われていたが、1990年代末頃より行われなくなった[要出典]。
- 応援練習
- 新入生に対して4月中の1週間、生徒会(應援團)による応援練習が行われていた。指導される曲目は、校歌、応援歌2曲である。この応援練習を乗り越えて真の米工生になったと言われる。以前は、竹刀・木刀等が使用されていたが、應援團による応援練習の在り方が問題視されるようになったため、1990年代末頃より、木刀・竹刀等は使用されなくなり、2000年代に入り、応援練習そのものが行われなくなった[要出典]。
部活動
[編集]- 運動部
- 陸上部
- 卓球部
- スキー部
- ラグビー部
- バレーボール部
- 硬式野球部
- サッカー部
- テニス部
- バスケットボール部
- 軟式野球部
- ボート部
- ウエイトリフティング部
- ソフトテニス部
- 剣道部
- 山岳部
- バドミントン部
- 柔道部
- 弓道部
- 水泳同好会
- 文化部
著名な出身者
[編集]- 卒業生
- 大塚祐司(野球選手。元阪急)昭和33年工業化学科卒業(34C)
- 金本秀夫(野球選手。阪急-元阪神)昭和37年機械科卒業(37M)
- 松原良明(野球選手。元近鉄)昭和42年工業化学科卒業(41C)
- 関守(大阪府議会議員)昭和42年機械科卒業(42M)
- 宮川大助(漫才師)昭和44年電波通信科卒業(44W)
- 本池秀夫(人形作家)昭和45年工業化学科卒業(45C)
- 角盈男(野球解説者・タレント。巨人-日本ハム-元ヤクルト)昭和50年電気科卒業(50E)
- 新上博巳(アクション俳優)昭和63年機械科卒業(63M)
- 木下桂(元サッカー選手、サッカー指導者。 川崎製鉄/ヴィッセル神戸-シアトル・サウンダーズ(アメリカ合衆国)-SC鳥取(現・ガイナーレ鳥取)平成2年機械科卒業(H2M)
- 森山一保(漫画家)
- 指導者