細川興隆
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時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 寛永9年(1632年) |
死没 | 元禄3年1月21日(1690年3月1日) |
改名 | 兵千代(幼名)、興隆 |
別名 | 市正(通称) |
戒名 | 法雲院徹心宗閑 |
墓所 | 栃木県芳賀郡茂木町の能持院 |
官位 | 従五位下・豊前守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家光→家綱→綱吉 |
藩 | 常陸谷田部藩主 |
氏族 | 谷田部細川家 |
父母 | 父:細川興昌、母:加藤貞泰の娘 |
妻 | 牧野信成の娘 |
子 | 興栄、加藤泰和(次男)、亀姫、小笠原長重正室 |
細川 興隆(ほそかわ おきたか)は、江戸時代前期の大名。常陸国谷田部藩の第3代藩主。官位は従五位下・豊前守。
生涯
[編集]寛永9年(1632年)、第2代藩主・細川興昌の長男として誕生した。寛永20年(1643年)に父が死去したため家督を継ぐ。正保3年(1646年)に従五位下・豊前守に叙位・任官する。
下館城在番、大坂加番、駿府加番、天和元年(1681年)の真田信利改易の際の沼田城在番などを務めた。元禄2年(1689年)閏1月14日、長男の興栄に家督を譲って隠居する。
元禄3年(1690年)1月21日に死去した。享年59。
生まれつき穏やかで学問に通じていたが、短慮な一面もあったとされる。
系譜
[編集]父母
正室
- 牧野信成の娘
子女