細川興晴
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 元文元年(1736年) |
死没 | 寛政6年8月17日(1794年9月10日) |
改名 | 辰十郎(幼名)、興晴 |
戒名 | 義山良勇功徳院 |
墓所 | 栃木県芳賀郡茂木町の能持院 |
官位 | 従五位下・玄蕃頭 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川吉宗、家重、家治、家斉 |
藩 | 常陸谷田部藩主 |
氏族 | 谷田部細川家 |
父母 | 父:細川興虎、母:牧野英成娘 |
兄弟 | 興晴、豊之助 |
妻 | 立花貞俶五女まき |
子 |
興徳、行和(次男)、徳隣(三男)、 大田原清昭(四男)、山村良煕(五男)、 菊子、堀直皓正室 |
細川 興晴(ほそかわ おきはる)は、江戸時代中期の大名。常陸国谷田部藩6代藩主。官位は従五位下・玄蕃頭。
略歴
[編集]元文元年(1736年)、5代藩主・細川興虎の長男として誕生した。元文2年(1737年)12月21日に父が死去したため、元文3年(1738年)2月26日に2歳で家督を継ぐ。宝暦2年(1752年)に従五位下・玄蕃頭に叙位・任官する。
天明8年(1788年)12月5日に家督を長男の興徳に譲って隠居する。寛政6年(1794年)8月17日に死去した。享年59。墓所は栃木県芳賀郡茂木町の能持院。
系譜
[編集]父母
正室
- まき - 立花貞俶の五女
子女