コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

羽曳野市立誉田中学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
羽曳野市立誉田中学校
羽曳野市立誉田中学校(2019年11月)
地図北緯34度33分42秒 東経135度36分46秒 / 北緯34.56162度 東経135.61289度 / 34.56162; 135.61289座標: 北緯34度33分42秒 東経135度36分46秒 / 北緯34.56162度 東経135.61289度 / 34.56162; 135.61289
過去の名称 古市町外4ヶ村学校組合誉田中学校
<南大阪町道明寺町学校組合立誉田中学校<
羽曳野市道明寺町学校組合誉田中学校
国公私立の別 公立学校
設置者 羽曳野市
併合学校 国分町立中学校
設立年月日 1947年
創立者 南河内郡5町村学校組合
共学・別学 男女共学
学校コード C127210003727 ウィキデータを編集
所在地 583-0857
大阪府羽曳野市誉田六丁目5-37
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
テンプレートを表示

羽曳野市立誉田中学校(はびきのしりつ こんだちゅうがっこう)は、大阪府羽曳野市にある公立中学校

概要

[編集]

学校は旧東高野街道に面している。街道沿いにある敷地は手狭になっており、少し東の西名阪自動車道脇(柏原本線料金所の南)に第二グラウンドがある。(通称:新グラ)

周囲は閑静な住宅地となっている。 近隣に誉田御廟山古墳(伝応神天皇陵)、誉田八幡宮がある。

かつては私服通学が認められていた(着用自由の標準学生服はあった)。小学校保護者、地域住民、在校生にアンケートを実施した結果、2008年度から制服着用となった。(体操服登校も許可されている。)

2021年度からは男子の学ランと女子のセーラー服が新しくブレザーに変更された。

沿革

[編集]

1947年の学制改革の際、当時の南河内郡古市町駒ヶ谷村西浦村埴生村(以上、現在の羽曳野市)・道明寺村(1951年町制施行で道明寺町。現在の藤井寺市)の5町村の学校組合により、学校組合立誉田中学校として開校した。学校組合の事務は当時の古市町が中心になっておこなっていた。一時期国分町(現在の柏原市)も学校組合に合流していたこともあったが、短期間で解消されている。

その後1956年に古市町・駒ヶ谷村・西浦村・埴生村などが合併して南大阪町(1959年市制施行で羽曳野市)となった。また1959年4月には藤井寺町と道明寺町が合併して藤井寺道明寺町(1966年市制施行で藤井寺市)となったことに伴い、旧道明寺町地域を藤井寺道明寺町立中学校(現在の藤井寺市立藤井寺中学校)の校区へと変更した。これらに伴い学校組合を解消して羽曳野市立となっている。

円形校舎

[編集]
円形校舎(2006年9月。解体済み)

以前は昭和30年代に流行した円形校舎を有していた[1]。1957年に竣工[1]した4階建てでドーム屋根の、円形校舎としては標準的な外観構造である。4階では柔道や剣道が行われていた。末期には外観(特に屋根およびアルミサッシ化されていない3階部分)は老朽化が進行していた。円形校舎は2015年夏に解体された[2]

交通

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b "消えゆく円形校舎 ベビーブーム期急増 老朽化" 朝日新聞(大阪)、2012年9月14日、夕刊3版13面
  2. ^ 建築士の会 南河内「誉田中学校円形校舎解体お別れ見学会・誉田八幡宮・応神天皇陵周辺見学」 - 大阪府建築士会

参考文献

[編集]
  • 『羽曳野市史 第2巻』 羽曳野市史編纂委員会、1998年
  • 『藤井寺市史 第2巻』 藤井寺市史編纂委員会、1998年

外部リンク

[編集]

関連項目

[編集]