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職業野球東西対抗戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

職業野球東西対抗戦(しょくぎょうやきゅうとうざいたいこうせん)は、1937年から1949年にかけて日本野球連盟が主催したオールスターゲームの前身となる対抗試合である。

第1回大会は1937年阪神甲子園球場を会場に3試合行われた。大阪朝日新聞朝日新聞大阪本社)の田村恭一が音楽や舞台と同じようにオールスターキャストによる野球の試合を開催したら面白いのではないかという発想から誕生した。当初3年間は朝日新聞主催で開催されたが1940年以後は日本野球連盟の主催となる。1942年(この時はシーズン途中の8月から9月開催)と1944年(6月開催)を除けば、原則として11月から12月にかけて開催された。1945年までは監督推薦のみだったが、1946年以後はファン投票が行われている。

試合結果

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開催日 東軍の勝敗と責任投手 スコア 西軍の勝敗と責任投手 開催球場 最高殊勲選手
1 1937年 11月20日 沢村栄治 14 - 0 古谷倉之助 阪神甲子園球場 水原茂
11月21日 野口明 1 - 4 西村幸生
11月23日 ●沢村栄治 2 - 9
2 1938年 11月20日 スタルヒン 3 - 2 ●西村幸生 阪急西宮球場 菊矢吉男
11月21日 松尾幸造 1 - 2 菊矢吉男
11月23日 亀田忠 1 - 5
3 1939年 11月23日 野口二郎 2 - 1 若林忠志 阪神甲子園球場 水原茂
11月25日 ●スタルヒン 0 - 5 重松通雄
11月26日 ●野口二郎 3 - 6 政野岩夫
11月27日 ○スタルヒン 1 - 0 ●重松通雄
○亀田忠 2 - 1 ●若林忠志
4 1940年 11月23日 ○野口二郎 4 - 3 森弘太郎 阪急西宮球場 若林忠志
11月24日 ●亀田忠 0 - 1 ○若林忠志
11月25日 ●野口二郎 0 - 3 近藤久
5 1941年 11月29日 △野口二郎 0 - 0 △森弘太郎 後楽園球場 吉原正喜
11月30日 村松幸雄 4 - 3 神田武夫
12月1日 広瀬習一 3 - 1 川崎徳次
12月6日 ●野口二郎 1 - 4 ○川崎徳次 阪神甲子園球場 野口二郎
12月7日 ○野口二郎 3 - 1 ●森弘太郎
12月8日 中尾輝三 1 - 0 福士勇
6 1942年 8月29日 ○野口二郎 1 - 0 林安夫 後楽園球場 水原茂
8月31日 河村章 3 - 1 御園生崇男
9月1日 ●須田博 0 - 4 ○林安夫
9月5日 △野口二郎 0 - 0 △若林忠志 阪急西宮球場 北原昇
9月6日 ○須田博 2 - 1 ●林安夫
9月7日 ●野口二郎 2 - 4 ○森弘太郎
7 1943年 11月13日 ○野口二郎 5 - 3 内藤幸三 後楽園球場 野口明
11月14日 藤本英雄 6 - 4 真田重蔵
11月15日 石丸進一 2 - 3 ○若林忠志
11月21日 ○野口二郎 2 - 1 ●若林忠志 阪神甲子園球場 小鶴誠
11月22日 ○藤本英雄 1 - 0 三輪八郎
11月23日 ○石丸進一 4 - 0 ●真田重蔵
8 1944年 6月24日 ●藤本英雄 2 - 6 ○若林忠志 阪急西宮球場 藤村富美男
6月25日 5 - 6 ○内藤幸三
6月26日 野口正明 5 - 7 天保義夫
9 1945年 11月23日 白木義一郎 13 - 9 笠松実 明治神宮野球場 大下弘
11月24日 近藤貞雄 9 - 14 丸尾千年次 桐生新川球場  
12月1日 森井茂 6 - 9 丸山二三雄 阪急西宮球場
12月2日 ○白木義一郎 4 - 0 ●笠松実
10 1946年 11月9日 ●藤本英雄 2 - 7 別所昭 阪急西宮球場
11月10日 ○白木義一郎 5 - 3 ●真田重蔵
11月11日 ○内藤幸三 1 - 0 ●スタルヒン
11月14日 ○白木義一郎 12 - 11 ●真田重蔵 鳴海球場
11月16日 ○藤本英雄 8 - 7 ●スタルヒン 後楽園球場
11月18日 ●白木義一郎 3 - 8 ○別所昭
11月19日 ●内藤幸三 1 - 3 ○真田重蔵
11 1947年 11月15日 ○川崎徳次 2 - 1
●野口二郎 阪急西宮球場
11月16日 清水秀雄 4 - 5 ○真田重蔵
11月21日 服部受弘 2 - 1 ●真田重蔵 後楽園球場
11月22日 ○川崎徳次 5 - 0 ●別所昭
11月23日 ●清水秀雄 3 - 5 ○若林忠志
11月24日 ○白木義一郎 10 - 0 梶岡忠義
11月27日 黒尾重明 5 - 7 ○若林忠志 鳴海球場
11月29日 ●白木義一郎 3 - 11 ○若林忠志 阪神甲子園球場
11月30日 ●川崎徳次 1 - 5
12 1948年 11月20日 ○スタルヒン 4 - 3 ●別所昭
11月21日 ○黒尾重明 3 - 2 ●若林忠志
11月25日 12 - 7 柚木進 後楽園球場
11月26日 ○川崎徳次 6 - 2 ●真田重蔵
11月27日 ●藤本英雄 5 - 6 ○柚木進
11月28日 ●中尾碩志 1 - 4 ○別所昭
12月2日 ●黒尾重明 8 - 18 ○真田重蔵 中日球場
12月4日 ○スタルヒン 5 - 1 ●別所昭 阪急西宮球場
12月5日 ●川崎徳次 2 - 5 ○梶岡忠義
13 1949年 12月2日 ○藤本英雄 8 - 2 ●真田重蔵 後楽園球場
12月4日 ●別所昭 0 - 8 ○天保義夫 中日球場
12月6日 ○藤本英雄 10 - 7 ●野口二郎 阪神甲子園球場

通算:東軍35勝、西軍30勝、2分

満洲開催

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1940年には、満洲リーグ戦の傍ら、全球団を紅白に分け、満洲でオールスターゲームが行われている(紅軍…巨人、セネタース、名古屋、ライオン 白軍…阪神、阪急、南海、イーグルス)[1]

エピソード

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太平洋戦争の戦局悪化からペナントレースが行われなかった終戦後の1945年、最初に行われた試合が11月のこの東西対抗戦であった。阪急西宮球場に保管されていたボールなどを使用して開催された。このとき、新加盟のセネタースに入団した大下弘の活躍が戦後のプロ野球の再開を決定づけた。

脚注

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  1. ^ 阪神タイガース昭和のあゆみ