芦沢俊美
表示
あしざわ としみ 芦沢 俊美 | |
---|---|
プロフィール | |
出身地 | 日本・東京都 |
生年月日 | 1946年1月30日 |
没年月日 | 2013年 |
最終学歴 | 慶應義塾大学法学部政治学科 |
職歴 | 元日本テレビアナウンサー |
活動期間 | 1968年 - 1996年 |
ジャンル | 報道・スポーツ中継 |
配偶者 | 江川範子 |
担当番組・活動 | |
芦沢 俊美(あしざわ としみ、1946年1月30日 - 2013年)は、日本テレビの元アナウンサー。妻はアナウンサー(日本テレビ→フリー)の江川範子[1]。東京都出身。
人物
[編集]1964年3月、東京都立新宿高等学校卒業[注釈 1]。1968年3月、慶應義塾大学法学部政治学科卒業。
1968年4月、日本テレビに入社し、アナウンス部に配属(同期入社[2]は小早川正昭、中西江美子(旧姓:阿部)、白石浩子)。スポーツアナウンサーとしてボクシング、サッカー、陸上競技(マラソン、駅伝)を中心に担当する[3]。特にサッカーは、メキシコで開催された1970 FIFAワールドカップで3期先輩の舛方勝宏と共に自費取材を敢行[2]し、1971年にテレビ中継が開始された全国高等学校サッカー選手権大会を実況する[4]など、日本テレビにおけるサッカー実況体制の基盤を確立した。
1973年、アナウンス部の同僚で2期後輩の江川範子と結婚[5]。1980年頃から報道兼務となり、平日昼や週末夕方・深夜のニュースを担当した。
1996年5月、チーフアナウンサー職[6]を最後にアナウンス部を離れ、事業局に異動。その後、広報局広報部長、広報局IR部長を歴任し、2004年6月に教育担当部長としてアナウンス部に復帰(管理職専任)。2006年に定年退職。
出演番組
[編集]これまでに担当したスポーツ中継の実況経歴
- ダイナミックグローブ(実況[注釈 2])
- 全国高等学校サッカー選手権大会(決勝戦実況など)
- バレーボール中継(実況)
- 東京国際マラソン(1986年など、スタート・ゴール実況)
- 新春スポーツスペシャル箱根駅伝(1987年 - 1994年、1号車実況 /1995年 -1996年、センター実況)
- トヨタカップサッカー(1981年など)
- 世界陸上競技選手権大会(実況)
報道・情報番組の出演経歴
期間 | 番組名 | 役職 | 担当日 | 備考 | |
---|---|---|---|---|---|
1988年4月9日 | 1990年3月30日 | NNN昼のニュース | キャスター | 土・日曜日 | それ以前からシフト勤務を担当 |
1990年4月1日 | 1991年9月29日 | 水~日曜日 | |||
1985年10月4日 | 1988年4月3日 | NNNきょうの出来事 | 金・土・日曜日 | 舛方勝宏が休暇やスポーツ取材になる場合、1988年4月から1990年3月までは金 - 日曜のメインキャスターを青尾幸とコンビで代役として伝えていた、その場合『NNN昼のニュース』の担当からは外れている | |
1988年4月9日 および 1991年10月5日 |
1990年3月30日 および 1996年5月25日 |
NNNニュースプラス1・サタデー | 土曜日 | ||
1988年4月10日 および 1991年10月6日 |
1990年3月25日 および 1996年3月31日 |
NNN日曜夕刊 | 日曜日 | ||
1996年4月7日 | 1996年5月26日 | NNNニュースプラス1・サンデー |
その他
- あさま山荘事件報道(1972年)中継要員として久能靖、倉持隆夫、小早川正昭らと共に担当
- NNNスポーツニュース(1980年代)スタジオキャスター(不定期)
- スーパーテレビ情報最前線(1991年 - 1996年)ナレーション(不定期)
- スポーツジョッキー 中畑クンと徳光クン→中畑&徳光のスポーツ熱中宣言(1990年4月 - 1991年3月)ナレーション
- 投稿!特ホウ王国(1994年)特派員[7]
参考文献
[編集]- 日本テレビ放送網アナウンス部『実況! 熱きことばの伴走者たち』創拓社、1994年4月。ISBN 978-4-87-138177-2。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]
|