英霊にこたえる会
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設立 | 1976年 |
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設立者 | 石田和外 |
目的 | 国のために尊い命を捧げられた英霊の慰霊・顕彰を行い、内閣総理大臣の靖国神社公式参拝を求める |
本部 | 靖国神社・遊就館内 |
所在地 | 東京都千代田区九段北3丁目1-1 |
事務局長 | 冨田定幸 |
会長 | 寺島泰三 |
重要人物 | 石田和外(創設者)、堀江正夫(名誉会長) |
英霊にこたえる会(えいれいにこたえるかい)は、1976年(昭和51年)に設立された日本の任意団体。会長は寺島泰三。
靖国神社の遊就館に中央本部事務局、都道府県全てに地方本部を置き[1]、公称会員数は120万人。靖国神社の祭神に戦友や家族を持つ旧軍の将兵・遺族をはじめ、靖国神社が国に殉じた人々(英霊)への慰霊・顕彰の中心施設であるべき[2]と考える人々によって構成されている。
靖国神社国家護持貫徹国民協議会が前身[3]。
結成の経緯
[編集]「英霊に対する国・国民のあるべき姿勢を確立するための国民運動を展開する」として[4]、1976年6月22日、石田和外が会長となって有志により結成された[5]。
この代替として藤尾正行衆議院内閣委員長は「表敬法」の私案を提示し、自民党内で検討が行われた[6]。
活動・主張
[編集]首相は靖国神社に公式参拝すべきであると主張しており、長く公式参拝実現運動の母体となってきた[7]。近年では、首相になった小泉純一郎に公約通りの8月15日の参拝を求めた[8][9]。
中島三千男の指摘によれば、前身である靖国神社国家護持貫徹国民協議会が求めていた国家護持の法制化の早期達成は困難であるという認識の下、英霊にこたえる会はまず天皇や首相の公式参拝を実現してから段階的に国家護持を達成するという戦略に切り替えた[3]。
主な役員
[編集]「英霊にこたえる会」オフィシャルページ[1]による
参加団体
[編集]「英霊にこたえる会」オフィシャルページ[1]による
- 日本遺族会
- 日本郷友連盟
- 陸修偕行社
- 水交会
- 隊友会
- 神社本庁
- 佛所護念会教団
- 国柱会
- 三五教
- 神道青年全国協議会
- 中央乃木會
- 日本青年協議会
- JYMA日本青年遺骨収集団
- 特攻隊戦没者慰霊顕彰会
- 全国ソロモン会
- 大東亜戦争全戦没者慰霊団体協議会
- 日本の心歌い継ぐ会
脚注
[編集]- ^ a b c “英霊にこたえる会の概要”. 英霊にこたえる会. 2015年11月13日閲覧。
- ^ 靖国神社自身は「反戦」・「平和」を祈るための場所と称している(靖國神社のホームページ参照)。
- ^ a b 『戦後史と反動イデオロギー』p.157-160、中島三千男「政治反動における宗教教団の役割」
- ^ “活動趣旨 英霊にこたえる会とは”. 英霊にこたえる会. 2022年11月30日閲覧。
- ^ “「英霊にこたえる会」戦没者の霊を大切にと結成”. 朝日新聞日・東京朝刊: p. 20. (1976年6月22日) - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
- ^ 藤沢秀雄「日本宗教放送協会が実施した世論調査 「靖国神社問題と世論の動向」について」『長崎大学教養部紀要. 人文科学』第17巻、長崎大学教養部、1977年、51-58頁、CRID 1050287297273958912、hdl:10069/9660、ISSN 02871300。
- ^ “戦後の靖国問題の歩み(年表)”. 朝日新聞・朝刊: p. 3. (1985年8月15日) - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
- ^ “小泉首相参拝問題で賛否両派が15日集会 靖国神社周辺など”. 朝日新聞・夕刊: p. 14. (2001年8月13日) - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
- ^ “首相に8・15参拝要求 西村氏「不戦の誓い駄目」”. 共同通信社. 47NEWS. (2005年7月7日) 2013年9月18日閲覧。