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藤井春信

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
藤井 春信
Harunobu FUJII
基本情報
名前 藤井 春信
生年月日 (1943-07-31) 1943年7月31日(81歳)
国籍 日本の旗 日本
経歴
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藤井 春信(ふじい はるのぶ、1943年7月31日 - )は、日本プロゴルファー

来歴

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1972年には東北地方初の男子プロトーナメント「七夕杯・東北クラシック[1]では初日を島田幸作竹間正雄能田征二大島富五郎山本善隆と並んでの10位タイ[2]関東プロでは初日を河野高明新井規矩雄と共に68の10位タイ[3]でスタートした。

1972年のブリヂストントーナメントでは2日目に新井・謝永郁中華民国)・水野紀文陳清波(中華民国)、ベン・アルダフィリピン)、謝敏男(中華民国)と並んでの4位タイ[4]、3日目には69をマークして郭吉雄(中華民国)・佐々木勝と並んでの4位タイ[5]とし、最終日には陳清と並んでの5位タイ[6]に入った。

1976年の東北クラシックでは初日に69をマークし、金井清一イレネオ・レガスピ(フィリピン)、謝永・陳健振(中華民国)、 スチュアート・ジンオーストラリア)、謝敏・呂良煥((中華民国)と並んでの4位タイ[7]でスタートした。

1978年関東オープンでは初日、ラフが深いゆえにグリーンの難しさもあってアンダーパーは9人であった中、69をマークして波多野修と2打差2位に着けた[8]。2日目には猛暑とラウンド時間が6時間というスローペースに苦しめられて謝永・上原宏一浅井教司と並んでの7位タイ[9]に下がったが、3日目には日吉定雄・浅井・謝永・日吉稔と並んでの3位タイ[10]に浮上した。

1988年北海道オープン[11]を最後にレギュラーツアーから引退。

脚注

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  1. ^ NSCC 西仙台カントリークラブ クラブ沿革
  2. ^ 朝日新聞縮刷版p114 昭和47年8月4日朝刊16面「陳健忠がリード 東北クラシックゴルフ
  3. ^ 朝日新聞縮刷版p748 昭和47年8月24日朝刊14面「尾崎ら3人首位に並ぶ 関東プロゴルフ第1日
  4. ^ 朝日新聞縮刷版p115 昭和47年11月4日朝刊19面「アリン(米)が単独トップに ブリヂストン・ゴルフ
  5. ^ 朝日新聞縮刷版p151 昭和47年11月5日朝刊19面「郭、謝、アリントップに並ぶ ブリヂストン・ゴルフ
  6. ^ 朝日新聞縮刷版p183 昭和47年11月6日朝刊19面「謝敏、12アンダーで優勝 ブリヂストン・ゴルフ 最終日
  7. ^ 朝日新聞縮刷版p570 昭和51年6月18日朝刊16面「一打差で上田首位 東北クラシック第一日
  8. ^ 朝日新聞縮刷版p456 昭和53年7月14日朝刊16面「波多野がリード 関東オープンゴルフ
  9. ^ 朝日新聞縮刷版p501 昭和53年7月15日朝刊17面「波多野が5打差 関東オープンゴルフ
  10. ^ 朝日新聞縮刷版p538 昭和53年7月16日朝刊18面「謝敏、波多野と並ぶ 関東オープンゴルフ
  11. ^ 藤井 春信選手 年度別大会成績 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site

外部リンク

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