藤田玄播
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藤田 玄播(ふじた げんば、1937年1月4日 - 2013年1月30日)は、日本の作曲家、編曲家。
人物・来歴
[編集]東京府出身。キリスト教信者で洗礼名はミカエル。父はキリスト教会の牧師で、オルガンと讃美歌の響きで育つ。中学校の吹奏楽部でトランペットを担当。高校卒業後、神学校に入学し教会音楽に親しむが1年で中退。その後、国立音楽大学に入学し、フルートを専攻。在学中、大橋幸夫の指導する同大学ブラスオルケスターの編曲を担当。同大学を卒業後に作曲を学ぶ。尚美学園講師や洗足学園音楽大学で客員教授を務めた。
2002年から2006年まで、日本吹奏楽指導者協会(JBA)の第10代会長を務めた。
作曲活動のほか、管弦楽作品からジャズ、ポピュラー音楽などの幅広い吹奏楽編曲で知られる。
2013年1月30日、肺炎のため死去、ミカエル藤田玄播となった。76歳没[2]。
主要作品
[編集]作曲
[編集]- 吹奏楽のための幻想曲「天使ミカエルの嘆き」
- 「切支丹の時代」序曲
- 組曲「切支丹の時代」
- 喜遊曲(ディヴェルティメント)
- 劇的序曲「バルナバの生涯」
- 吹奏楽のための「カンツォーネ」(日本国民音楽振興財団 1977年度笹川賞創作曲コンクール吹奏楽C部門1位)
- 幻想的序曲「ゲッセマネの祈り」
- 谷茶前節によるパラフレーズ
- 行進曲「若人の心」(1977年度全日本吹奏楽コンクール課題曲)[3]
- 幻想曲「幼い日の想い出」(1979年度全日本吹奏楽コンクール課題曲)
- 優雅な行進曲(日本吹奏楽指導者協会 1971年度下谷賞 行進曲形式 努力賞)
- ミレニアム・マーチ
- フェスティバル・マーチ(1973年)/ キャンパス・フェスティバル・マーチ(1974年)[4]
- 「インメモリアム」マーチ
- 合唱曲「地球を花で飾ろう」(東京都合唱連盟愛唱歌第1位)
ほか多数
編曲
[編集]- 交響詩「海」(ドビュッシー)
- 交響詩「ローマの祭」(レスピーギ)
- バレエ音楽「恋は魔術師」(ファリャ)
- 幻想交響曲(ベルリオーズ)
- 舞踏組曲(バルトーク)
- 歌劇「シチリア島の夕べの祈り」序曲(ヴェルディ)
- 歌劇「運命の力」序曲(ヴェルディ)
- トッカータとフーガ ニ短調(バッハ)
ほか多数
補作
[編集]- 行進曲「青空の下で」(坂本智) 1981年全日本吹奏楽コンクール課題曲
- コンサートマーチ「テイクオフ」(建部知弘) 1986年全日本吹奏楽コンクール課題曲
- 行進曲「マリーン・シティ」(野村正憲) 1990年全日本吹奏楽コンクール課題曲
受賞歴
[編集]- 1971年 - 第4回下谷賞 行進曲形式 努力賞 「優雅な行進曲」(日本吹奏楽指導者協会)[5]
- 1976年 - 第3回笹川賞創作曲コンクール C部門 第1位 「吹奏楽のためのカンツォーネ」(日本国民音楽振興財団)[6]
- 2009年11月20日 - 社会教育功労者表彰(文部科学大臣)[7]
- 2013年 - 第23回日本管打・吹奏楽アカデミー賞 特別部門(日本管打・吹奏楽学会)[8]
関連項目
[編集]脚注
[編集]出典
[編集]- ^ 牟田久壽『JBA 日本吹奏楽指導者協会 50年史』(初)日本吹奏楽指導者協会、2016年6月18日、14頁。
- ^ “作曲家の藤田玄播さん死去 元日本吹奏楽指導者協会会長”. 朝日新聞. (2013年1月31日) 2013年2月1日閲覧。
- ^ トリオの部分の旋律は合唱曲「地球を花で飾ろう」の旋律が使われている
- ^ 「フェスティバル・マーチ」をもとに、大橋幸夫の依頼を受けてブラスオルケスター用に改作したものが「キャンパス・フェスティバル・マーチ」であり、国立音楽大学の吹奏楽演奏会において演奏され続けている。淀彰「キャンパス・フェスティバル・マーチ」『ぱるらんど』第274号、国立音楽大学附属図書館、2012年4月2日、1頁。
- ^ 下谷賞の記録 - 日本吹奏楽指導者協会
- ^ 財団25年の歩み p82 - 日本音楽財団
- ^ ニュース - 日本吹奏楽指導者協会
- ^ 特別部門/(故)藤田 玄播 - 日本管打・吹奏楽学会 - 第23回日本管打・吹奏楽アカデミー賞