蛟竜
蛟龍(こうりゅう、こうりょう、蛟竜)、すなわち蛟(コウ; jiāo)は、中国の竜の一種、あるいは、姿が変態する竜種の幼生(成長の過程の幼齢期・未成期)だとされる。『本草綱目』などでは鱗を有する竜類とされる。
語釈
[編集]語源
[編集]いくつもの語源が提案されているが、そのほとんどは形声文字「蛟」の音符である「交」の意味(「交差する」「混じる」「交尾する」等)をベースとする根拠のない推測である[1]。例えば、その眉が交生するので「蛟」の名がつけられたという任昉(508年没)『述異記』の説明があり、『本草綱目』でも引用されている[注 1][2][3]。これは眉と眉が交差するようにもとれようが[4]、これは眉毛が一本につながって生えることが「交生」だとの説明もある[5]。
異名・同義語
[編集]辞典『埤雅』(11世紀)によれば、俗称は「馬絆」(拼音: )であるという[6][注 2]。
また漢語の「蛟龍」は梵語の「宮毗羅」にあたるとされる(同『述異記』引用)[2][3]。異体で「宮毘羅」とも表記[7]、もっとも仏典では固有名でみられ[8]、宮毘羅といえば十二神将のひとりである[9]。サンスクリット語の表記は kumbhīra[9](कुम्भीर)で、「鼻の長い鰐類」(あるいはその神格化)を意味する[10][11]。
用例
[編集]ことばの用法としては、「蛟龍」という表現が用いられた場合、一種類をさすのか、蛟と龍という別の二種類を並称したものか、必ずしも判然としないと指摘される[12]。その一例が、『楚辞』「離騒」にある蛟竜を手招いて橋を成せ、というくだりである[12]。王逸の注に拠るならば、この箇所では小なるものを蛟、大なるものを龍と(つまり二種類)ということである[13][14]。一方、一種の蛟龍とするデ・ヴィッセルの英訳の例もみられる[15]。
概要
[編集]「蛟」は「龍属」つまり龍の仲間とされる(『説文解字』、2世紀初頭)[16][17]。
出生・成長
[編集]蛟は卵生とされる[20]。水域で生まれるか陸で孵化するかについては、『荀子』勧学篇に「積水の淵を成さば蛟龍生ず」とみえる一方[12][注 3]、『淮南子』暴族訓では「蛟龍は淵に伏寝するも、その卵は
蛟竜はいずれ飛べる種のドラゴンに変態をとげるというような記述が『述異記』にあり、「水にすむ虺(き)は五百年で蛟となり、蛟は千年で龍となり、龍は五百年で角龍、千年で應龍となる」と記されている[23]。水棲の虺(き)というのは、水の蝮〔マムシ〕、あるいはウミヘビの一種かと推察される[24]。
水の主
[編集]龍と同じく、蛟竜の本来の棲み処は水であることは文献に散見できる[25]:
「蛟龍は水居」し(『淮南子』原道訓)[25][26])、「蛟龍は水を得てこそ」神の力を顕現させ(『管子』形勢篇)[注 4][27]、すなわち「蛟龍は水蟲の神」であると説かれる(『管子』形勢解)[25][28][注 5]。
池の魚数が3600匹に増えると、蛟がボスとなり、子分の魚たちを連れて飛び去ってしまう(『説文解字』の定義)[16][17][30][注 6]。防衛策として、「笱」すなわち魚取りの簗を水中に仕掛けておけば蛟竜はあきらめてゆく、とされる(『説文解字』原文[30])。異文があり、三百六十魚の長となる蛟を防ぐには、
『魏志倭人伝』では、会稽に封じられた夏后の小康の子は断髪・文身(いれずみ)し、もって
外見
[編集]李時珍が編した『本草綱目』(鱗部、竜類)は、『述異記』を引用し、蛟は竜に属し、鱗を有すものであるとしている[注 11][2][3]。さらには別の文献を引いて以下のように伝える:[18][40]
『山海経』の郭璞注にも似たような記述があって、頸にあるものは「白癭」(「白嬰」とは異表記)としており[45]、これは“白いこぶ”と訳される[46][注 18]。また同注では、「卵の大きさは一石や二石を入れるべき甕のごとく」とあるが[45][14]、異本によれば「卵生で、子が一、二
また、『説文解字』の原本にはないが、清代の段玉裁注本では蛟は「無角」であると補足する[12][50]。これと相反して朱駿声『説文通訓定声』では、龍は雄のみが有角で、龍子のうち一角のものが蛟、両角のものが虯(きゅう)、無角のものが螭(ち)であると注釈している[51][52]。
更に『本草綱目』は、蛟の属種に「蜃」を数えている[2][53][注 19]。
龍船節
[編集]龍船節(端午節)に供される米に関する説話は蛟龍が関係しており、これがちまきの起源という説がある。
説話によると入水して死んだ屈原を祀るため、楚では米を竹筒に詰めて川に投げ入れていたが、あるとき長沙の区曲(異文では区回など)という人物のもとに屈原あらわれ、そのままでは米は蛟龍に盗まれてしまう、よって竹筒の上は
この故事が「ちまき」の起源を語っている、というのがひとつの説である[56]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ さらには『本草綱目』による「蛟」の語釈や説明は『和漢三才図会』にも抜粋。
- ^ 参照:馬絆蛇
- ^ 積土の山を成さば風雨興り、積水の淵を成さば蛟龍生ず」。実際は博物学的な記述というより、<水が集まればやがて深淵ともなるように努力の積み重ねは大徳の習得につながる>という旨の修辞である[21]。
- ^ 両文章は淮南子は「蛟龍水居し、虎豹山處、天地性也」で[25]、管子が「蛟龍得水而神可立也、虎豹得幽而威可..」と文面は似ている。意訳:「蛟龍は水を得て、その神變を行ふべし、..虎豹は..岩窟を得て、其威力を行ふべし、.. 盛徳の人も崇高の地位を得ざれば、天下を畏服すること能はざるなり..」[27]
- ^ 「蛟龍得水蟲之神者也、乗於水則り神立、失水即神廢、人主天下之有威者、..」[28]。ここも主旨はやはり蛟龍も水を得ないと神威を発揮できない、君主もそう心得るべきということ[29]。
- ^ 『山海経』にもこれと近似した記述「池の魚が二千六百匹に満ちると蛟が来て主となる」があると『和漢三才図会』に書かれているが、不詳。
- ^ 『斉民要術』(6世紀成立)巻六に引用。
- ^ 魚数が異なり、魚三百六十匹を率いるのが蛟だと『養魚経』はしている。
- ^ 南方熊楠もこの『養魚経』の箇所が清代の『淵鑑類函』で引かれていることに言及している[34]。
- ^ 『本草綱目』にある裴淵(420年没)『廣州記』からの引用。引用文は、残りの全文を後掲する。
- ^ そして翼を有するものを応竜、角を有すものを虯龍、角の無いものを螭龍と云う、と続く。
- ^ 裴淵((317年-420年)。
- ^ 鈴木訳 1934、355頁は原文のまま「白嬰」とし注記されている。これは難語のようで“白い輪模様”であるとか[3]、“白い紐飾り(タッセル)”が下ある等[41]、さまざまに意訳される。
- ^ Luo訳 2003, p. 3508では"blue-green with dots"で「斑点」に近いが、Read訳 1935, p. 135では"numerous dark markings"で「斑(ぶち)」に近い。
- ^ Luo訳 2003, p. 3508では"brocade designs"; Read訳 1935, p. 135では"embroidered pattern"。
- ^ 囲(圍; 拼音: )は、周長を測る単位だが、親指と人差し指で円をつくる程、片腕を丸くした程などまちまちである[44]。
- ^ 残りは「能く魚を率いて飛ぶが、鱉(べつ、すっぽん)を得ることで免れる」と続くが、上で触れた。
- ^ または“甲状腺腫(ゴイター)”(英語: goiter、甲状腺の肥大による喉のこぶ)[47]。
- ^ 蜃は蛇状で大きく、竜のような角があり[2]、鬣(たてがみ)は紅く[2]、腰から下はすべて逆鱗となっており[2]、「
燕子 ()」(ツバメ)を食すとある。これが吐いた気は、楼のごとくして雨を生み「蜃楼」(すなわち蜃気楼)なのだという[54]。
出典
[編集]- ^ Carr, Michael (1990). "Chinese dragon names". Linguistics of the Tibeto-Burman Area. 13 (2): 126–131.
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- ^ a b c d e f g 『和漢三才図会』卷第四十五(竜蛇部 竜類.蛇類)。寺島 1983平凡社版第7巻、7頁。
- ^ Luo訳 2003, p. 3508: "eyebrows cross each other".
- ^ Read訳 1935, p. 135: "run together in a continuous growth"
- ^ 南方 1917; 南方 1973「十二支考・蛇」、286頁。
- ^ 毛利久『日本佛像史研究』法蔵館、1980年、96頁 。
- ^ 水野 2016、111頁および注10。実例などは。赤沼智善 編『印度仏教固有名詞辞典(増補訂正付)』、法蔵館、1967(復刊)、327頁に拠る。
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- ^ 水野 2016、103-104頁。舩田 2011:125頁ほか類似の記述文献に拠る。
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- ^ a b 中野 1983, p. 76: "「龍のなかま。魚が三千六百もひしめいていたところに蛟が来てボスとなり、魚をひきつれ飛んだりした」(説文解字)"
- ^ a b 南方 1917;南方 1973、287頁;(南方 1984)、159頁「十二支考・蛇」:"蛟、龍の属なり。[池]魚三千六百に満つれば、すなわち蛟これが長となり。"
- ^ a b c d e f g 李時珍 1596、『本草綱目』 "蛟龍" : "裴淵《廣州記》云︰蛟長丈餘,似蛇而四足,形廣如楯, 小頭細頸,頸有白嬰。胸前赭色, 背上靑斑, 脇邊若錦, 尾有肉環, 大者數圍, 其卵亦大, 能率魚飛, 得鱉可免"
- ^ 鈴木訳 1934.
- ^ 『本草綱目』「蛟龍」中、裴淵『廣州記』の引用[18]。後述。尤も『本草綱目』序に"鱗屬皆卵生,而蝮蛇胎産"とあって「鱗部」の生物はマムシを例外としてほぼ卵生であると書かれている[19]、340c頁 。
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参考文献
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- 南方熊楠 著「蛇に関する民俗と伝説」、飯倉照平 編『十二支考 1』平凡社〈東洋文庫 215〉、1973年、231-320頁 。
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- (英訳)Li Shizhen 著 (1934). “Chinese Materia Medica VII; Dragons and Snakes”. Peking Natural History Bulletin 8 (4): 279-362 .
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- Visser, Marinus Willem de (1913), “§7 Kiao Lung (蛟龍)”, The Dragon in China and Japan, Amsterdam: J. Müller, pp. 76-81
関連項目
[編集]- 伝説の生物一覧
- 「蛟竜 (深海探査艇)」- 中国の深海潜水艇。
- 「蛟龍 (潜水艦)」- 旧日本海軍の特殊潜航艇。
外部リンク
[編集]- toroia (2010年). “蛟”. 幻想動物の事典. 2012年4月閲覧。
- Yabtyan. “和漢三才圖會 卷第四十五 龍蛇部 龍類 蛇類 寺島良安”. やぶちゃんの電子テクスト. 2019年7月閲覧。