西目屋村立西目屋中学校
表示
西目屋村立西目屋中学校 | |
---|---|
閉校後の校舎外観(2019年9月) | |
北緯40度34分34秒 東経140度17分45秒 / 北緯40.57611度 東経140.29583度座標: 北緯40度34分34秒 東経140度17分45秒 / 北緯40.57611度 東経140.29583度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 西目屋村 |
併合学校 | 西目屋村立砂子瀬中学校 |
設立年月日 | 1947年4月1日 |
閉校年月日 | 2015年3月31日 |
共学・別学 | 男女共学 |
所在地 | 〒036-1492 |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
西目屋村立西目屋中学校(にしめやそんりつ にしめやちゅうがっこう)は、青森県中津軽郡西目屋村にあった公立中学校。略称は西中(にしちゅう)。
概要
[編集]西目屋村で唯一の中学校であった[1]。世界自然遺産に登録されている白神山地に関して総合的な学習の時間に学ぶ「白神学習」などの取り組みが特徴であった[2]。
沿革
[編集]- 1947年(昭和22年)
- 1948年(昭和23年)2月28日 - 東奥義塾高等学校教師の橋本良雄が図案した帽章を制定[1]。
- 1950年(昭和25年)12月7日 - 新校舎落成式を挙行[1]。
- 1951年(昭和26年)9月7日 - 校舎を増築[1]。
- 1957年(昭和32年)11月23日 - 校旗を樹立[3]。
- 1960年(昭和35年)12月25日 - 体育館落成式を挙行[3]。
- 1963年(昭和38年)11月13日 - 給食を開始[1]。
- 1970年(昭和45年)2月1日 - 村市学区と大秋学区を対象にスクールバスを運行開始(登校時のみ)[1]。
- 1972年(昭和47年)4月1日 - 村立砂子瀬中学校と統合し、新制の西目屋中学校として発足[1]。旧砂子瀬中学校を砂子瀬校舎、当校を田代校舎に移行[3][1]。
- 1973年(昭和48年)10月 - 新校舎を落成[4]。
- 1974年(昭和49年)
- 1975年(昭和50年)10月12日 - 体育館のギャラリーと用具室を焼失[1]。
- 1999年(平成11年)
- 2011年(平成23年)7月 - 西目屋村は隣接する弘前市に対し、中学校教育事務委託の申し出を行う[6]。
- 2012年(平成24年)5月 - 西目屋村と弘前市の両首長は、中学校教育事務委託に基本合意する[6]。
- 2014年(平成26年)10月3日 - 中学校教育事務委託に関する調印式が執り行われ、中学校事務委託が成立[1]。
- 2015年(平成27年)
学区
[編集]西目屋村の全域を学区としていた。
関連項目
[編集]- 青森県中学校の廃校一覧
- 西目屋村立西目屋小学校 - 2016年(平成28年)1月(第3学期)に、本校校舎に移転した[8]。また、西目屋中学校が東目屋中学校に統合されるまでは、進学前小学校だった。
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r “広報にしめや No.562”. 西目屋村. p. 10 (2015年4月). 2024年2月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年2月1日閲覧。
- ^ 谷口哲郎 (2012年12月11日). “考えてみよう!私たちの白神山地-西目屋中学校総合学習-”. 2017年12月22日閲覧。
- ^ a b c d e 青森県教育史編集委員会 1973, p. 907.
- ^ a b 青森県町村議会議長会 編『青森県町村自治名鑑』青森県町村議会議長会、1985年1月1日、182頁。doi:10.11501/9775436。
- ^ “学校教育”. 西目屋村ウェブサイト. 西目屋村. 2015年3月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年2月1日閲覧。
- ^ a b 学校教育 - 西目屋村ホームページ
- ^ 「「さよなら西目屋中」閉校式典」『東奥日報』2015年3月15日。オリジナルの2015年3月15日時点におけるアーカイブ。2024年2月1日閲覧。
- ^ 広報にしめや2016年1月号 (PDF) - 4頁「白神のまなびやより」にその記載あり。
参考文献
[編集]- 青森県教育史編集委員会 編『青森県教育史 別巻 年表 学校沿革』青森県教育委員会、1973年12月20日。doi:10.11501/12116772。