谷口功一 (野球)
大阪ゼロロクブルズ GM兼コーチ #25 | |
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2023年9月9日、豊中ローズ球場にて | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 大阪府四條畷市 |
生年月日 | 1973年5月4日(51歳) |
身長 体重 |
191 cm 98 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投左打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1991年 ドラフト1位 |
初出場 | 1993年5月9日 |
最終出場 | 1999年9月24日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
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コーチ歴 | |
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この表について
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谷口 功一(たにぐち こういち、1973年5月4日 - )は、大阪府四條畷市出身の元プロ野球選手(投手)。
来歴・人物
[編集]大東畷(ボーイズリーグ)では、副キャプテン、全国大会で優勝をしている。キャプテンだったのは、萩原誠(元:阪神タイガース)[1]。
1990年、天理高2年時に出場した第72回全国高等学校野球選手権大会で1学年上の南竜次との二枚エースで全国制覇。翌1991年のドラフト1位で巨人入り。長身から低めに決まる速球に威力はあったが2年目の2軍戦での最中に右肩を故障。これが原因で3年間日常生活もままならないような日々を過ごすこととなり復帰後にはかつて150km/h出た球速も130km/hまで落ちることとなる。 6年目には柏田貴史と共にニューヨーク・メッツのキャンプに参加し、投球フォームもスリークォーターに変更するなど技巧派転向を模索、この年の二軍初勝利を完封勝利で挙げたがそれが巨人では最後の勝利に終わり、シーズンオフに巨人から戦力外通告を受ける。その後、入団テストを経て西武に入団するも一軍未登板に終わり、再び解雇される。翌年、横浜、近鉄の入団テストを受け、横浜は不合格であったが、近鉄に合格して入団。
1999年、6年ぶりの一軍登板を果たしたが結果を残せずこの年限りで近鉄を退団した。その後はアメリカに渡り、テキサス・レンジャーズにマイナー契約で入団するもメディカルチェックに引っかかり契約を解除される。
その後は、アメリカの独立リーグ数球団を渡り歩き2000年のシーズンには先発投手として7勝をあげる。その後も2002年まで現役を続け、その間も日本球界復帰を目指して日本の球団の入団テストに何度も参加し、トライアウトも受けたが手を挙げる球団はなくその年限りで引退した。
アメリカから帰国後は中学生硬式野球チーム・大東畷ボーイズ監督を経て、スポーツバーの支配人をしていた。
2008年11月、四国・九州アイランドリーグの長崎セインツコーチに就任。同球団が解散した2010年シーズンまで務めた。2011年より大阪市内で居酒屋を経営している[2]。
2020年からは関西独立リーグの06BULLSコーチに就任[3]。また、同年6月27日、古巣の巨人とOBスカウトとしても契約を締結し、大阪エリアの有望選手の情報を巨人に提供する役割を担っている[4]。
2020年シーズン終了後、06BULLSのゼネラルマネージャーに就任することが発表された[5]。
また、ゼネラルマネージャー就任後もリーグではコーチとして登録されている[6]。2022年3月には球団代表にも就任した[7]。06BULLSは2023年より大阪ゼロロクブルズに改名した。2023年11月1日付で球団代表を退任してGM専任となった[8]。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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1993 | 巨人 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 22 | 4.0 | 4 | 2 | 5 | 0 | 0 | 5 | 0 | 0 | 5 | 4 | 9.00 | 2.25 |
1999 | 近鉄 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 16 | 3.1 | 3 | 0 | 4 | 0 | 0 | 4 | 1 | 0 | 2 | 2 | 5.40 | 2.10 |
通算:2年 | 7 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 38 | 7.1 | 7 | 2 | 9 | 0 | 0 | 9 | 1 | 0 | 7 | 6 | 7.36 | 2.18 |
記録
[編集]- 初登板:1993年5月9日、対ヤクルトスワローズ6回戦(明治神宮野球場)、8回裏に4番手で救援登板・完了、1回2失点
- 初奪三振:1993年5月16日、対広島東洋カープ8回戦(広島市民球場)、8回裏に緒方孝市から
背番号
[編集]- 25 (1992年 - 1994年、2020年、2023年 - )
- 48 (1995年 - 1997年)
- 63 (1998年)
- 52 (1999年)
- 73 (2009年 - 2010年)
- 54 (2021年 - 2022年)
脚注
[編集]- ^ 中学生で全国大会優勝、高校生でも夏の甲子園優勝、輝かしい全国優勝経験をもって栄光の巨人軍ドラフト1位:真木将樹ドリームネクスト(2013年4月5日)
- ^ [1]真木将樹が運営するサイトより 2011年10月17日閲覧
- ^ “関西独立リーグ「06BULLS」が東大阪市長表敬訪問 開幕に向け意気込み語る”. 東大阪経済新聞. (2020年3月31日) 2020年9月14日閲覧。
- ^ “読売巨人軍OBスカウトとの契約締結について”. 読売ジャイアンツ (2020年6月27日). 2020年9月19日閲覧。
- ^ 新シーズン(2021年度)に向けて - 06BULLS(2020年11月6日)
- ^ “公示 2022年6月25日”. さわかみ関西独立リーグ (2022年6月25日). 2022年6月30日閲覧。
- ^ “2022シーズン 球団運営体制のお知らせ”. 大阪ゼロロクブルズ. 株式会社ゼロロク (2022年3月16日). 2023年5月18日閲覧。
- ^ 球団代表変更についてのお知らせ - 大阪ゼロロクブルズ(2023年11月1日)
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 谷口功一 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、The Baseball Cube