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豊田市立西広瀬小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
豊田市立西広瀬小学校
地図北緯35度09分16秒 東経137度12分54秒 / 北緯35.15433度 東経137.21494度 / 35.15433; 137.21494座標: 北緯35度09分16秒 東経137度12分54秒 / 北緯35.15433度 東経137.21494度 / 35.15433; 137.21494
過去の名称 猿投町立東部小学校
猿投町立西広瀬小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 豊田市
設立年月日 1873年
共学・別学 男女共学
学期 前後期制
学校コード B123210005516 ウィキデータを編集
所在地 470-0309
愛知県豊田市西広瀬町清水34
外部リンク 公式ウェブサイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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豊田市立西広瀬小学校(とよたしりつ にしひろせしょうがっこう)は、愛知県豊田市西広瀬町にある公立小学校

概要

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  • 校区は枝下町、西広瀬町であり、公立中学校に進学する場合は豊田市立猿投台中学校へ進学する[1]
  • 豊田市の小規模特認校に指定されており、一部は豊田市内の別の校区から転入学してきた児童である[2]
  • 旧・西加茂郡猿投町の西部の小学校であった。
  • 1976年(昭和51年)から近くを流れる矢作川の水質汚濁調査を継続的に行っている。

沿革

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  • 1873年(明治6年)11月 - 西広瀬村に第2大学区第9中学区第69番小学西広瀬学校として開校。宝積寺[注釈 1]を仮校舎とする。富田村、押沢村、西枝下村、西広瀬村の児童が通学する。
  • 1878年(明治11年)3月 - 校舎を新築し移転する。透成学校に改称する。
  • 1887年(明治20年) - 尋常小学川口学校に統合され、透成分教場となる。
  • 1889年(明治22年)10月1日 - 松峯村、押沢村、藤沢村、富田村、西枝下村、西広瀬村、上川口村、下川口村、御作村が合併し、富貴下村が発足。
  • 1892年(明治25年) - 独立し、富貴下村立透成尋常小学校となる。
  • 1906年(明治39年)7月1日 - 富貴下村が分割され、西枝下・西広瀬は、広澤村上郷村と合併し、猿投村が発足。透成尋常小学校は猿投村の学校となる。
  • 1907年(明治40年)1月 - 猿投第三尋常小学校に改称する。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 猿投村立東部国民学校に改称する。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 猿投村立東部小学校に改称する。
  • 1953年(昭和28年)4月1日 - 猿投村が町制施行して猿投町となる。同時に猿投町立東部小学校に改称する。
  • 1955年(昭和30年)3月1日 - 保見村石野村が猿投町に編入される。同時に猿投町立西広瀬小学校に改称する。
  • 1967年(昭和42年)4月1日 - 猿投町が豊田市に編入される。同時に豊田市立西広瀬小学校に改称する。
  • 1976年(昭和51年)7月3日 - 矢作川の水質汚濁調査を開始する。

交通アクセス

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周辺施設

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参考文献

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  • 猿投町誌編集委員会『猿投町誌』1972年、pp. 470-496

脚注

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注釈

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  1. ^ 現在の愛知県豊田市西広瀬町大久保408にある寺院。

関連項目

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外部リンク

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