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近藤基彦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
近藤基彦
こんどう もとひこ
生年月日 (1954-02-15) 1954年2月15日
出生地 新潟県佐渡市(旧・相川町
没年月日 (2018-11-17) 2018年11月17日(64歳没)
死没地 新潟県新潟市
出身校 日本大学
前職 近藤元次衆議院議員秘書
所属政党 自由民主党古賀派
称号 工学士旭日重光章
親族 父・近藤元次

選挙区 新潟2区
当選回数 3回
在任期間 2000年6月2日 - 2009年7月21日
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近藤 基彦(こんどう もとひこ、1954年2月15日 - 2018年11月17日)は、日本政治家自由民主党所属の元衆議院議員(3期)。父は衆議院議員・農林水産大臣を務めた近藤元次[1]

概要

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新潟明訓高等学校を経て、1976年日本大学理工学部建築学科を卒業。父・近藤元次衆議院議員の秘書となる。

1996年第41回衆議院議員総選挙新潟2区から無所属で立候補し落選。2000年第42回衆議院議員総選挙で初当選。当選時は無所属で、保守系無所属議員による会派「21世紀クラブ」に所属していたが、のちに自民党に入党。以後、連続3期当選。自民党農林部会長など農政通として活動。農林水産委員会(理事)、文部科学委員会北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員会(理事)を務める。2008年8月、福田康夫改造内閣農林水産副大臣に就任。

2009年8月30日第45回衆議院議員総選挙に自民党公認で立候補。公明党の推薦も受けたが落選[2]

2011年2月、政界からの引退を発表する[3]

2018年11月17日19時29分、敗血症のため新潟市の病院で死去[4][5]。64歳没。叙正四位旭日重光章追贈[6]

不祥事

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2009年6月30日 、近藤が、役員給与として建設会社から総額およそ1880万円を受け取っていたことが発覚[7]。「国務大臣、副大臣及び大臣政務官規範」違反と指摘され、返金を表明し謝罪[8]

所属していた団体・議員連盟

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脚注

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  1. ^ 元農水副大臣の近藤基彦氏が死去 衆院議員を3期務める 政治・行政 新潟県内のニュース 新潟日報モア”. 新潟日報モア (2018年11月19日). 2019年11月16日閲覧。[リンク切れ]
  2. ^ 衆院選小選挙区 自民128人推薦 2009年8月7日 公明新聞
  3. ^ 自民党・近藤基彦前衆議院議員政界引退へ:納豆人生、まっしぐら
  4. ^ 近藤基彦さん死去”. 朝日新聞デジタル (2018年11月20日). 2018年11月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年11月17日閲覧。
  5. ^ 近藤基彦氏死去=元自民党衆院議員”. 時事通信社 (2018年11月19日). 2018年11月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年11月17日閲覧。
  6. ^ 『官報』7407号、平成30年12月11日
  7. ^ 「大臣規範、近藤氏が抵触=農水副大臣就任後も月給188万円」[リンク切れ]
  8. ^ NHKニュース 近藤副大臣が兼職 報酬を返還、NHK、2009年6月30日[リンク切れ]
公職
先代
今村雅弘
岩永浩美
日本の旗 農林水産副大臣
石田祝稔と共同
2008年 - 2009年
次代
山田正彦
郡司彰