長島忠美
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長島 忠美 ながしま ただよし | |
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生年月日 | 1951年1月9日 |
出生地 |
日本 新潟県古志郡山古志村 (現・長岡市山古志) |
没年月日 | 2017年8月18日(66歳没) |
死没地 | 日本 新潟県長岡市 |
出身校 | 東洋大学経済学部 |
前職 |
新潟県山古志村長 長岡市復興管理監 |
所属政党 | 自由民主党(二階派) |
称号 |
正四位 旭日重光章 経済学士 |
選挙区 |
(比例北陸信越ブロック→) 新潟5区 |
当選回数 | 4回 |
在任期間 | 2005年9月11日 - 2017年8月18日 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 2000年 - 2005年 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1993年 - 2000年 |
長島 忠美(ながしま ただよし、男性、1951年1月9日 - 2017年8月18日)は、日本の政治家。
新潟県中越地震で被災した新潟県古志郡山古志村の、最後の村長である。衆議院議員(4期)、復興副大臣、復興大臣政務官兼農林水産大臣政務官、山古志村長(2期)、山古志村議会議員(2期)、東洋大学理事長、国際ボランティア学生協会特別顧問、自民党たばこ議員連盟幹事長代理を務めた。
概要
[編集]伝記の記載を年譜形式のみとすることは推奨されていません。 |
- 新潟県古志郡山古志村(現長岡市)生まれ。新潟県立長岡高等学校、東洋大学経済学部卒業。大学卒業後、東京都内で就職するが、後に家業である農業・畜産業を継ぐため、1979年(昭和54年)に山古志村に帰郷する[要出典]。
- 1990年(平成2年)- 山古志村教育委員に就任[要出典]。
- 1993年(平成5年)- 山古志村議会議員選挙に出馬し、初当選。2期目の任期途中で山古志村議を辞職し、2000年に山古志村長選挙に立候補し、当選。
- 2004年(平成16年)- 新潟県中越地震で山古志村が甚大な被害を受ける。
- 2005年(平成17年)
- 4月1日、山古志村が長岡市に合併し、山古志村長を自動失職。長岡市復興管理監に就任。
- 9月、第44回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で比例北陸信越ブロック単独で出馬し、当選。
- 2009年(平成21年)
- 4月、母校・東洋大学の第31代理事長に就任。同年の第45回衆議院議員総選挙で再選。
- 12月、東洋大学理事長に再任。(2012年12月まで)
- 2012年(平成24年)
- 2013年(平成25年)- 1月、復興大臣政務官として岩手駐在[1]。
- 2014年(平成26年)
- 9月3日、第2次安倍改造内閣で復興副大臣に就任。
- 12月、第47回衆議院議員総選挙に新潟5区から出馬し、4選。
- 2017年(平成29年)
政策・主張
[編集]- 選択的夫婦別姓制度の導入にどちらかといえば反対[5]。
- 受動喫煙防止を目的に飲食店などの建物内を原則禁煙とする健康増進法改正に反対。2017年3月7日の自民党たばこ議員連盟の臨時総会において、「営業の自由まで奪うような、罰則を科すのは日本にふさわしくない。人権を侵すことにもつながるのではないか。権利を奪う、そんな可能性がある法案を通す必要はない」と主張した[6]。
人物
[編集]- 喫煙者である[7]。
- 山古志村での家業は虫亀地区で代々続く農業で、牛を飼育し畜産業も営んでいるほか、民宿も経営している[8]。
- 新潟県中越地震復興の一環として2006年から始まった企画「幸子米」[9]のために、山古志地区の棚田を提供した[10]。震災後、山古志村民と共に長岡市内の仮設住宅に居住。他の村民が退去するのを見届けた後、2007年12月31日に最後の1世帯として退去。山古志村へ戻った[11]。
- 2014年5月に超党派の議員連盟・立憲フォーラムがノルウェーのノーベル平和賞委員会へ提出した「憲法9条にノーベル平和賞の授与を求める署名」に署名した。長島は本件に対し「私は改憲派だ。軽い気持ちで署名した」「9条を守れという運動に参加するつもりはない」としている[12]。
著書
[編集]- (石川拓治・長島忠美)『国会議員村長―私、山古志から来た長島です』 小学館、2007年。ISBN 978-4093877497。
所属団体・議員連盟
[編集]- 時代に適した風営法を求める議員連盟(パチンコ議連)
- 自民党たばこ議員連盟(幹事長代理)[13][14]
- 自由民主党たばこ特別委員会(副委員長)[14]
- 日本会議国会議員懇談会[15]
- 神道政治連盟国会議員懇談会[15]
- みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会[15]
- 創生「日本」[15]
- 自民党国際人材議員連盟
- 天皇陛下御即位二十年奉祝国会議員連盟(事務局次長)
- 日韓議員連盟
- TPP交渉における国益を守り抜く会
- 自民党山村振興特別委員会(副委員長)
- 自民党東日本大震災復興加速化本部(事務局長)
脚注
[編集]- ^ 『住宅再建へ工程表作成 長島政務官を本県駐在に』(岩手日報)2013年1月22日 。2013年1月28日閲覧。
- ^ “長島忠美衆院議員は脳卒中 後援会が発表”. 新潟日報モア. 新潟日報社. (2017年8月16日) 2017年8月19日閲覧。
- ^ “自民党・長島忠美衆院議員が死去 66歳”. 日テレNEWS24. (2017年8月19日) 2020年2月15日閲覧。
- ^ “自民・長島忠美衆院議員が死去 旧山古志村の村長”. 産経ニュース. 産業経済新聞社. (2017年8月19日) 2017年8月19日閲覧。
- ^ 朝日新聞、2014年衆院選、朝日・東大谷口研究室共同調査、2014年。
- ^ “自民たばこ議連3/7臨時総会がどんな痴呆議論で盛り上がったか、みなさん読んでみます?” (2017年3月9日). 2018年4月22日閲覧。
- ^ “【長島忠美という男】しけ(湿気)たせんべ(煎餅)と煙草が好きで。【陳情の思い出】”. 維新政党・新風 角田晶生 (2012年11月28日). 2019年2月25日閲覧。
- ^ “農家民宿 山古志百姓や三太夫”. (2007年12月31日) 2012年12月28日閲覧。
- ^ “【FAN】「幸子田」田植え 農林水産省お米大使 小林幸子”. FOOD ACTION NIPPON (2011年6月5日). 2012年12月28日閲覧。
- ^ “解任騒動余波…小林幸子、山古志の田植え参加断られた”. スポーツニッポン. (2012年5月13日) 2013年2月4日閲覧。
- ^ “仮設最後の住民退去 中越地震から3年で解消”. 共同通信社. 47NEWS. (2007年12月31日) 2012年12月20日閲覧。
- ^ “「憲法9条」にノーベル平和賞の署名に自民議員2人”. 産経新聞. (2014年6月10日) 2014年6月10日閲覧。
- ^ “「自民党たばこ議員連盟」役員(2017/3/7現在)及び役員へのタバコ販売&耕作者政治連盟からの6年間の献金額(万円)”. 2018年4月11日閲覧。
- ^ a b “自民党たばこ議員連盟臨時総会(出席者)”. 2018年4月11日閲覧。
- ^ a b c d 俵義文、日本会議の全貌、花伝社、2016年
参考文献
[編集]- 勝野淳一『国会議員と地方議員との関係に関する考察 : 地方議員は集票マシーンか』展転社、2022年4月。ISBN 9784886565402。全国書誌番号:23691329。
外部リンク
[編集]- 長島 忠美 (100008484638670) - Facebook
- 長島 忠美 (@nagashima_t) - X(旧Twitter)
- 次世代に引き継ぐ大震災の教訓 新潟中越地震から3年2ヵ月で復興した旧山古志村 カギは元村長の「3つの決断」にあった――長島忠美・衆議院議員インタビュー
- 農家民宿 山古志百姓や 三太夫 (yamakoshisandayu) - Facebook
- 長島忠美 - Ameba Blog
学職 | ||
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先代 塚本正進 |
学校法人東洋大学理事長 2009年- 2012年 |
次代 福川伸次 |
公職 | ||
先代 谷公一 浜田昌良 岡田広 愛知治郎 |
復興副大臣 浜田昌良→若松謙維 西村明宏→山本順三と共同 2014年 - 2016年 |
次代 橘慶一郎 長沢広明 末松信介 |
先代 郡和子 金子恵美 加賀谷健 橋本清仁 |
復興大臣政務官 亀岡偉民 島尻安伊子 德田毅と共同 2012年 - 2013年 |
次代 岩井茂樹 山本朋広 |
先代 梶原康弘 鷲尾英一郎 |
農林水産大臣政務官 稲津久と共同 2012年 - 2013年 |
次代 佐藤英道 中川郁子 |