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加賀谷健

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
加賀谷 健
かがや けん
財務局長会議において(2011年11月1日)
生年月日 (1943-10-23) 1943年10月23日
出生地 日本の旗 日本 北海道 苫小牧市
没年月日 (2014-04-24) 2014年4月24日(70歳没)
死没地 日本の旗 日本 千葉県 千葉市中央区
出身校 北海道苫小牧工業高等学校
前職 東京電力社員
千葉県議会議員
所属政党民社党→)
新進党→)
民主党民社協会

選挙区 千葉県選挙区
当選回数 1回
在任期間 2007年7月29日 - 2013年7月28日

選挙区 千葉市稲毛区選挙区
当選回数 5回
在任期間 1987年 - 2007年
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加賀谷 健(かがや けん、1943年10月23日 - 2014年4月24日)は、日本政治家。旧民主党に所属していた。

参議院議員(1期)、内閣府大臣政務官野田第3次改造内閣)、総務大臣政務官野田改造内閣)、千葉県議会議員(5期)などを歴任。

来歴

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2012年4月6日総務大臣政務官就任時に野田佳彦内閣総理大臣大島敦総務副大臣高井美穂文部科学副大臣西村智奈美厚生労働副大臣と記念撮影

北海道苫小牧市生まれ[1]。1962年に北海道苫小牧工業高等学校を卒業して東京電力千葉支店に入社[1]。労働組合千葉支部書記長を務めた[1]。その間に民社党入党。1987年には民社党より千葉県議会議員に初当選し、以後5期に渡って在任[1]

2007年7月の第21回参議院議員通常選挙民主党公認候補として千葉県選挙区より立候補、初当選した[1]野田第1次改造内閣総務大臣政務官野田第3次改造内閣内閣府大臣政務官を務めた。

2013年7月の第23回参議院議員通常選挙には立候補せず、政界から引退した。

2014年4月24日10時35分、肝内胆管がんのため、千葉県千葉市中央区の病院で死去した。70歳没[2]

エピソード

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2013年5月15日、政府に対して質問主意書を提出し、「旧総理大臣官邸である総理大臣公邸には、二・二六事件等の幽霊が出るとの噂があるが、それは事実か。安倍総理が公邸に引っ越さないのはそのためか。」と問いただした[3]。これに対して政府は「お尋ねの件については、承知していない。」との回答を出した。

政歴

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主な役職

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内閣府大臣政務官在任時の肖像写真

党内

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  • 民主党拉致問題対策本部
  • 民主党総務部門会議座長
  • 民主党陳情要請対応本部副本部長
  • 民主党千葉県総支部連合会副代表
  • 民主党千葉県参議院第3総支部長
  • 民主党千葉県第1区総支部稲毛支部顧問

党外

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  • 千葉市ソフトテニス協会会長
  • 千葉市レディースソフトテニス協会会長
  • 千葉市体育協会参与
  • 千葉県民社協会会長
  • NPO法人ふるさと文化研究会顧問

議員連盟

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その他

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家族は妻、娘2人、孫3人がいる。

趣味は釣り、野球、テニス、家庭菜園、歴史である。

脚注

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  1. ^ a b c d e 民主党 参議院議員 加賀谷 健のホームページ”. 2013年5月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年9月27日閲覧。
  2. ^ 加賀谷健前参院議員死去 Archived 2014年4月24日, at Archive.is 時事通信 2014年4月24日
  3. ^ 参議院公式サイト
公職
先代
園田康博
郡和子
大串博志
稲見哲男
北神圭朗
日本の旗 内閣府大臣政務官
郡和子
金子恵美
稲見哲男
岸本周平
大野元裕
本多平直
高山智司と共同

2012年
次代
山際大志郎
亀岡偉民
島尻安伊子
北村茂男
平将明
秋野公造
先代
福田昭夫
森田高
日本の旗 総務大臣政務官
福田昭夫
森田高と共同
森田高と共同
稲見哲男
森田高と共同

2012年
次代
石津政雄
稲見哲男
森田高