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山崎恒 (政治家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

山崎 恒(やまざき ひさし、1901年明治34年)7月1日[1] - 1983年昭和58年)12月17日[1][2])は、昭和期の農業協同組合指導者、政治家参議院議員(1期)。

経歴

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千葉県[1][2]匝瑳郡匝瑳村中台(八日市場町、八日市場市中台[3]を経て現匝瑳市中台)出身。1919年(大正8年)茂原農学校(千葉県立茂原農業高等学校を経て現千葉県立茂原樟陽高等学校)を卒業した[1][2]

千葉県匝瑳村農業会長、同村産業組合長、千葉県農会議員、同県信用販売購買連合会専務理事、同食糧営団理事、同農業会会長、全国販売農業協同組合連合会長、中央蚕糸協会理事、全国乾繭協同組合連合会副会長、全国農業共済協会理事、農民教育協会理事、千葉県農業協同組合連合会理事、同農業共済保険組合連合会長、東邦海運取締役、共栄火災海上保険取締役、関東いすゞ自動車販売(現関東いすゞ自動車)取締役、いすゞ産業社長などを務めた[2]

1947年(昭和22年)4月の第1回参議院議員通常選挙千葉県地方区から無所属で出馬して当選し[1][2][4]改進党に所属して参議院議員に1期在任した[1][2]。この間、参議院農林委員長などを務めた[1][2]

政界引退後は、千葉県人事委員会委員長、同県農業共済組合連合会長、匝瑳農業共済組合長、千葉興業銀行取締役、千葉県立茂原農業高等学校同窓会長などを務めた[3]。1971年(昭和46年)秋の叙勲で勲三等旭日中綬章受章(勲六等からの昇叙)[5][6]

1983年(昭和58年)12月17日死去、82歳。死没日をもって正七位から正五位に叙される[7]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』649-650頁。
  2. ^ a b c d e f g 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』435頁。
  3. ^ a b 『光芒の人 千葉県人物事典2』296頁。
  4. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』437頁。
  5. ^ 山崎 恒」『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』https://kotobank.jp/word/%E5%B1%B1%E5%B4%8E%20%E6%81%92コトバンクより2023年2月22日閲覧 
  6. ^ 『官報』第13463号12頁 昭和46年11月5日号
  7. ^ 『官報』第17071号12-13頁 昭和58年12月28日号

参考文献

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  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 石井暉二『光芒の人 千葉県人物事典2(政治編-国会議員)』ぎょうせい、1990年。
  • 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。
  • 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。
議会
先代
羽生三七
日本の旗 参議院農林委員長 次代
片柳真吉