野原将志
阪神時代(2009年7月15日、阪神鳴尾浜球場) | |
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 長崎県南島原市 |
生年月日 | 1988年4月4日(36歳) |
身長 体重 |
184 cm 82 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 三塁手、一塁手 |
プロ入り | 2006年 高校生ドラフト1巡目 |
初出場 | 2011年8月28日 |
最終出場 | 2013年6月15日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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派遣歴 | |
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この表について
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野原 将志(のはら まさし、1988年4月4日 - )は、長崎県南島原市出身の元プロ野球選手(内野手)。
経歴
[編集]プロ入り前
[編集]長崎日本大学高等学校で1年春から遊撃手のレギュラーを獲得。高校通算30本塁打。2006年の高校生ドラフトで、堂上直倫(中日)を外した阪神から1巡目指名を受け入団。高い身体能力とパンチ力が評価された。背番号は37。
プロ入り後
[編集]ルーキーイヤーの2007年から二軍では三塁手のレギュラーとして出場。71試合に出場し打率.236、1本塁打26打点を記録した。2008年も三塁手を中心に二軍のレギュラーとして出場。87試合に出場し、打率.253、1本塁打、31打点の成績だった。2009年には、86試合に出場して打率.282、5本塁打37打点を記録した。同年よりチームには同姓の野原祐也が加入し、スコアボード表記が「野原将」となる。
2010年に二軍で101試合に出場、リーグ最多タイの103安打、打率.303、7本塁打、44打点、OPS.775の成績を残し、ウエスタン・リーグ表彰の優秀選手賞と球団制定のファーム年間MVP(打者部門)を受賞した。また、この年10月に台湾で開催された第17回IBAFインターコンチネンタルカップ日本代表にも選ばれた[1]。
2011年8月28日のヤクルト戦で、7回裏に一塁走者桧山進次郎の代走として一軍初出場を果たすが、続く打者が適時安打を放ち、二塁に進塁した時点で野原に代走大和が送られ、球界でも珍しい「代走の代走」となった[2]。この年は2試合に出場した。11月にはオーストラリアン・ベースボールリーグのキャンベラ・キャバルリーに派遣され、8試合に出場、31打数11安打、打率.355、1本塁打、9打点、2盗塁、OPS.923と派遣期間を終えて帰国するまでは打点王の活躍だった。
2012年9月26日のヤクルト戦で6番・一塁手でプロ初スタメンで試合に出場[3]。この試合の3打席目に赤川克紀から左前打を放ち、プロ初安打を記録した[3]。同年オフ、背番号をFAで阪神に入団する日高剛に譲り、自身の背番号は67に変更になった。
2013年シーズンは、一軍で8試合に出場するも安打を放つことはできなかった。ウエスタン・リーグでは、76試合に出場し打率.267、2本塁打、27打点の成績だった。10月1日に球団から戦力外通告を受けた[4]。11月10日、第1回12球団合同トライアウトに参加した[5]が、獲得球団は現れなかった。
阪神退団後
[編集]2014年度より、社会人野球の三菱重工長崎に嘱託社員として入社[6]。2016年シーズンをもって現役を引退した。
その後は三菱重工を退社し、建築用可搬式作業台のレンタルを行う会社に勤務している[7]。
詳細情報
[編集]年度別打撃成績
[編集]年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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2011 | 阪神 | 2 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 |
2012 | 5 | 14 | 14 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 6 | 0 | .214 | .214 | .214 | .428 | |
2013 | 8 | 10 | 10 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
通算:3年 | 15 | 25 | 25 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 7 | 0 | .120 | .120 | .120 | .240 |
年度別守備成績
[編集]年 度 |
球 団 |
一塁 | 三塁 | ||||||||||
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試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 |
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 | ||
2012 | 阪神 | 4 | 27 | 3 | 0 | 5 | 1.000 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- |
2013 | 3 | 4 | 0 | 0 | 1 | 1.000 | 3 | 1 | 6 | 0 | 0 | 1.000 | |
通算 | 7 | 31 | 3 | 0 | 6 | 1.000 | 4 | 1 | 6 | 0 | 0 | 1.000 |
記録
[編集]- 初出場:2011年8月28日、対東京ヤクルトスワローズ13回戦(阪神甲子園球場)、7回裏に桧山進次郎の代走として出場
- 初打席:2011年8月30日、対中日ドラゴンズ16回戦(ナゴヤドーム)、9回表に福原忍の代打として出場、鈴木義広に対し投ゴロ
- 初先発出場:2012年9月26日、対東京ヤクルトスワローズ21回戦(明治神宮野球場)、6番・一塁手として先発出場
- 初安打:同上、6回表に赤川克紀から左前安打
背番号
[編集]- 37 (2007年 - 2012年)
- 67 (2013年)
登場曲
[編集]- 「はじまりの合図」ケツメイシ(2007年 - 2009年)
- 「Me Love」Sean Kingston(2010年 - 2012年)
- 「IT'S SHOW TIME!!!」AI(2013年)
脚注
[編集]- ^ 2010年第17回IBAFインターコンチネンタルカップ日本代表メンバー
- ^ 阪神珍し「代走の代走」一塁代走の野原将が二塁進塁で Sponichi Annex 野球 2011年8月30日閲覧。
- ^ a b “阪神・野原将、高卒6年目の初H”. サンケイスポーツ. (2012年9月27日) 2012年9月27日閲覧。
- ^ “来季の選手契約について”. 阪神タイガース公式サイト. 阪神タイガース (2013年10月1日). 2013年10月3日閲覧。
- ^ “【プロ野球トライアウト潜入リポート】ベテランと落合GMに注目集まる”. SPA!. (2013年11月11日) 2013年11月30日閲覧。
- ^ 小虎の進路を少し&台湾の試合結果(12月5日)スポニチアネックス 2013年12月5日配信
- ^ “野原将志さん語るドラ1転職の難しさ/あの猛虎は今”. 日刊スポーツ (2021年1月4日). 2021年1月4日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 野原将志 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、The Baseball Cube