赤川克紀
東京ヴェルディ・バンバータ #47 | |
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2010年11月14日(松山中央公園野球場) | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 宮崎県宮崎市 |
生年月日 | 1990年7月31日(34歳) |
身長 体重 |
184 cm 99 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2008年 ドラフト1位 |
初出場 | 2009年9月9日 |
最終出場 | 2014年8月29日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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赤川 克紀(あかがわ かつき、1990年7月31日 - )は、宮崎県宮崎市出身の元プロ野球選手(投手)。 左投左打。東京ヤクルトスワローズ時代の愛称は「ジャイアン」[1]。
来歴
[編集]プロ入り前
[編集]小学2年生の時にソフトボールを始め、中学時代は軟式野球部に所属[1]。宮崎県立宮崎商業高等学校入学後、1年秋からエースとなり、秋季県大会では30イニング連続無失点、46奪三振と驚異的な記録を残し、九州大会に駒を進めた。3年の宮崎大会準決勝では延長15回193球を投げ、チームの39年ぶり4回目の甲子園出場に貢献。甲子園初戦の城北高校戦において8回1失点と好投し、チームに44年ぶりの勝利に貢献。2回戦の鹿児島実業高校戦で敗退したが、延長12回を一人で投げ抜き、全日本高校選抜に選出された。
2008年度のドラフト会議で東京ヤクルトスワローズから1位指名を受け入団。
ヤクルト時代
[編集]2009年、9月9日の広島東洋カープ戦で、6点差を追う9回に3番手としてプロ入り初登板。打者4人に対して本塁打を含む3安打1四球2暴投3失点と1死も取れずに降板した。
2010年、台湾で開催された第17回IBAFインターコンチネンタルカップの日本代表に選ばれた。
2011年、8月18日の横浜ベイスターズ戦では5回無失点でプロ初勝利を挙げた[2]。9月時点でチームが首位に立ち中日ドラゴンズとの優勝争いを繰り広げるなか、9月26日の中日戦では9回二死から1失点したものの堂々のプロ初の完投勝利を飾るなど[1]、8月からの先発起用ながら6勝3敗という成績を残した。クライマックスシリーズにも登板し、ファーストステージの第3戦、11月1日の対読売ジャイアンツ戦では6回2/3を無失点でチームを勝利に導いた[3]。
2012年は、監督推薦により自身初のオールスターゲーム選出を決め、第3戦の6回から登板。3イニングを無安打に抑え、SKYACTIV TECHNOLOGY賞(3試合を通じて最もファンの印象に残った選手)を受賞した。シーズンでは先発ローテーション投手として8勝9敗の成績を残し、プロ入り初の規定投球回到達を果たした。
2013年は、開幕ローテーションに抜擢されたが、成績不振で5月に二軍落ち。7月に一軍へ再昇格を果たしたものの、7月28日の広島戦では5回までに4点リードしながら初勝利を逃し、この試合を最後に再び二軍へ落ちた。その後は一軍へ再昇格することなくシーズンを終え、最後まで勝利を挙げられず防御率も6.98に終わった。
2014年は、先発での登板は1試合しかなく、中継ぎで起用されたが全体では14試合の登板に終わり、防御率も7点台の成績で終わった。
2015年はイースタンで25試合で1勝3敗、防御率7.16という成績に終わり、プロ入り後初めて一軍公式戦への登板機会がなかった。10月2日に球団から戦力外通告を受け、10月14日に現役を引退することが報じられた[4]。
引退後
[編集]引退表明の際に、「野球にはもう携わらない」と明言したが、地元の先輩であるamadanaの社長で東京バンバータの監督でもある熊本浩志の紹介で、2015年11月から東京都内の建築資材関係企業・株式会社ナスタ[5][6]に勤務しながら[7]、軟式野球のクラブチーム「東京バンバータ」(現:東京ヴェルディ・バンバータ)に加わった[8]。
人物・選手としての特徴
[編集]肘の使い方が上手く、球持ちのよさに非凡さがあると2012年のプロ野球名鑑では評されている[9]。2011年時点で平均球速は、約137km/h[10]。動くボールを武器に打たせて取るピッチングを持ち味とした[1][11]。
のんびりした気質でマウンド上でも臆する事なく、走者を背負ったピンチの場面でも粘り強さを発揮した[1][12]。
ヤクルトでは、同じく高卒でドラフト1位指名で入団した由規、村中恭兵、増渕竜義らとともにドラ一四兄弟と呼ばれた(赤川が末っ子)[13]。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2009 | ヤクルト | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .--- | 4 | 0.0 | 3 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 3 | 3 | -.-- | -.-- |
2010 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | .000 | 24 | 5.1 | 7 | 0 | 1 | 0 | 1 | 3 | 0 | 0 | 4 | 4 | 6.75 | 1.51 | |
2011 | 23 | 13 | 1 | 0 | 0 | 6 | 3 | 0 | 0 | .667 | 366 | 88.2 | 74 | 4 | 32 | 2 | 5 | 66 | 2 | 1 | 22 | 20 | 2.03 | 1.20 | |
2012 | 28 | 27 | 2 | 1 | 0 | 8 | 9 | 0 | 0 | .471 | 668 | 156.2 | 156 | 13 | 52 | 2 | 9 | 91 | 5 | 0 | 73 | 66 | 3.79 | 1.33 | |
2013 | 9 | 9 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 0 | 0 | .000 | 186 | 40.0 | 44 | 5 | 23 | 0 | 3 | 26 | 0 | 1 | 33 | 31 | 6.98 | 1.68 | |
2014 | 14 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | .000 | 140 | 29.0 | 41 | 6 | 18 | 1 | 0 | 16 | 5 | 0 | 25 | 24 | 7.45 | 2.00 | |
通算:6年 | 76 | 51 | 3 | 1 | 0 | 14 | 20 | 0 | 0 | .412 | 1388 | 319.2 | 325 | 29 | 127 | 5 | 18 | 202 | 14 | 2 | 160 | 148 | 4.17 | 1.40 |
年度別守備成績
[編集]年 度 |
球 団 |
投手 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 | ||
2009 | ヤクルト | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | .--- |
2010 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | |
2011 | 23 | 2 | 11 | 1 | 1 | .929 | |
2012 | 28 | 7 | 34 | 2 | 0 | .953 | |
2013 | 9 | 1 | 11 | 0 | 0 | 1.000 | |
2014 | 14 | 1 | 6 | 0 | 0 | 1.000 | |
通算 | 76 | 11 | 63 | 3 | 1 | .961 |
表彰
[編集]記録
[編集]- 投手記録
- 初登板:2009年9月9日、対広島東洋カープ19回戦(明治神宮野球場)、9回表に3番手で救援登板、3安打1四球3失点で降板
- 初先発:2010年8月14日、対阪神タイガース16回戦(京セラドーム大阪)、5回1/3を4失点で敗戦投手
- 初奪三振:同上、2回裏に桜井広大から空振り三振
- 初勝利・初先発勝利:2011年8月18日、対横浜ベイスターズ14回戦(明治神宮野球場)、5回2/3を無失点
- 初完投勝利:2011年9月25日、対中日ドラゴンズ19回戦(ナゴヤドーム)、9回5安打1失点3奪三振
- 初完封勝利:2012年4月21日、対読売ジャイアンツ5回戦(明治神宮野球場)、9回5安打6奪三振
- 打撃記録
- 初安打・初打点:2011年8月25日、対中日ドラゴンズ15回戦(明治神宮野球場)、4回裏にエンジェルベルト・ソトから中前2点適時打
- その他記録
- オールスターゲーム出場:1回 (2012年)
背番号
[編集]- 47 (2009年 - 2015年)
脚注
[編集]- ^ a b c d e “主ヤクはジャイアン!赤川、危機救ったプロ初完投勝利”. スポニチアネックス (2011年9月27日). 2022年1月4日閲覧。
- ^ 「ジャイアン」赤川初勝利!バカボンの仇討った スポーツニッポン 2011年8月19日付記事
- ^ “ヤクルト赤川無失点 鈍感力発揮/CS1”. 日刊スポーツ (2011年11月1日). 2022年1月4日閲覧。
- ^ 燕ドラ1たちが決断…日本ハム・増渕、ヤクルト赤川が引退へ SANSPO.COM 2015年10月14日付記事
- ^ “47赤川”. tokyoverdy bambaataa. 2020年9月3日閲覧。
- ^ “勝負するからには手加減しない、今年は結果を出しにいきます!”. ザ・コーポレートゲームズ東京 2018 アジアパシフィック. 2020年9月3日閲覧。
- ^ 『スポーツ報知』2015年12月31日付特集記事「プロ野球選手第2の人生 その後」
- ^ “★【SWBCJAPAN】2015年度最終戦を勝利で飾る 4.23トライアウト開催へ”. 全国軟式野球ストロングリーグ (2016年3月27日). 2017年1月4日閲覧。
- ^ 『プロ野球カラー名鑑2009』ベースボール・マガジン社、2009年、246頁。ISBN 978-4-583-61591-2。
- ^ 『2012プロ野球オール写真選手名鑑』日本スポーツ企画出版社、2012年、98頁頁。ISBN 978-4-905411-04-8。
- ^ “【ヤクルト】荒木C「ボールよく動く」”. 日刊スポーツ (2012年9月19日). 2022年1月4日閲覧。
- ^ “プロで惜しくも輝けなかった「たられば選手」赤川克紀”. BASEBALL KING (2015年11月17日). 2022年1月4日閲覧。
- ^ “ヤクルトの四兄弟が7年ぶりに集結”. サンスポ (2021-02-03). 2022年1月4日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 赤川克紀 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、The Baseball Cube
- 47 赤川 克紀 投手 - 東京ヴェルディ・バンバータ
- 赤川 克紀 (@Katsuki731Ak) - X(旧Twitter)
- 赤川克紀オフィシャルブログ「真っ向勝負!!」 - Ameba Blog(2012年7且31日 - 2014年12月2日)