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金田龍之介

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
金田竜之介から転送)
かねだ りゅうのすけ
金田 龍之介
本名 金田 龍之介
別名義 金田 竜之介
生年月日 (1928-06-15) 1928年6月15日
没年月日 (2009-03-31) 2009年3月31日(80歳没)
出生地 日本の旗 日本東京府東京市本所区本所松坂町(現・東京都墨田区
出身地 日本の旗 日本大阪府大阪市都島区
死没地 日本の旗 日本埼玉県草加市
民族 日本人
血液型 A型
職業 俳優
ジャンル 映画テレビドラマ舞台
活動期間 1933年 - 2009年
配偶者 金田満里子
著名な家族 金田拓三(三男)
公式サイト オフィス天童 office-TENDOによる公式プロフィール
主な作品
テレビドラマ
国盗り物語
元禄太平記
子連れ狼
草燃える
独眼竜政宗
あすか
映画
悪名十八番
トラック野郎・熱風5000キロ
受賞
放送作家協会賞(1969年)
第8回菊田一夫演劇賞(1982年)
文化庁長官賞(2001年)
第25回松尾芸能賞優秀賞(2004年)
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金田 龍之介かねだ りゅうのすけ[1]1928年昭和3年〉6月15日[1][2] - 2009年平成21年〉3月31日[1][2])は、日本俳優[3]。本名も同じである[3]1970年頃までは異体字で表記された金田竜之介名義の作品もある。愛称は「金龍[1]。血液型はA型。三男は俳優の金田拓三。過去の出演作品については、金田龍之介権利継承者である満里子夫人から、オフィス天童[4]に委任されている。

来歴・人物

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東京府[1]東京市本所区本所松坂町(現在の東京都墨田区両国二丁目、三丁目辺り)出生。幼少の頃に大阪市都島区[要出典]に移住し[1]、上京まで過ごしていたので本人は「大阪市都島区出身」と語っていた。

1933年大阪天満八千代座にて子役として初舞台を踏む[1]

1946年大阪市立都島工業学校機械科卒業[5]1949年、旧制大阪市立都島工業専門学校[注釈 1]卒業[6]。卒業後は会社に勤めながら劇団青猫座にて演劇活動を行い、関西演劇界を担う若手俳優のひとりだったが、子役時代からのキャリアを持ち、20代ですでにベテラン俳優として、開局間もない在阪各局のテレビドラマにも活躍の場を拡げて出演し、帰阪の度[注釈 2]に、各界の旧友たちとの交流を続けた。

谷崎潤一郎原作の『法成寺物語』が好評であったことから松竹の重役に声をかけられ、1956年に上京し[1]新派に入団して伊志井寛に師事。1972年4月明治座の舞台では、体調不良のため休演気味の師匠伊志井寛の代役も務めた。東芝日曜劇場への出演をきっかけに、勝新太郎に重用され、映画やテレビドラマに出演する[1]

身長170cmながら体重98kgと巨漢というイメージが強いが、1960年代中期まではこの体重よりもかなりの痩身だった。

おもに時代劇での悪役で名を馳せたが、現代劇での気のいい父親役も自在にこなした[3]

中でも『子連れ狼』での阿部頼母は「時代劇史上傑出した悪役キャラ」として、今なお評価が高い[要出典][注釈 3]

1970年に第10回日本放送作家協会男性演技者賞[7]2001年文化庁長官賞、2004年に第25回松尾芸能賞優秀賞を受賞。

市川猿之助のスーパー歌舞伎の常連であり、2008年の3月から6月まで『ヤマトタケル』に出演している[3]。最後に出演した舞台は8月の『新水滸伝』であった[3]

足の爪を切った時に深づめしたことで雑菌が入り化膿[3](蜂窩織炎)。歩行も困難になったため3月26日に入院した[3]。 27日の段階では元気だったが容態が急変し(敗血症)、その4日後の2009年3月31日午前2時13分、腎不全のため埼玉県草加市の病院で死去[3][1]。80歳没。戒名は「義円龍才信士(ぎえんりゅうさいしんじ)」。

出演

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テレビドラマ

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映画

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舞台

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劇場アニメ

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吹き替え

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バラエティ

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CM

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著書

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  • 四十四年目の役者 (1977年、レオ企画)
  • ちょっとやれないヨーロッパで2度も芝居をやってきた (1986年、レオ企画) ISBN 4897560489

脚注

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注釈

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  1. ^ 新制大阪市立大学理工学部の前身。現都島工業高校の場所にあった。
  2. ^ 都島区などに立ち寄り「里帰り」と話していた。自身が出演した『ディープキッチュ[出典無効]や著書『四十四年目の役者』[要ページ番号]などで発言。
  3. ^ 原作者・小池一夫が金田をモチーフにデザインしたキャラでもある。

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m VSビオランテコンプリーション 2015, pp. 92–93, 「キャストインタビュー再録 金田龍之介」
  2. ^ a b c 野村宏平、冬門稔弐「6月15日」『ゴジラ365日』洋泉社映画秘宝COLLECTION〉、2016年11月23日、159頁。ISBN 978-4-8003-1074-3 
  3. ^ a b c d e f g h 金田龍之介さん死去、名脇役悪役も善人も”. 2021年10月8日閲覧。
  4. ^ オフィス天童. “オフィス天童 office-TENDO トップページ”. 2016年1月15日閲覧。
  5. ^ Mニュース39号 都島だより 巻末訃報欄” (PDF). 浪速工業会関東支部 (2009年5月). 2023年10月1日閲覧。
  6. ^ Mニュース15号 都島だより 金田龍之介寄稿文より” (PDF). 関東浪速工業会 (1996年10月). 2023年10月1日閲覧。
  7. ^ 第10回 日本放送作家協会賞パンフ” (PDF). 日本放送作家協会. 2016年5月25日閲覧。
  8. ^ 『ACC CM年鑑'79』(全日本CM協議会編集、誠文堂新光社、1979年 108頁)

参考文献

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外部リンク

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