釜谷 (石巻市)
釜谷 | |
---|---|
震災後の大川小学校(2011年5月19日) | |
北緯38度32分48.543秒 東経141度26分13.198秒 / 北緯38.54681750度 東経141.43699944度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 宮城県 |
市町村 | 石巻市 |
地域 | 河北地域 |
地区 | 大川地区[1] |
設置 | 2005年4月1日 |
面積 | |
• 合計 | 5.609 km2 |
人口 (2021年12月末時点)[2] | |
• 合計 | 57人 |
• 密度 | 10人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (JST) |
郵便番号 |
986-0111[3] |
市外局番 | 0225[4] |
ナンバープレート | 宮城 |
運輸局住所コード | 04501-1741[5] |
なお、数値は一部四捨五入した。 |
釜谷(かまや)は、宮城県石巻市にある大字である。旧桃生郡河北町釜谷、桃生郡大川村釜谷、桃生郡釜谷浜に相当する。郵便番号は986-0111[3]。石巻市住民基本台帳によると、2021年(令和3年)12月末時点での人口は57人、世帯数は20世帯である[2]。
概要
[編集]石巻市の北西部に位置しており、北上川の河口に近い。東日本大震災で津波が押し寄せ深刻な被害をうけた。また、域内は川に沿って水田が開けている。
歴史
[編集]釜谷地区は旧大川村の中心集落であり、海・川・山に囲まれた釜谷の地は自然の恵みが豊かな地であった[6]。
北上川河口周辺一帯は東日本大震災で壊滅的な被害を受ける以前から、度々津波の被害を受けていたことがあり、869年の貞観地震や1611年の慶長地震、1896年の明治三陸地震などがその例であるが、河口から4km以上離れた内陸の釜谷地区における具体的な被災状況は記録に残っていない[6]。
石巻市の行政区域として成立したのは2005年4月1日で石巻市の成立に伴って、桃生郡河北町釜谷(1955年3月21日成立)から移管された。
施設
[編集]- 旧石巻市立大川小学校:震災で多くの児童が犠牲になった。
- 長面排水機場
交通
[編集]道路・橋梁
[編集]- 国道398号
- 宮城県道30号河北桃生線
- 宮城県道238号釜谷大須雄勝線
- 新北上大橋
- 釜谷トンネル:1987年に完成[7]
バス
[編集]- 河北地区住民バス大川コース
- 雄勝地区住民バス・大須三区線(入釜谷バス停で乗降可能)
小字
[編集]- 一本杉[9]
- 大谷地[9]
- 川前[9]
- 高地[9]
- 七ケ入山[9]
- 下山根[9]
- 上野[9]
- 新町裏[9]
- 天神山[9]
- 西宮山[9]
- 韮島[9]
- 長岩[9]
- 長石下山[9]
- 明神山[9]
- 谷地中[9]
- 山根[9]
- 消滅した小字
- 並嶋
- 榧ノ脇
- 尖
- 馬渡
- 小浜
- 町裏
- 明神前
- 琵琶首
- 長石
- 道宿田
- 沢根場
- 小松
- 大松
- 蟹瀬
- 甚平
- 滝徳
- 殽川下
- 苔萊(たいらい)
学区
[編集]域内の児童は石巻市立二俣小学校・石巻市立河北中学校に進学する[11][12]。
人口
[編集]2021年(令和3年)2月末時点での人口は以下の通りである[13]。
小字 | 世帯数 | 男 | 女 | 計 |
---|---|---|---|---|
小浜 | 1世帯 | 0 | 1 | 1 |
七ケ入山 | 4世帯 | 4 | 4 | 8 |
新町裏 | 1世帯 | 1 | 0 | 1 |
天神山 | 11世帯 | 18 | 22 | 40 |
西宮山 | 2世帯 | 3 | 3 | 6 |
韮島 | 1世帯 | 1 | 0 | 1 |
東日本大震災
[編集]釜谷での東日本大震災の震度は概ね6弱であったと推測され、押し寄せた津波の高さは約10mで、域内の犠牲者は179人で2m以上が浸水した[14][15][16][17]。
また、域内の世代・男女別の犠牲者・死亡率は以下の通りである[18]。
世代と性別 | 犠牲者 | 死亡率 | 当時の人口 |
---|---|---|---|
男性 | 71 | 31.84% | 223 |
女性 | 108 | 44.44% | 243 |
15歳未満 | 27 | 55.10% | 49 |
15 - 64歳 | 68 | 24.55% | 277 |
65歳以上 | 84 | 60.00% | 140 |
合計 | 179 | 38.41% | 466 |
ちなみに、この38.41%という死亡率は概ね5人に2人が犠牲となったことになり、東日本大震災の被災地全体において、国勢調査の集計単位地区別では最悪の死亡率となった(2位は福島県相馬市磯部字芹谷地の28.13%)。1960年のチリ地震津波では、釜谷地区に津波が到達しなかったため、宮城県の作成した宮城県沖地震の津波の到達する可能性が低いとされ、域内の住民の中では、「ここまで(津波が)来るとは誰も思わなかった」という声が多く、津波に対する危機意識が欠けていたことが被害が深刻になったことの一因とされる[19]。
また、小字の犠牲者・死亡率は以下の通りである[20]。
小字 | 犠牲者 | 死亡率 | 当時の人口 | 昼間人口 | 昼間人口に対する死亡率 |
---|---|---|---|---|---|
韮島 | 105 | 47.3% | 222 | 173 | 60.7% |
新町裏 | 49 | 44.6% | 110 | 86 | 57.0% |
谷地中 | 21 | 43.8% | 48 | 37 | 56.8% |
脚注
[編集]- ^ “農山漁村地域復興基盤総合整備事業「大川地区」の紹介”. 宮城県 (2021年1月18日). 2021年3月17日閲覧。
- ^ a b “第3章 人口”. 石巻市. 2022年1月21日閲覧。
- ^ a b “郵便番号簿PDF(2020年度版)宮城県”. 日本郵便. 2021年3月18日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2022年1月21日閲覧。
- ^ “自動車登録関係コード検索システム”. 国土交通省. 2023年8月17日閲覧。
- ^ a b “1.5 石巻市釜谷地区(大川小学校・裏山)”. 谷口宏充. 2021年3月17日閲覧。
- ^ “石巻市のあゆみ” (PDF). 石巻市. 2022年1月21日閲覧。
- ^ “バス運行のご案内”. 石巻市. 2021年5月2日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p “宮城県石巻市釜谷”. NAVITIME. 2021年3月18日閲覧。
- ^ 角川日本地名大辞典 1979, p. 888.
- ^ “小学校学区一覧”. 石巻市. 2021年2月1日閲覧。
- ^ “中学校学区一覧”. 石巻市. 2021年3月17日閲覧。
- ^ “3章人口統計”. 石巻市. 2021年2月1日閲覧。
- ^ “なぜ釜谷の津波被害は拡大したのか : 二重堤防による津波対策”. 土木学会東北支部技術研究発表会(平成28年度). 2021年3月17日閲覧。
- ^ 後藤洋三「石巻市門脇・南浜地区の事業所と住民の津波避難行動」『土木学会論文集A1(構造・地震工学)』第71巻第4号、土木学会、2015年、I_930-I_942、doi:10.2208/jscejseee.71.I_930、NAID 130005100279、2021年5月30日閲覧。
- ^ 谷謙二「小地域別にみた東日本大震災被災地における死亡者および死亡率の分布」『埼玉大学教育学部地理学研究報告』第32号、埼玉大学教育学部地理学研究室、2012年、1-26頁、doi:10.24561/00016186、ISSN 0913-2724、NAID 120006388016、2021年4月1日閲覧。
- ^ “石巻市 東日本大震災による津波浸水域図”. 石巻市. 2021年2月23日閲覧。
- ^ “2 災害状況の整理(東日本大震災の災害検証)”. 石巻市. 2021年3月17日閲覧。
- ^ 勝部尚樹「学校防災の課題-大川小学校の悲劇から」『住民参加による被災地のアスベスト飛散への参加・協力 :調査報告書』、神戸大学、2013年7月、20-27頁、2022年5月1日閲覧。
- ^ 瀬尾和大「3.11津波の教訓:地域によって異なる死者率が意味するもの」『教育復興支援センター紀要』第3巻、宮城教育大学附属教育復興支援センター、2015年、1-6頁、ISSN 2188-4080、NAID 120005557106、2022年8月17日閲覧。
参考文献
[編集]- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 4 宮城県、角川書店、1979年12月1日。ISBN 4040010302。
- 有限会社 平凡社地方資料センター 『日本歴史地名大系第四巻 宮城県の地名』 株式会社 平凡社、1987年。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 宮城県石巻市釜谷 (042021190) | 国勢調査町丁・字等別境界データセット - Geoshapeリポジトリ