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蛇田

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本 > 宮城県 > 石巻市 > 蛇田
蛇田
大字
石巻赤十字病院
地図北緯38度26分29.11秒 東経141度16分7.62秒 / 北緯38.4414194度 東経141.2687833度 / 38.4414194; 141.2687833座標: 北緯38度26分29.11秒 東経141度16分7.62秒 / 北緯38.4414194度 東経141.2687833度 / 38.4414194; 141.2687833
日本の旗 日本
都道府県 宮城県の旗 宮城県
市町村 石巻市
地域 本庁地域
地区 蛇田地区
設置日 2005年(平成17年)4月1日
郵便番号 986-0861[1]
市外局番 0225[2]
ナンバープレート 宮城
運輸局住所コード[3] 04501-0473
ウィキポータル 日本の町・字
宮城県の旗 ウィキポータル 宮城県
ウィキプロジェクト 日本の町・字
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蛇田(へびた)は、宮城県石巻市にある大字および地域名(後述)。旧牡鹿郡蛇田村の一部に相当する[4]。郵便番号は986-0861[1]

地理

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蛇田は石巻市の西部に位置し、蛇田駅前に家屋が密集している。また、多くの町丁および大字に囲まれており、北で鹿又、旧北上川を境にして東で南境、北上運河を境にして南東で境谷地や新橋、南で門脇、西で須江と接し、囲うように蛇田地域を構成するその他の町丁[注 1]と接する。

河川など

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歴史

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蛇田の名の資料上の初見は1631年(寛永8年)の伊達政宗領地黒印状にある「小鹿之内へびた」である[5]

寛政4年(1792年)成立の伊達世臣家譜の中に、「元和8年実信嘗受新田于牡鹿郡蛇田邑、開三百九十九石一升之由」と記されており、江戸期、蛇田が地名として成立していたことが明らかになっている[6]

1646年(正保3年)には、伊具郡小斎邑主佐藤家の次男、佐藤定信が宍戸、森、高瀬、斎藤、星、伏見、氏家、大田、遠藤、木村、小川、高橋などといった侍40人と足軽33人、73家中総勢150人を連れて、蛇田の野谷地へと移住する[6]

沿革

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  • 367年仁徳天皇55年) - 上毛野田道将軍が戦死[5]
  • 1633年(寛永10年) - 蛇田村山下に桂林山禅昌寺が開山[5]
  • 1646年(正保3年) - 伊具郡小斎邑主佐藤氏から分かれた佐藤定信が蛇田の野谷地を拝領し、新田開発をはじめる[6]
  • 1663年寛文3年) - 蛇田村の愛宕山東雲寺が現在地に移転[5]
  • 1666年(寛文6年) - 蛇田村蛇田町が開町[5]
  • 1753年(宝暦3年) - 蛇田町から出火し、307軒が焼ける[5]
  • 1874年(明治7年) - 蛇田村のうち蛇田町、蛇田頭、蛇田浦内、蛇田浦外が石巻村に編入[注 2][6]
  • 1889年(明治22年) - 町村制が施行され、蛇田村が成立。
  • 1928年(昭和3年) - 宮城電気鉄道が小野〜石巻間開通[5]
  • 1933年(昭和8年) - 蛇田村の一部が石巻市に編入[4]
  • 1949年(昭和24年) - 蛇田村の明神山、山下、山下西、鍋倉、鍋倉前、南谷地、七窪、横堤、横堤前、揚慮原(うつぎはら)、揚慮原西、深淵、境谷地、清水尻、清水尻西、西中里、東中里、面剣田、水押が石巻市へ編入[4][5]
  • 1953年(昭和28年) - 蛇田村、鹿又村と境界変改が行われる[4]
  • 1955年(昭和30年) - 蛇田村が石巻市に編入され、石巻市蛇田となる。
  • 1972年(昭和47年) - 石巻市蛇田・向陽町1〜5丁目に分離[4]
  • 1973年(昭和48年) - 蛇田ニュータウンが完成[5]
  • 1998年平成10年) - 石巻河南インターチェンジ開通[5]
  • 2006年(平成18年) - 石巻赤十字病院が湊から蛇田地区に新築移転[5]
  • 2013年(平成25年)5月11日 - 蛇田西部土地区画整理事業に伴い、蛇田字福村南・蛇田字菰継・蛇田字五軒屋敷・蛇田字五軒屋敷前・蛇田字新金沼の各一部を分離し、茜平が設置される[7]
  • 2014年平成26年)2月22日 - 蛇田北部土地区画整理事業に伴い、蛇田字東道下・蛇田字西道下の各一部を分離し、わかばが設置される[8]
  • 2014年平成26年)5月10日 - 蛇田中央土地区画整理事業に伴い、蛇田字芋殻町・蛇田字新金沼・蛇田字新大埣蛇田字太田切・蛇田字大埣・蛇田字福村南の各一部を分離し、恵み野が設置される[9]
  • 2017年(平成29年)5月21日 - あけぼの北地区被災市街地復興土地区画整理事業に伴い、蛇田字西道下の一部を分離し、あけぼの北が設置される[10]
  • 2017年(平成29年)11月3日 - 新蛇田地区被災市街地復興土地区画整理事業に伴い、蛇田字新立野・蛇田字新沼田の各一部を分離し、のぞみ野が設置される[11]
  • 2018年(平成30年)8月25日 - 新蛇田南・新蛇田南第二地区被災市街地復興土地区画整理事業に伴い、蛇田字上前沼、蛇田字新西前沼、蛇田字新沼田、蛇田字西沼田、蛇田字細田と門脇字青葉西の各一部を分離し、あゆみ野が設置される[12]
  • 2020年令和2年) - 石巻市蛇田支所・公民館が新築移転で供用開始[5]

名称の由来

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名称の由来は諸説ある。中でも有力とされるものを下に挙げる。

蛇田道公説

日本書紀仁徳天皇五十五年条にある

是後、蝦夷亦襲之、略人民、因以掘田道墓、則有大蛇発瞋目白墓出、以咋、蝦夷悉被虵毒而多死亡、唯一二人得免耳。

という、田道が大蛇となって蝦夷を破った伝説を信じた村人が、蛇田道公と田道を尊称し、祠を建て祀ったことを由来とする説[13]

現に蛇田には、田道が戦死したとされる面剣田という小字が存在し[13]1801年(享和元年)に山下町の禅昌寺で「霊蛇田道古墳」(高さ95センチ・幅34センチ)と記された石碑が発見されている[6]

蛇多説

1773年(安永2年)三月成立の蛇田村風土記御用書出の冒頭に、「一村名ニ付由来」として次の伝承が記されている[13]

住吉当村ニ住居仕候御百姓ノ家江年々燕巣籠候處、瓜実壱ツ觜ニ含み飛来落候を、家主不審ニ存植置候得ハ、生長仕殊之外大キ瓜ニ罷成熟候ニ付、右瓜切割候得ハ、其中ゟ蛇不知数相出候ニ付、御村之者共寄合、右蛇当村未申之方江相埋メ塚ニ築、其所を蛇塚と名付候、右縁を以蛇多と村名ニ唱候所、追年蛇田と書替候由申伝ニ御座候

このように蛇田村風土記御用書出には、がくわえてきた瓜の実を植えたところ、大きな実がなり、その中から数多のヘビが出てきたため、蛇多村と命名し、後年に蛇田と改称したと記されている[13]。なお、伝承にある蛇塚とは、蛇田村風土記御用書出によると

南谷地一蛇塚高サ壱丈廻リ四捨五間[注 3]、右ニ付委細之儀ハ村名之部江御書上仕候事

とある[14]

施設

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交通

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鉄道

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JR蛇田駅の外観。

道路

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小字

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蛇田には以下の小字が存在する[3]

  • 芋殻町
  • 江向
  • 大埣
  • 御蔵
  • 金津町
  • 金津町前
  • 上中埣
  • 上沼
  • 上前沼
  • 上谷地
  • 上谷地下
  • 刈場
  • 川前
  • 北久林
  • 北経塚
  • 北末毛
  • 久七前
  • 閘門
  • 小斉:伊具郡丸森村小斎の武士である佐藤定信が侍40人と足軽33人、計73人の家臣と家族を従えて入植したことに由来する[5]
  • 菰継
  • 五軒屋敷
  • 五軒屋敷前
  • 境塚
  • 下堀
  • 〆切
  • 下中埣
  • 下前沼
  • 下谷地
  • 新大埣
  • 新金沼
  • 新上浦
  • 新上沼
  • 新上待井
  • 新刈場
  • 新下堀
  • 新〆切
  • 新下浦
  • 新下沼
  • 新下前沼
  • 新埣寺
  • 新立野
  • 新堤
  • 新西境谷地
  • 新西前沼
  • 新沼田
  • 新沼向前
  • 新沼向後
  • 新東前沼
  • 新深田
  • 新丸井戸
  • 新谷地前
  • 新山崎
  • 埣寺
  • 曽波山
  • 土和田
  • 土和田山
  • 中埣
  • 中道下
  • 二間堀2
  • 西境谷地
  • 西沼田
  • 西道下
  • 西道上
  • 沼向
  • 沼向前北
  • 浜江場
  • 東道上
  • 東道下
  • 福村北
  • 福村南
  • 細田
  • 細沼
  • 前田
  • 丸井戸
  • 丸沼
  • 道上
  • 三ツ口
  • 三ツ口南
  • 南久林
  • 南経塚
  • 南道下
  • 焼谷地
  • 柳下
  • 山崎
  • 雷神:丸森から当地に入植してきた武士である佐藤定信が佐藤家の氏神を祀った社を付近に建立したことを由来とする[5]
  • 金沼

消滅した小字

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石巻市への編入や住居表示実施の結果、2024年2月現在では消滅している小字を列挙する[5][18]

  • 水押:1949年に石巻市に編入。
  • 新境谷地:1949年に石巻市に編入。
  • 西中里:1949年に石巻市に編入。
  • 新西中里
  • 東中里:1949年に石巻市に編入。
  • 清水尻:1949年に石巻市に編入。
  • 清水尻西:1949年に石巻市に編入。
  • 新清水尻
  • 深渕:1949年に石巻市に編入。
  • 境谷地:蛇田村と鹿股村の境界あたりにあった谷地を由来とする。1949年に石巻市に編入。
  • 横堤:1949年に石巻市に編入。
  • 横堤南:1949年に石巻市に編入。
  • 新横堤
  • 揚慮原(うつぎはら):1949年に石巻市に編入。
  • 揚慮原西:1949年に石巻市に編入。
  • 山下:明神山の山麓にあることを由来とする。1949年に石巻市に編入。
  • 明神山:1949年に石巻市に編入。
  • 山下西
  • 七窪:1949年に石巻市に編入。
  • 鍋倉:1949年に石巻市に編入。
  • 鍋倉前:1949年に石巻市に編入。
  • 新鍋倉
  • 太田切
  • 久七前
  • 新浜江場
  • 面剣田:上毛野田道が戦死した場所とされる。1949年に石巻市に編入。

学校

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市立の公立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[19][20]

番地 小学校 中学校
下中埣、上中埣、中埣、新谷地前、新丸井戸、金津町、金津町前、下谷地、上谷地、埣寺、新埣寺、新下前沼、新東前沼、新西前沼、下前沼、新立野、沖、雷神、前田、小斎、新西境谷地(1番地〜24番地、46番地〜58番地)、閘門(12番地〜21番地)、新下沼(53番地〜114番地)、新金沼、菰継(1番地、6番地〜11番地、16番地〜28番地、35番地2〜36番地1、47番地〜79番地14) 石巻市立蛇田小学校 石巻市立蛇田中学校
西境谷地、下境谷地、刈場、新刈場、沼向、新沼向前、新沼向後、新上沼、丸沼、福村北、北経塚、南経塚、北久林、南久林、三ツ口、三ツ口南、浜江場、新浜江場、土和田、土和田山、新山崎、川前、曽波山、東道下、西道下、道上、新深田、新提、上待井、境塚、新下浦、新西境谷地(33番地、34番地、93番地から137番地まで)、閘門(23番地1から31番地2まで)、新下沼(53番地から114番地までを除く。)、菰継(3番地1、14番地、29番地1から34番地まで、37番地1から45番地まで)、福村南 石巻市立向陽小学校 石巻市立蛇田中学校

東日本大震災

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2011年に起きた東日本大震災では34名の住民が犠牲となった[21]

また、近隣に位置する門脇の地震計は震度6弱を記録した[21]

2012年11月30日時点の蛇田における世代・男女別の犠牲者・死亡率は以下の通りである[22]

世代と性別 死者 死亡率 当時の人口
男性 19 0.34% 5,577
女性 15 0.25% 6,029
15歳未満 2 0.11% 1,788
15 - 64歳 27 0.37% 7,287
65歳以上 5 0.20% 2,501
合計 34 0.29% 11,606

蛇田地域

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蛇田地域(へびたちいき)もしくは蛇田地区(へびたちく)は石巻市蛇田支所の管区内にある地域の名前である。のぞみ野など開発が特に進んでいる地区は特に新蛇田地区といわれる[23]

概要

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近年、大字蛇田を含む蛇田地区(蛇田支所管区内)は開発が進んでおり、国勢調査によると2020年は2015年と比べて人口は12.58%、世帯数は16.53%増加しており、石巻市で最も人口が増加している地域であると言える[24]

ちなみに、蛇田地域は蛇田の名を冠するが、石巻市蛇田支所は大字蛇田ではなく、恵み野2丁目にある[25]

範囲

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蛇田、向陽町、新境町、丸井戸、あけぼの、茜平わかば恵み野あけぼの北のぞみ野あゆみ野を範囲とする。

参考文献

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  • 平凡社地方資料センター 『宮城県の地名』(日本歴史地名大系第4巻) 平凡社、1987年。
  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 4 宮城県、角川書店、1979年12月1日。ISBN 4040010302 
  • 石巻市史編さん委員会 編『石巻市の歴史』 3巻、凸版印刷、1988年3月31日。 
  • 小野寺豊、邊見清二 著、石巻アーカイブ 編『写真と地図で見る歴史『蛇田事典』(おらほの町の郷土史づくりプロジェクト報告書)』石巻アーカイブ、2020年3月https://ishinomaki-archives.com/kyodo/hebita01/2024年11月10日閲覧 

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 詳しい町丁については#蛇田地域を参照。
  2. ^ いずれも現在の中里地域にあたる。
  3. ^ 一丈はおよそ3.03メートル、四十五間は81.8メートル。

出典

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  1. ^ a b 宮城県” (pdf). 日本郵便グループ. 2024年5月31日閲覧。
  2. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2023年8月29日閲覧。
  3. ^ a b 自動車登録関係コード検索システム”. 国土交通省. 2024年6月5日閲覧。
  4. ^ a b c d e 角川日本地名大辞典 1979, p. 472.
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 小野寺ら 2020.
  6. ^ a b c d e 地名を探検 石巻市蛇田編 田道町に残る蛇田道公古墳 開墾した侍たち”. 石巻日日新聞社 (2020年2月26日). 2024年7月24日閲覧。
  7. ^ 蛇田西部土地区画整理事業(茜平)の町名変更対照表”. 石巻市 (2014年5月19日). 2022年12月4日閲覧。
  8. ^ 蛇田北部土地区画整理事業(わかば)の町名変更対照表”. 石巻市 (2014年7月3日). 2022年12月4日閲覧。
  9. ^ 蛇田中央土地区画整理事業(恵み野)の町名変更対照表”. 石巻市 (2014年7月31日). 2022年12月4日閲覧。
  10. ^ あけぼの北地区被災市街地復興土地区画整理事業(あけぼの北)の町名変更対照表”. 石巻市 (2018年5月23日). 2022年12月4日閲覧。
  11. ^ 新蛇田地区被災市街地復興土地区画整理事業(のぞみ野)の町名変更対照表”. 石巻市 (2017年11月16日). 2022年12月4日閲覧。
  12. ^ 新蛇田南・新蛇田南第二地区被災市街地復興土地区画整理事業(あゆみ野)の町名変更対照表”. 石巻市 (2018年8月29日). 2022年12月4日閲覧。
  13. ^ a b c d 石巻市史編さん委員会 1988, p. 794.
  14. ^ 石巻市史編さん委員会 1988, p. 795.
  15. ^ ホームページ”. 石巻市立蛇田小学校. 2022年3月23日閲覧。
  16. ^ 石巻たから保育園概要”. 社会福祉法人 輝宝福祉会. 2022年3月23日閲覧。
  17. ^ JAいしのまき”. ローンセンター. 2022年3月23日閲覧。
  18. ^ 石巻市史編さん委員会 1988.
  19. ^ 小学校学区一覧”. 石巻市 (2021年11月27日). 2022年3月23日閲覧。
  20. ^ 中学校学区一覧”. 石巻市 (2021年11月27日). 2022年3月23日閲覧。
  21. ^ a b 石巻市-2 災害状況の整理(東日本大震災の災害検証)
  22. ^ 谷謙二小地域別にみた東日本大震災被災地における死亡者および死亡率の分布」『埼玉大学教育学部地理学研究報告』第32号、埼玉大学教育学部地理学研究室、2012年、1-26頁、doi:10.24561/00016186ISSN 0913-2724NAID 1200063880162021年11月6日閲覧 
  23. ^ 石巻市の新蛇田地区 新町名「のぞみ野」あす誕生”. 石巻日日新聞 (2017年11月2日). 2022年3月22日閲覧。
  24. ^ 令和2年国勢調査による人口・世帯数 - 石巻市” (PDF). 石巻市. 2022年3月22日閲覧。
  25. ^ 石巻市蛇田支所・蛇田公民館”. 石巻市 (2021年12月10日). 2022年3月22日閲覧。

関連項目

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