鍋島榮子
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鍋島 榮子 | |
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続柄 | 広橋胤保第5女子 |
お印 | 梅 |
出生 |
1855年7月1日 京 |
死去 |
1941年1月3日(85歳没) 東京府東京市 |
配偶者 | 岩倉具義(1872年 - 1879年) |
鍋島直大(1881年 - 1921年) | |
子女 |
梨本伊都子 牧野茂子 松平信子 鍋島直縄 柳沢尚子 |
父親 | 広橋胤保 |
母親 | 家女房 米 |
鍋島 榮子(なべしま ながこ、安政2年5月18日(1855年7月1日) - 昭和16年(1941年)1月3日[1])は、日本の華族。社会事業家。岩倉具義(岩倉具視公爵長男)夫人。鍋島直大侯爵夫人。梨本伊都子・松平信子の母。
生涯
[編集]権大納言広橋胤保の五女として京都に生まれる。母は家女房・米。広橋家の家格は名家であり、明治維新後は伯爵に叙されている。兄に広橋賢光、藤波言忠がいる。お印は梅。結婚前は宮中に仕えていたが、1881年(明治14年)4月に当時イタリア公使であった侯爵鍋島直大とローマで結婚。直大との間に一男四女に恵まれる。外交官夫人の草分けとして活躍し、鹿鳴館では戸田極子と共に鹿鳴館の華と呼ばれた。1887年(明治20年)に日本赤十字社篤志看護婦人会会長に就任。日清、日露両戦争では負傷兵の看護に当たり、各地の病院を慰問するなど、侯爵夫人として社会事業活動の先頭に立つ。東洋婦人会、大日本婦人会などの役員を務めた[1]。1915年(大正4年)にロシア帝国皇后および皇太后付女官のエヴゲニヤ・マレフスカヤ=マレヴィチ[2]、セルビア人の東京外国語学校ロシア語教師ドゥシャン・トドロヴィチとその妻でピアニストのカテリーナ・トドロヴィチらとともに設立した塞国救難会の会長に就任し[3][4]、第一次世界大戦後にセルビア王国政府から聖サヴァ三等勲章を授与された[5][6]。1936年(昭和11年)に勲三等瑞宝章を受章[1]。
家族・親族
[編集]- 夫:
- 子女:
- 孫:
脚注
[編集]- ^ a b c コトバンク. 鍋島栄子.
- ^ Евгения Николаевна Малевская-Малевич (b. 1892). 駐日ロシア大使ニコライ・マレフスキー=マレヴィチの娘.
- ^ Vukelić, Branko (1934-07-02), Politika 31 (9382): pp. 5-6
- ^ ブランコ・ド・ヴーケリッチ 著、山崎洋 訳「23. 滞日二十五年のセルビア人、教え子には日本の大臣、将軍、外交官」『ブランコ・ヴケリッチ 日本からの手紙 ポリティカ紙掲載記事(一九三三 - 一九四〇)』未知谷、2007年、119-123頁。ISBN 978-4-89642-206-1。
- ^ 「塞國勲章授與式」『博愛』 383号、日本赤十字社、1919年3月、19頁。
- ^ 柴宜弘「ロシア語教師ドゥシャン・トドロヴィチと第一次世界大戦――辺境地域出身者のナショナル・アイデンティティ」『中欧研究』第4号、城西大学中欧研究所、2018年12月、16-22頁、ISSN 2432-4000、2020年2月8日閲覧。